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雷神の忌み子 ~五感を代償に、少年は永遠の冬を終わらせる~  作者: 蒼月よる


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隠された領域

 十本の標的が修練場に並んでいた。


 石柱ではなかった。ヴェレスが蛇の庭の奥から運び出した鉱石。黒い表面に琥珀色の脈が走る、拳大から人の頭ほどの大きさの石。それぞれが異なる位置に、異なる高さに置かれている。地面に置かれたもの、石柱の上に載せられたもの、天蓋近くの岩棚に押し込まれたもの。修練場全体に散らばる十の的。


「すべてを同時に砕け」


 ヴェレスが言った。腕を組み、修練場の端に立っている。琥珀色の目がラスラフを見据えていた。


「同時に。異なる出力で」


「地面の石は軽く砕け。柱の上の石はそのまま──つまり標的を一つ残して他を砕け、というような器用なことではない。十本すべてを同時に砕く。だが距離に応じて出力を変えろ。近い標的には細く、遠い標的には太く。同じ出力で十本打てば、近い標的は粉砕しすぎ、遠い標的には届かん」


 ラスラフは深呼吸した。十本の標的。それぞれの位置を確認する。距離、高さ、角度。空気の湿りを読み、雷の道を十本分描く。各々の出力を変えなければならない。近い標的には弱く、遠い標的には強く、中間の標的には中程度に。方向と出力と持続時間──三つの要素を十本分同時に制御する。


 これまでの修練の総仕上げだった。方向制御。出力調整。感情の区別。すべてを同時に動員しなければ成功しない。


 目を閉じた。痣に意識を沈める。力を引き出す。胸の中心で嵐の力が渦を巻き、十本の道に分かれて腕を下り、指先に集まっていく。一本ずつではない。同時に。十本の力の流れを同時に意識の中で走らせる。空気の地図を頭の中に広げ、十本の道を敷く。近い道は細く、遠い道は太く。それぞれの川幅を設定してから、同時に水を流す。


 目を開けた。右手を掲げた。


 稲妻が放射状に走った。


 蒼白い光が十条に枝分かれし、修練場を貫いた。地面の鉱石が乾いた音を立てて割れ、柱の上の鉱石が弾け飛び、岩棚の鉱石が轟音と共に粉砕された。出力はそれぞれ異なっていた。近い標的は細い雷で割り、遠い標的は太い雷で吹き飛ばした。中間の標的はその間の出力で、過不足なく砕いた。


 十本すべてが砕けていた。


 修練場に鉱石の破片が散乱し、焦げた匂いが充満している。琥珀色の脈を持つ鉱石が粉末になり、光の粒子として空中に漂っていた。連続する雷鳴の残響が岩壁に跳ね返り、幾重にも重なり、やがて静まった。


 ラスラフは手を下ろした。荒い呼吸。だが膝は折れなかった。全力解放の日とは違う。制御された十条の雷撃。効率が段違いだった。無駄な力が少ない。必要な分だけを、必要な場所に、必要な強さで送る。力を「放つ」のではなく「導く」。その原則が、十条同時の雷撃でも機能した。体の消耗も全力解放のときとは比べものにならないほど少ない。同じだけの標的を砕きながら、体に残る力はまだ余裕がある。制御の価値を、体が教えてくれていた。


 ヴェレスが一言だけ言った。


「悪くない」


 三度目の「悪くない」だった。だが今回は声の温度が明らかに違った。微かに、だが確実に、認めている声だった。ラスラフの表情に達成感が滲んだ。初めて、自分の力を自分の意志で使えたという実感があった。



 達成感の余韻の中で、ラスラフは気づいた。


 十条の雷撃を放ったとき、自分の中で何かが「手伝った」感覚があった。修練の蓄積だけでは説明できない精度。力を十本に分けて同時に放つ──その感覚の中に、自分では知り得ない「経験」が混じっていた。


 雷を操る手つき。力を分岐させる勘どころ。どこでどう力を絞り、どこで広げるかの判断。それはこの数日の修練で身につけたものではなかった。もっと古い。もっと深い。体の奥底に沈んでいた何かが、修練の中で自然と浮かび上がってきた。


 ペルンの記憶。


 フラッシュバックのような鮮烈な映像ではなかった。もっと静かな、もっと自然な形で、嵐を操る「技術」がラスラフの動作に滲み出していた。力を分岐させるとき、指先が勝手に最適な角度を選ぶ。出力を調整するとき、身体が無意識に最も効率的な力の絞り方を知っている。ラスラフの頭が考えるより先に、指先が答えを見つけている。


 便利だった。これがなければ、十条同時の制御は今の段階では無理だっただろう。


 だが不気味でもあった。


 俺の技術なのか、ペルンの技術なのか。


 指先に残る力の余韻をなぞりながら、ラスラフは考えた。制御がうまくいったのは嬉しい。だがそのうまくいった原因の一部が自分のものではないとしたら、この達成感はどこまで自分のものなのか。他者の手つきで焼いた鉄は、自分が鍛えた鉄と言えるのか。ボジダルの手を借りて打った刃は、ラスラフの鍛えた刃か。養父の技が自分の体に入っている──それと同じだと思えば自然なことかもしれない。だがボジダルは生きている人間で、ペルンは死んだ神だ。


 答えは出なかった。だが不気味さは消えなかった。自分の中に他者の技術が宿っている。助けになっている。だがその助けを借り続ければ、いつか自分と他者の境界線がわからなくなるのではないか。嵐の力を操っているのはラスラフなのか、ペルンの残滓なのか。その問いが、達成感の底に小さな棘として刺さった。


 ラスラフは手を握り、修練場を後にした。琥珀色の光が背中を照らしている。十条の雷撃の焦げ跡が修練場に残り、その痕跡の中心に立っていた自分を振り返った。力は確かにある。力は自分のもので、同時に自分だけのものではない。



 修練場に戻ったヴェレスが、ラスラフの前に立った。


「基礎はできた」


 淡々とした声。だがその淡々の裏に、確信があった。


「次は、おまえの中にある力の器そのものを広げる」


「器を広げる」


「今のおまえは、嵐の力の一部しか引き出せていない。器に限界があるからだ。人間の身体が受け入れられる力の量には上限がある。その上限を押し広げる」


 ラスラフは頷いた。もっと強くなりたいという渇望が、胸の底で脈打っていた。蛇の庭に来てからの修練で、力を制御する技術は身についた。だが総量が足りない。マルジャンナの先兵と戦うには、冬の眷属の中位や上位と渡り合うには、今の出力では心もとない。荒野で中位眷属と戦ったときの手応えを思い出す。あのとき全力を出してなお、辛勝だった。


「やる」


「そう急ぐな。器を広げる過程は……楽ではない」


 ヴェレスの琥珀色の目に、一瞬だけ何かが揺れた。ラスラフにはそれが何なのか読み取れなかった。心配なのか、躊躇なのか、それとも──期待なのか。表情が消えるのが早すぎた。


「楽じゃなくても構わない。強くなるためなら」


 ヴェレスは何も言わなかった。琥珀色の目が長い間ラスラフを見つめ、やがて視線を逸らした。背を向け、修練場を去っていく。左足を引きずる足音が遠ざかる。


 ラスラフが修練場を出た後、手のひらを見た。嵐の痣。蒼白い紋様が手のひらの中央まで達している。指先だけだった頃が遠い昔のように感じられた。手のひらの中央を左手の指で触れた。


 何も感じなかった。


 温度も、圧力も、左手の指がそこにあることすら。痣に覆われた部分は、もう感覚の領土の外だった。指先から始まった感覚喪失が、手のひらの中央にまで及んでいる。修練で力を使うたびに、少しずつ、少しずつ。水が染み込むように、感覚の境界線が後退していく。


 ラスラフは手を握った。握った感覚が、半分だけ返ってきた。指の付け根から先は力が入っているかどうかわからない。手首から先が、自分の手であって自分の手ではないような、奇妙な乖離。


 代償は止まらない。力を使う限り。


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