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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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戦士の誘い

 長老スヴャトスラフが、羊皮紙の束を広げた。


 古い。端が茶色く変色し、表面に細かな罅が走っている。三百年を超える時間を、この紙は耐えてきたのだ。炉の灯りが羊皮紙の表面を橙に染め、黒い墨で描かれた紋様が浮かび上がった。


 円環の中に稲妻が走る意匠。稲妻は中心から六方に枝分かれし、枝の先端がさらに細かく分岐している。樹枝状の紋様。


 ラスラフは右腕を差し出した。


 袖を捲ると、蒼白い紋章が炉の光を受けて微かに光った。手の甲から指の根元、前腕を経て肘の上まで走る樹枝状の紋様。第二段階覚醒で完成した、ペルンの紋章。


 長老が老眼鏡を鼻に乗せ、羊皮紙とラスラフの腕を交互に見比べた。何度も。指先で羊皮紙の紋様をなぞり、それからラスラフの腕の紋章をなぞろうとして──指を止めた。触れていいのか、判断しかねたのだろう。ラスラフは小さく頷いた。長老の冷たく乾いた指先が紋章の上を滑った。感覚はない。


「一致する」


 長老の声は静かだった。


「三百年前の記録に残るペルンの紋章と、おまえの痣は同一のものだ。間違いない」


 一致する。その言葉の重さが、ラスラフの中にゆっくりと沈んでいった。生まれてから十七年間、ただの忌み子の印だった紋様が、歴史的な事実として認定された。自分の身体に刻まれたものが「記録」と照合される。それは誇りでもなく恥でもなく、ただ重かった。自分が何者かを示す紋が、自分の意志とは関係なく、そこにあるという事実の重さだった。



 情報は集落に広まるのが早かった。


 昼過ぎには、ラスラフが通りを歩くと視線が集まるようになっていた。だがその視線の質は一様ではなかった。


 二つに分かれた。


 一方は期待の目だった。「ペルンの力を持つ者が来た」。子供を連れた母親が、ラスラフを遠くから指さしながら何かを囁いている。表情は明るい。冬を終わらせてくれる者。三百年待ち続けた希望。そんな期待がラスラフに向けられていた。


 もう一方は恐怖の目だった。防壁の修繕に向かう男たちが、ラスラフとすれ違うとき足を速めた。目を逸らす者。胸の前で指を交差させる者──故郷の村で見た、まさにその仕草だった。「ペルンの力は三百年前に世界を壊した力だ」。その記憶が、期待の裏側に貼りついている。


 ラスラフは通りの真ん中を歩いた。右手の紋章は外套で隠せなかった。期待の目と恐怖の目の両方が、自分に向けられている。だがどちらの目も、ラスラフという人間を見てはいなかった。「ペルンの力」を見ていた。力に期待し、力を恐れている。鍛冶屋の息子で、不器用で、言葉が下手で、石を投げられて育った十七歳の少年は、その視線の中のどこにも映っていない。


 両方の視線が、同じくらい重かった。



 夕刻、長老の居室に再び呼ばれた。


 炉の炭火が低く燃えている。スヴャトスラフは椅子に座り、ラスラフに向かい合った。二人きりだった。


「民の反応は気にするな」


 長老が先に口を開いた。


「三百年前を直接知る者はもういない。わしとて記録と口伝を継いだにすぎん。だが記録は残っている」


 長老が羊皮紙の別の束を取り出した。文字がびっしりと書き込まれた記録だった。


「ペルンとヴェレスの戦が世界を壊したことは、この集落では語り継がれている。神々の戦争がこの永冬を生んだと。だから神の力を持つ者への反応は──期待と恐怖の両方になる。当然のことだ」


「俺は戦争をしに来たわけじゃない」


「わかっている。だがおまえの意図は関係ない。力はそれ自体が政治だ」


 ラスラフは押し黙った。力がそれ自体で意味を持つ。使い方に関わらず。故郷の村で忌み子として扱われたのも、力の有無が人の態度を決めたのも、同じ構造だった。ただし規模が違う。村ひとつではなく、三百年の歴史と、永冬という現実が、ラスラフの力に意味を付与している。


「ペルンの力を持つ者よ」


 長老が静かに言った。


「おまえがこの冬を終わらせるのか、それとも新たな災厄をもたらすのか──わしにはわからん。だが記録は教えてくれる。三百年前も、力そのものは善でも悪でもなかった。力を振るう者の選択が、世界を変えたのだ」


 ラスラフは答えなかった。答えられなかった。



 居室を出ると、通路で子供が一人、ラスラフを待ち構えていた。


 五つか六つの男の子だった。毛皮の帽子から赤い頬がのぞき、目は好奇心で輝いている。母親の姿はない。一人で来たらしい。


「おじちゃん、雷出せるの?」


 おじちゃんと呼ばれたのは初めてだった。


「……出せる」


「見せて!」


 子供のせがみ方には、恐怖も期待もなかった。純粋な好奇心だけだった。ラスラフは右手を開き、意識を集中した。指先に蒼白い光が灯る。手のひらの上に、小さな雷の球が浮かんだ。パチパチと音を立て、青い光が子供の顔を照らす。


「すげえ!」


 子供が歓声を上げた。目を丸くして、両手を叩いて。純粋な驚きと喜び。力そのものではなく、光る小さな球を見て笑っている。


 走る足音がした。


 母親だった。青ざめた顔で駆けてきて、子供の肩を掴み、自分の背に庇うように引き寄せた。ラスラフを見る目は──恐怖だった。子供が「かあちゃん、雷きれいだったよ」と言うのを無視して、足早に去っていく。


 ラスラフの手のひらに残った小さな雷火が、虚しく消えた。


 パチ、と最後の火花が弾けて、闇に還った。


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