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春は巡り、冬を想う  作者: 猪口 零都


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1.春の国の閉塞

この国は、いつも春だ。

桜や梅は咲き乱れ、菜の花は芽吹き、人々は朗らかに笑う。


 私という、一人の人間の犠牲の下、この世の春は守られている。

 それを知ってか知らずか、人々は今日も満ち足りた表情で笑い、私を讃える。


 私も初めは春が嫌いではなかった。

温かくも優しいこの季節が、人々の心に安らぎを与えてくれる。

ーーその担い手になれると誇りに思ったこともあった。


「この国はいつも変わらないな」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

「褒めちゃいないさ。……変わらないということが、どれだけ残酷なことか知っているから」


 初めて疑問を抱いたのは、夏の国の王太子の言葉。

彼の国は、夏の日照りや台風に悩まされていた時期だった故の言葉だと思っていた。

でもーー


「姫宮様、いつもありがとうございます」

「姫宮様のお陰で、私たちはいつも平穏に過ごせます」


 何も変わらないということは、これ以上の新しい感情が生まないということだ。いつしかそれは喜びも悲しみも薄れさせ、時が経つことの楽しみを忘れさせる。

 私の心に反応し、空は晴れ渡り、草花は狂い咲く。その日々は、恐ろしいまでに平坦に続いていくということに気づいたのは、それから随分あとのことだった。


「牢獄というのは、この国のことを言うのかもしれないわ」


 障子戸の向こう、視界の先には、今日も穏やかな気候に包まれた豊かな大地が広がっている。


 ここはまるで、真綿のような牢獄ではないだろうか。


 変化のない毎日に気づいてしまえば、そう思い始めるまで時間はかからなかった。そして一度抱いた感情を、捨て去ることは容易ではなかった。


「姫宮様、おはようございます」

「今日も穏やかな天気なのは姫宮様のお陰です」

「姫宮様がおられる限り、春の国は安泰ですね!」


 誰も疑問に思わない。時が流れないことも、変わらないということにも。それが本当に正しい姿なのか、私にはわからなくなっていた。


 ある日、秋の女王が春の国にやってきた。秋は豊穣の国。わが国と劣らず、とても豊かな国だと聞いている。


「あなたのお母様が亡くなられてから、よくここまで治めてきたわね」


 春と秋は女王が。夏と冬は王が治める決まりだ。

 先代の春の女王が急逝して、幼い私が国を治めることになったのは、もう何十年も前の話。その時からずっと、この国の春は止まったままだ。


「でも女王も生きている人間よ。たまにはお休みが必要にならない?」

「休み、ですか……?」


 秋の女王の言葉は、初めて耳にする言葉だ。それまでは誰も私に休むことが必要だなど言ったことはない。私が休むと言うことは、春が春で無くなると言うことなのだから。


「休みがあるからこそ、人は頑張れるものでしょう? 人だけじゃなく、自然もそうよ。大いなる収穫を終え、一度大地を休ませてあげなければ、大地も痩せ細ってしまうわ」


 成人を迎えあたりで成長が止まる私たちの見た目は、さほど違わないだろう。でも実際は秋の女王は、私とは母娘ほど歳が離れている。様々な秋を見てきたからこそ、秋を休ませることも必要だと感じたのだそうだ。


「ですが、春が休めば、冬になってしまうのではないですか?」


 冬の王とは会ったことがない。冬の国は閉鎖的で、しんしんと積もる雪が、人々の心を冷やすと聞いた。


「……あなたには、世界を知る時間が足りなかったのね」


 秋の女王の悲しげな眼差しが、心に残った。


「一度、冬の国に行ってみるといいわ」


 秋の女王の言葉に、私は思わず目を瞬かせた。


「冬の国、ですか」

「ええ。あなたは世界を知る時間が必要よ。ならまず、一番遠いところから見てみなさい」


 一番遠いところ。春と対極にある、あの閉ざされた国。


「でも、私が春の国を離れればーー」

「少しくらい離れても、死にはしないわ。大地だって、あなただって」


 秋の女王は笑った。温かくも、少し意地悪さを感じるような表情で。


「ここはわたくしが少しの間、見ておいてあげるから。秋と春は相性が良いもの。心配しなくていいわ」


 誰かに大丈夫と言ってもらえたのは、いつぶりだろう。いや、そもそも初めてだったかもしれない。

 私を讃える声は毎日聞こえる。でも、私を休ませようとする声は、今、この瞬間に聞いたものが初めてだった。


「……少しだけ、なら」


 我ながら情けないほど小さな声だった。けれどその声は秋の女王に届き、「ならば準備を」とどこか満足そうに目を細めた。

 こうして即位以来、ううん、生まれて初めて、春の国の外に出ることになった。

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