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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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蛇神の本音

 防壁の上は風が強かった。


 ラスラフとミロシュが並んで歩いている。防壁の巡回路は幅が狭く、二人が並ぶと肩が触れそうになる。ミロシュは慣れた足取りで歩き、ラスラフは風を読みながら後に続いた。


「公国の話をもう少し聞かせてくれ」


「おう。気になってたか」


 ミロシュが防壁の外を指さした。北の氷原が灰白色の光の下に広がっている。


「氷冠公国は、永冬が始まってから百年くらいで成立したらしい。北方の山岳地帯に拠点を持ってる。寒冷地に適応した軍隊──氷壁兵って呼ばれてるやつらだ。重い防寒甲冑を着て、氷の上でも崩れない陣形を組む。精鋭だぜ」


「冬の精霊を使役する魔術師がいると言っていたな」


「ああ。冥府の淵(ナヴィ)の力を利用するとかしないとか。詳しいことはわからん。ただ、冬の精霊を捕まえて戦力にする技術を持ってるのは確かだ。永冬が続く限り素材は無尽蔵だからな」


 ミロシュが声を潜めた。


 巡回路を歩く他の哨戒兵が離れたのを確認してから、低い声で続けた。


「公国は周辺の集落に『保護』を申し出ている。兵を駐留させて冬の眷属から守ってやるという名目だ。だが保護を受けた集落は、食料と労働力を公国に上納する義務を負う。事実上の従属だ」


「ヴォログダは」


「断ってる。今のところはな。だがこの吹雪が続いて、眷属の襲撃が増えれば──断り続けるのも限界がある」


 ラスラフは北の空を見た。灰白色の空は変わらないが、北の方角だけ──色が違う気がした。灰色がさらに深く、暗く。永冬の中のさらなる冬。


「公国は永冬が終わることを望んでいない」


 ミロシュの声に苦味があった。


「冬が続く限り、あいつらの支配も続く。寒冷適応の軍と、冬の精霊を使う魔術師。それが公国の力の源だ。春が来たら全部意味がなくなる。だからな──冬を終わらせる力がある奴が現れたら」


「味方にするか、潰すかのどちらかか」


「わかってるじゃないか」


 ミロシュが苦笑した。ラスラフは苦笑できなかった。自分の力が、自然の敵だけでなく人間の権力構造にとっても脅威になる。長老が言った「力はそれ自体が政治だ」という言葉が、また重みを増した。



 防壁を降り、集落の中に戻った。


 集落の中央広場を横切るとき、ドモヴォイが地面にしゃがみ込んでいるのが見えた。石畳の隙間に手を触れ、目を閉じている。もじゃもじゃの髭が微かに震えていた。


「ドモヴォイ、どうした」


「……ここの地面の下にな」


 ドモヴォイが目を開けた。小さな瞳に、困惑と郷愁が混じっている。


「精霊の気配が残っておる。古い、古い気配じゃ。永冬が始まる前のものだろう。家の精霊か、庭の精霊か──とにかく、かつてここに住んでおった者たちの痕跡じゃ。冬に埋もれて、消えかけておるが、まだ──ほんの僅かに、温かい」


 ドモヴォイは立ち上がり、手の土を払った。だがその手が僅かに震えていた。永冬の前の世界の残滓。かつて精霊たちが息づいていた時代の記憶が、凍った大地の下にまだ眠っている。


 集会所の前に子供たちの群れがいた。ドモヴォイは先ほどの沈黙を振り払うように、自らその輪に飛び込んでいった。もじゃもじゃの髭を引っ張られながら、何やら楽しそうに話し始める。小さな手が革袋に伸びるのを器用にかわしつつ、子供たちの質問に答えている。


「ドモヴォイってなにするの?」


「家を守るんじゃ。炉の火を絶やさんようにしたり、食い物が腐らんようにしたりな」


「すごーい! うちにも来て!」


「おう、考えとくぞ」


 ドモヴォイがラスラフに気づき、子供たちの合間を縫って歩いてきた。小さな足音が石畳を叩く。顔はにこにこしているが、目の奥に真剣な色があった。


「おまえさん、ちょいと聞いたことがあるんじゃが」


「何だ」


「子供らに混じって遊んどったらな、面白い話が聞こえてきおった」


 ドモヴォイが声を低くした。


「北の氷原に、冬の精霊の集団がうろついておるそうじゃ。猟師たちが言っておった。今までとは違う──組織的に動いておる精霊の群れだと」


「霜の牙か」


「そういう名前かどうかは知らんが、通常の眷属とは桁が違うと。最近、動きが活発になっておるらしい」


 ドモヴォイの髭がピクリと震えた。家の精霊の危険察知が、何かを捉えているのかもしれなかった。


「わしは戦なんぞ知らんがのう。嫌な気配がするんじゃ。北の方角から、冬が──深くなっとる」


 ラスラフは北の空を見た。


 永冬の空は変わらない。だが北の方角だけ、空がわずかに暗い。灰白色ではなく、灰黒色に近い。冬がさらに深い場所がある。マルジャンナの勢力圏。その境界が、以前より南に下がってきているのではないか。


 永冬は変わらないのではない。深くなっている。


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