表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

91/101

苔の巨石

 ラウカ渓谷は、世界から切り離されたような場所だった。

 両側を切り立った崖に挟まれた狭い谷。苔むした岩壁が空を狭め、木々の梢越しにわずかな青が覗くだけ。谷底をタルヴァス河の源流が細い筋となって流れ、水音が岩壁に反響して独特の響きを生んでいる。

 その渓谷の奥に、巨石群があった。

 最初に見えたのは、苔に覆われた灰色の石の頂だった。木々の間に不自然に突き出た岩。近づくにつれ、それが一つではなく複数あることがわかった。五つ、六つ、七つ——大小さまざまな巨石が、円を描くように並んでいる。

 中央に、ひときわ大きな石がある。人の背丈の三倍はある。苔が厚く覆い、石の色が見えないほどだが、苔の下から文字のようなものが透けて見えた。

「これが……始まりの歌場か」

 カレが呟いた。

 近づくと、石の表面に刻まれた模様が見えた。文字と旋律が一体となった刻印。読めない。だがそれが文字であり同時に音であることは、直感でわかった。エイノが言っていた通りだ。

 そして——聞こえた。

 石から、歌が聞こえる。

 言葉にならない旋律。だが確かに歌だ。微かで、遠くて、だが途切れない。石そのものが、何百年もの間ずっと歌い続けているかのような。

「……歌ってる。この石が」

 カレの声が震えた。川の水に宿っていた残響とは比べものにならない。ここでは歌が生きている。

「カレ——」

 アイノが声を上げた。驚きの声。

 振り返ると、アイノが背中のカンテレを見ている。革の保護ケースの中で、弦が微かに震えていた。

 アイノがケースを開けた。カンテレを取り出す。

 五本の弦が、触れてもいないのに振動している。巨石の歌に共振しているのだ。微かな音が弦から漏れている。金属的でも木質的でもない、不思議な響き。

「勝手に鳴ってる……」

 アイノが目を丸くした。

「こんなこと初めてよ。カンテレが——巨石の歌に反応している」

 カレは巨石とカンテレを交互に見た。巨石に刻まれた原初歌の残響と、アイノのカンテレが共振している。二つの音のルーノが、根底のどこかで繋がっているのか。

 レンミンカイネンが二人の後ろに立っていた。

 剣の柄に手をかけ、周囲を見回している。だがその目は、不安と困惑を隠せていなかった。

「お前ら、大丈夫か? 俺には何も聞こえないが」

 静かな声だった。いつもの軽い調子がない。

 カレには想像できた。レンミンカイネンの耳には、ただの風の音と水の流れしか聞こえていないのだろう。仲間が感動し、驚いている目の前の光景から、自分だけが切り離されている。歌い手の世界に入れない。その疎外感。

「大丈夫だ。ここは歌い手のための場所なんだと思う」

 カレは努めて穏やかに言った。

「歌い手のための場所、か」

 レンミンカイネンが呟いた。一瞬、寂しそうな目をした。だがすぐに——本当にすぐに——表情を引き締めた。

「なら俺は見張りだ」

 剣を抜いた。渓谷の入口を向き、木々の間を睨む。

「お前らが何を聴いても、俺は守る。それが俺の仕事だ」

 レンミンカイネンの背中に、迷いはなかった。歌えなくても、聞こえなくても、仲間を守ることはできる。それが彼の選んだ役割だった。

 カレは頷いた。言葉はいらなかった。

 アイノがカンテレを胸に抱えたまま、中央の巨石を見上げている。

「すごい。この歌……古い。とても古いわ。でも生きている」

「触れてみる」

 カレが中央の巨石に近づいた。苔に覆われた石の表面に、手を伸ばす。

 石の歌が一瞬大きくなった。

 まるで——訪問者を歓迎するかのように。旋律が膨らみ、空気が震えた。アイノのカンテレの共振も強まり、弦が明瞭な音を発した。

「気をつけて」

 アイノが声をかけた。

 カレの指先が石に触れた。

 世界が、変わった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ