2.色のない雄大さ
馬車が国境を越えた瞬間、空気が変わった。
春の国では感じたことのない、鋭く澄んだ冷たさが肌を刺す。思わず外套の襟を掻き合わせたとき、窓の外に広がる景色が目に入った。
白かった。ただ、白かった。
春の国の木々はいつも青々と葉を茂らせ、花を咲かせている。でもここでは、枝という枝が葉を落とし、細い腕を空へ向けて伸ばしていた。雪を纏ったその姿は、どこか祈りのように見えた。
死んでいるわけではない。ただ、眠っているのだ。
その言葉が、ふと頭に浮かんだ。
馬車が進むにつれ、雪はより深くなっていく。踏み締められた轍の跡だけが、道があることを示していた。人の気配はなく、聞こえるのは風の音と、雪を割る車輪の音だけだ。
静かだった。
春の国では常に誰かの声があった。讃える声、笑う声、祈る声。それが当たり前だと思っていた。
でも今、この静けさの中にいると、胸の奥で何かがゆっくりと動き始めるのを感じた。
白い吐息が窓硝子を曇らせる。指先で拭うと、また白い世界が広がった。
どうしてだろう。
目の前の景色は、春の国より遥かに乏しい。色も、花も、温かさも、何もない。なのにーー
視界が滲んだ。
驚いて瞬きをすると、頬に温かいものが伝った。涙だと気づくのに、少し時間がかかった。いつからだろう、涙の流し方を忘れていた。春の国では、泣く理由がなかったから。いや、違う。喜びも悲しみも、いつの間にか薄れてしまっていたから。
冬の景色は、何も語りかけてこない。ただそこに在るだけだ。
それでもーー
在るだけで、こんなにも雄大だ。
城に着いたのは、陽が傾きかけた頃だった。
石造りの城は、春の国の宮殿とは似ても似つかない。無骨で、重く、でも確かな強さを持つ佇まいだった。出迎えた臣下たちは無口で、でも礼を失するわけでもなく、粛々と私を奥へと案内した。
謁見の間は、想像より質素だった。余分な飾りがない。ただ、暖炉の火だけが赤々と燃えていた。
「春の姫宮か」
声が、部屋に響いた。
玉座に座る男は、思っていたより若く見える。闇夜のような黒髪に、月が落ちてきたような金の瞳。
表情は読めない。でもーー刃のような冷たさは、なかった。
「遠路、ご苦労だった」
労いの言葉はとても短かった。値踏みするでもなく、歓待するでもなく、ただ事実を述べるように。
「……ありがとうございます」
「堅苦しくしなくていい。ここでは誰も、あなたに春を求めない」
その一言が、じわりと胸に沁みた。
誰も、春を求めない。
生まれて初めて、私はーー春の姫宮ではない場所に、立っていた。そう気づいた瞬間、肩からフッと力が抜けた気がした。




