『きらめきのあと』⑥
猛然と、鎧を鳴らして漆黒の塊が迫る。
その黒い影は──ウィル。
そう認識する前に、悠霞の身体は動いていた。
ウィルの地を踏み締める音が、響いた。
素早くバックステップした悠霞は、更に左に身体をかわす。
左斜め下から跳ね上げるような斬撃は、途中から真っ直ぐな突きとなって、悠霞が先刻まで居た空間に鋭く刺さる。
(やっぱり──)
ウィルの旋風のような斬撃を、既に悠霞はフェイントと読んでいたのだ。
「やるな、娘」
呟いてウィルはバックラーを正面に向けると、すぐに剣を引いて構え直した。
一瞬の攻防に、臣吾は軽く息をついた。
肩にかけていたリュックを足元に下ろすと、ウィルを睨み据えてじわりと美咲や望美の前に入る。
静寂。
悠霞は真悠を見た。
「堀内さん──。
これが。
今起きているこれが、
あなたが──願ったことなの?」
悠霞の問いに真悠は「違う」と言いかけた唇の動きのあと、口をつぐんで視線を逸らした。
「──き、紀澄さんに、何が──。
何がわかるの? あなたは、わたしと違って──」
一瞬の沈黙のあと、溢れた真悠の震える声を、悠霞は遮るように口を開いた。
「そうね──。わからない」
その言葉に、弱々しく目を瞬かせて、真悠は悠霞を見た。
「なら──。なら、なんで?」
悠霞は真悠を見つめた。
「分からないけど、でも。
私は、あなたを見て──いいな、って。
羨ましいなって思ったんだ」
「えっ──」
突然の悠霞の言葉に、真悠は目を見開いた。
悠霞は一旦目を伏せ、そっと息を吐いた。
「最初に、堀内さんのスケッチブックを見せてもらった時──。
あのアナベルの絵、凄く綺麗だった。
タブレットのマンガも精密で、迫力があって──。
それまで、堀内さんをよく知らなかったけど、同じクラスの子がこんな絵を描けるの、凄いなって──。
そのあと、私のデッサンの話にもなったけど。
私とは違って、何もないところから。
ゼロからこんなものを描けるんだ、自分の世界を作れるんだって。
マンガや、イラストを、お家の人に見せた話をしてるときのあなたは恥ずかしそうだったけど、でも嬉しそうで。
絵が本当に好きなんだなって。
だから堀内さんにとって──とても大事な、大切な世界なんだろうな──そう思った」
悠霞はそこで一度言葉を切った。
真悠の目が揺れて唇が僅かに震えた。
目の端で、望美がスケッチブックを抱き締める指に軽く力を込めたあと、真悠に視線を向けるのが、見えた。
そして、ウィルは剣を下ろした。
「──?」
臣吾はそれを見て、緊張を解かぬまま、ちらりと悠霞達を見た。
(剣を──?)
変わらぬ口調の悠霞は、話を続ける。
「あなたは──。
そうやってずっと好きで続けてる事がある。
それを──見守ってくれる友達も、家族もいる」
悠霞の言葉に、真悠は望美を見て、目を見開いた。
涙ぐんだ目で心配そうにしている望美が──そこにいた。
視線を受けて望美が身じろぎをした。
「あ──」
吐息のような呟きのあと、真悠の眼の赤いきらめきが少し弱くなったのを悠霞は見た。
「──私には、そういうのはない。
なにも、ない。
私にはそれは、どこか遠くにあるものに見える」
そう言い切った悠霞の声も表情も静かで。
だからこそ真悠は困惑した。
「遠く──?」
そして、悠霞の中で──。
音が、消えた。
白い花に囲まれた、
浩一郎の遺影と、ただよう焼香の煙。
潤んだ眼で遺影を見つめて、肩を震わせる一弥。
その隣で目を伏せる高坂。
みんな同じ場所にいる。
でも——。
同じように、そこにいるのに。
なのに自分だけが。
違うところから見ているように感じられた──。
──泣かなきゃいけないんだ。
あの人たちと同じように。
──おじいさまの、孫娘なんだから。
遡る記憶──。
それは少し前の、あの日──。
自宅療養では、もう不意の急変に対応するのが難しい。
そのような医師の勧めで、浩一郎は再び入院していた。
悠霞はひとり、病院を訪れた。
ベッドの横の椅子にそっと腰掛けた悠霞に、浩一郎は柔らかい表情で笑いかけた。
何を話したのかはもう覚えていない。
細く小さく見えた。こんなに小さかったはずはないのに。
──私には何もできない。
私が、どうすることも。
気づいたとき、あの雨の日と同じように涙が溢れていた。
「──大丈夫だよ」
そう呟いた浩一郎は──。
今はあそこに──。
花の中の遺影の笑顔。
そして、やはり涙は出なかった。
そんな内心の呟きを漏らすことなく、悠霞は小さく息をついた。
「おじいさまがいなくなって──。
一弥も、高坂さんも、私に変わらず優しくしてくれる──。
けど、それは、もしかすると──。
おじいさまを慕っていたから、その孫の私にそうしてくれるのか。
けど。
そんなことは、誰にも聞けない。
聞くことなんか──できない」
唐突に紡がれた悠霞の呟きに、周囲がしんとなった。真悠も望美も、驚いたように悠霞を見つめていた。
(悠霞──?)
美咲はその悠霞の表情と声に息を呑んだ。
いままで見た事のない悠霞の感情の澱みのようなものが──見えた。
「だから──。
あなたを見ていて、いいなって。家族とか、友達とか。今の私にはそう思えた」
そこで口をつぐんで、悠霞は不意に空を見上げた。
「それは、ずっと──。私には違う世界の話だったから」
そっと息を吐いた悠霞は真悠に視線を戻した。
「だから、あなたには壊して欲しくない。
あなたの世界を。
あなたが大切にしてきたもの、生み出したものを」
悠霞はそう言うと真悠を静かに見た。その眼差しを受けて、真悠は弱々しく口を動かすと、浅く短い呼吸を繰り返した。
「そんな……の」
嗚咽が漏れて真悠の目から大粒の涙が溢れだす。しゃくり上げるとよろよろとしゃがみ込んだ。
わたしは──。
なにを、していたんだろう。
「わたし、は……。わたしは、あぁぁ」
ウィルの身体から白い粒子が、少しだけ浮かんで、舞い上がる。
それを見てウィルは留め金を外し、ヘルムを脱いだ。そこにいた全員の顔を見た。望美と真悠を見ると、かすかに笑った。
「そうか──。
お前の友は。
ここにちゃんと、居たんだな。マユ」
それを見た臣吾は氣道の呼吸を整えながら、ゆっくりとウィルに歩み寄った。
「紀澄──。下がれ」
その瞬間──。
下ろしていた剣を構えかけたウィルだったが、不思議に穏やかな表情となり、剣を静かに鞘に納めた。
「火田くん?」
臣吾は、わずかに後ずさった悠霞を見て頷くと、ウィルを見た。
視線と視線が交わされた。
言葉はない。
「後は、任せろ。紀澄」
そう言うと、臣吾は右腕を腰だめに後ろに引いて構える。
それを見てウィルが頷いた。
臣吾自身も驚くほど、今この瞬間に猛るものがない。
静かな感覚だった。
それでいて、身体の奥底から氣が滲み、巡るのが分かる。
(──!)
ゆっくりと開いたその掌に輝きが満ちた。これまで臣吾が見た事のないほど眩い輝き。
そして。
臣吾は、ウィルの胸甲に輝く掌を当てた。白い光が眩く走り、ウィルの身体を包み込こんでいく。
やがて──拡がった光の中でウィルのシルエットが変貌していった。黒い何かが徐々に剥がれていき、元のような騎士の姿となった。剥がれて漂う黒い影がゆっくりと渦を巻いて一つとなり、融合していたアナベルが、形となって浮かび上がる。
光の中にアナベルの顔が見えた。一瞬、真悠を見て、わずかに笑う。
「行こう、ウィル。私たちには、まだやることがあるぞ」
そして、光がまばゆくきらめいたあと、きらめきは一斉に無数の白い粒子となって、宙に舞い上がっていく。
臣吾は、彼らを見送るようにしてから掌を見た。
(今のは──)
一際深く息を吐くと、そのままそこにへたり込んだ。
遅れて真悠の身体からも、きらきらと光るオーラのようなものが湧き出し、ウィルたちと同じ白い粒子に変じて舞い上がる。
それはやがて、空に溶けるように──消えていった。
しゃがみ込んでいた真悠の身体が完全に脱力し、ゆっくりと地面に倒れた。
「真悠!」
望美と美咲が真悠に駆け寄り、介抱する。
美咲に身体を起こされた真悠は、すぐに意識を取り戻した。
どこか放心した様子で望美を見ると、泣き腫らした目が瞬いて、泣き笑いのような表情になった。
「のぞみ──?」
「真悠……」
望美はスケッチブックを真悠に渡した。受け取ったそれをしばらく見つめたあと、息を吐いた。
その顔をくしゃくしゃにして、胸に強く抱きしめると、俯いて声もなく肩を震わせた。
「ごめん──」
ぽつりと漏らされた声に、望美も涙ながらに真悠の身体を抱きしめ、背中をさする。
「元に、戻ったの? 真悠──。ああ! 良かった……!」
「ごめん……なさい」
それだけを言うと、真悠は再びしゃくり上げて号泣した。
美咲は、そっと息をつくと立ち上がって空を見た。もう、きらめきは──見えなかった。
悠霞は、息を切らしてへたり込んでいる臣吾の元へ行くと、すっと手を差し出した。
「ありがとう。火田くんが居てくれて本当に良かった」
さすがに意表を突かれたのか、臣吾はその手をまじまじと見たあと、悠霞を見上げてふっと笑った。
「大丈夫さ。これくらい」
悠霞の助けを借りず立ち上がった臣吾は制服の土埃を払うと、リュックを肩にかけた。
「紀澄こそ、名演説だったな」
そう呟くと、それ以上何も言わずその場を立ち去る。
「悠霞!」
その声に振り返ると、美咲が膨れっ面で悠霞を見つめていた。
「え、なに」
普段そんな顔をしない美咲に悠霞はきょとんとなった。
「さっき──悠霞が言ったことだけど。
『私にはそういうのはない』って、わたしは本当のと・も・だ・ち、じゃないってこと??」
美咲の言葉に悠霞は一瞬驚いた表情を見せた。
「いや、あれはそういう意味じゃなくて……。その──ごめんなさい」
困惑して謝る悠霞を見て、美咲はふふっと笑った。
「──分かってるよ。ともだちだもん。だから、悠霞が無事で良かった」
美咲はそっと悠霞を抱きしめた。その温もりに、悠霞は一瞬目を閉じて安心したような表情を見せた。
「ありがとう、美咲。私のともだちになってくれて」
悠霞はそっと抱き返すと、優しく美咲の背中を撫でた。
つづく
“次 回 予 告”
『あの日──。
私たちふたりは、出会った』
そして、それが──合図だった。
ミニバンの車内。
跳ねるように自席を蹴った黄霞はしなやかな指先を後ろ髪に滑らせた。素早く身体を回転させ、対面の護衛の男に身体を飛び込ませる。反射的に座席から身を起こし、懐の銃を抜きかけた男だったが、間に合わなかった。
髪留めが引き抜かれ、まとめられていた黒髪がパッと広がって舞い、男の視界を奪う。
更に身を翻し、黄霞の握りしめた髪留めから、かすかなパシャッという小さな音がして先端から五センチほどのチタン合金製のブレードが伸び、身体の回転に合わせて一閃する。なす術もなく護衛の男は頚動脈から喉笛まで切り裂かれ、声も出ない。
飛び散った鮮血の数滴が黄霞の頬にこびりつき、血なまぐさい臭いが車内に充満する。すぐさま手の中のそれをくるりと回転させ逆手に持ち替え、男の左胸——心臓に突き立てた。立ち上がりかけていた男の身体はびくんと跳ね、座席にぐったりともたれかかって動かなくなった。
返り血で血まみれになった身体にも構わず、黄霞は護衛の男の懐のオーストリア製自動拳銃を取り出して弾倉を抜き、遊底を取り外して銃身も分解してみせた。
「なっ……」
ほんの一瞬の間に隣で起きた惨劇に李は驚愕の表情を隠せなかった。
「——お前が、公仔なのか……⁉︎」
ごくり、と喉を鳴らし呟いた李に、黄霞は無言で視線を向けた。
***
意識のない少女の身体は考えた以上に重く感じる。少女の脇の下に肩を入れ、立ち上がった瞬間、身体に激痛が走った。手足はともかく、あばらが折れているのか。
「……っう」
苦痛に表情が歪み、思わず声が漏れた。
のろのろと、ユウカを引きずるようにしながら、道路の端に近づいていく。
こんなことをしている場合ではない、という警告めいた思考が止まらない。だが、黄霞は湧き出てくる訳の分からない衝動に抗えなくなっていた。
覗き込んだユウカの顔色は白っぽくなって見えた。自分と同じ顔をした少女の命が、いま、消えかけている——。
「——ユウカ……!?」
呼びかけに返答はない。
(……私は? どうしたらいい?)
足元が揺れる。頭が、熱い。けれど、それ以上に胸の奥で何かがきしんでいた。
***
同刻——。香港国際空港。
日本からのフライトは、多少の遅延はあったものの、悪天候を感じさせない穏やかな着陸で到着した。
その年代にしては比較的長身の二人の壮年男性は、それぞれのスーツケースを受け取ると到着ロビーを出た。二人ともカジュアルなジャケットにノータイのシャツ、スラックスといういでたちが妙に様になっている。
「イミグレーションが珍しく空いててよかったですね、会長」
二人のうち、穏やかな表情の男が、もうひとりの男にそう話しかけると、会長と呼ばれた男の鋭い眼差しがふっと和らいで、口元を綻ばせた。
次回、
第六話『そして、時は健やかに・前編』




