第100話 endure
ゴツン
冷たい床に容赦なく額を打ち付けた。
(……痛い)
しかし、それをどうにかすることができない。アンジェは額を打ち付けたまま、目を閉じる。手は後ろで縛られ、自由のない足は折り曲げられている。無理やり頭を下げられる際、力いっぱい掴まれた前髪の付け根辺りがジンジンする。それ以外何も感じない。だから必然と両耳の聴覚だけが研ぎ澄まされる。
「コイツか」
重低音が体の芯にまで響くような、とても重たい一言だった。この一言で誰かわかる。王だ。この国の王様だ。
そして、叔父だ。私を今、このように扱っているのは私の叔父である。しかし、何の感情も湧かないのは何故であろう。遠い記憶の中に微かに残る叔父の声と一致しないからか? しかし、それは仕方がないことだろう。人は、与えられた役職で人間が変わっていく。今の叔父は紛れもなく王の威厳を持っており、昔の叔父は王位継承権のない王族の一人、ただの国民であった。声に昔の面影がないぐらい変わってしまうのはおかしい話ではないだろう。
と、今更どうでもよい情報で頭をいっぱいにする。
そうしてアンジェは思考の殻に閉じこもった。自分を守るために。自分を拒絶する強者から、どうか怖がっている自分が見つかりませんように、と。
でも、残念。君は今、見世物だ。
アンジェが連れて来られたのは、王の間であった。アンジェが床へと打ちつけられた位置からまっすぐ延びる直線上には王様、ただ一人。アンジェが床へと打ちつけられた位置をぐるりと囲むのは、座っているのか立っているのかもわからない大勢の人々。計掛ける2+2の瞳。
目を瞑っていても、蹲っていても、全身を刺す視線は痛いほどである。加えて、耳が拾う音が中々に煩い。
『アレが悪魔の子……なんて汚い』
『想像以上に気味の悪い赤ねぇ』
『あんなものに昔仕えていたなんて……』
『あぁ、今更ぶたの餌にもならないものを何で』
――――――何で王様は拾ってきたのだろう?
(……私も知らないよ)
集まる音に無意識に反応してしまった。その時になってようやくその当の王様の言葉も耳に入ってくるようになる。
「お前の利用価値は今、2つだ。その2つのためにどれだけ探したと思う」
何を大変だったように言っているのだ。そもそも戦場に私を捨てたのは貴方だろう。
「ハッシュル国にいたのも尚更面倒だった。そのせいでお前の弟も捕まえて教育しなければならなくなり、それも手間取ったもんだ」
教育って洗脳のことでしょ。……サキ、あぁ、サキ、サキにも辛い目を遭わしたのは私が原因なの?
「これだけの時間と金と人間、我が国民を使ったのだ。お前には相応以上の働きをして貰わなければならない」
その国民に、私とサキはきっと含まれていないんでしょうね。
「1つ、お前にはアーリア国の第二王子の元へ嫁いでもらう。お前の忌々しい紅い髪は、皮肉にもカナリア国の正当な王族として説得力が一番あるのでな」
アンジェはまだ蹲って頭を垂れたまま、瞼を閉じて黙って聞いている。アーリア国第二王子のイザラに攫われた時点でこの事は予想できていた。驚くことではない。
「が、嫁ぐまでにまだ時間がある。そこで2つ目だ」
王は一拍置いて、王の間にいる大勢の観客を見渡した。それから部屋の中央で小さく蹲るアンジェを一瞥し、あとは目線で3人の兵へと命令を下す。
「2つ、お前にはアーリア国へ嫁ぐまでの間、このカナリア国での“嫌われ者”を徹底的に全うしてもらおう。これには、アーリア国の許可も出ている」
「もちろん第二王子の許可もな」とその言葉は叔父の顔を見ながら聞くことができた。
ぐりんッ
アンジェの視界がいきなり開ける。それと共に後頭部にキリリとした痛み。今度は後ろの髪を引っ張られ、顔を無理やり上げられた。その地味な痛みに思わず眉間にシワを寄せてしまう。そのせいで瞑っていた目が開く。
あぁ、見たくはなかった。
アンジェの瞳に映った視界全部がアンジェの敵である世界が広がる。
王の命令によりアンジェに駆け寄った兵士は三人。全員が背後にいる。まだ髪は乱暴に掴まれたままだ。痛みは段々鈍くなってくる。
しかし掴まれた感覚、それも束の間の話となった。
シャキンッ
「っっっっっっつ!!」
どれほど叫びたかったことだろう。
長い無数の紅がぱらぱらとその場へと散る。