生きることに執着がない
小競り合いの後、レンミンカイネンが「負けた方が奢る流儀なんだが、引き分けだったから俺が持つ」と言い出し、半ば強引に三人を酒場に連れ込んだ。
昼間の酒場は客がまばらで、朝の光が窓から差し込んでいた。レンミンカイネンが三人分の麦酒と焼き肉を注文し、カレとアイノの前に杯を押しやる。
「まあ飲め。殴った詫びだ」
「詫びるなら殴るなって話よ」
アイノが杯を受け取りながら刺すように言う。レンミンカイネンは堪えた様子もなく笑った。
「で、お前は何者なんだ」
カレが麦酒を一口飲んで聞いた。昨夜は名前しか交わしていない。
「レンミンカイネン。放浪の剣士。まあ、あちこちぶらぶらしてる流れ者だ」
「歌学院は?」
「行ったよ。赤点だらけで追い出されたがな」
レンミンカイネンは肉を噛み千切りながら、あっけらかんと語った。歌学院では戦闘ルーノ以外ほぼ落第点。だが実戦では無類の強さを発揮し、各地の腕自慢を片っ端から倒して回った。いつしか「蛮勇のレンミンカイネン」の名が広まり、今では腕試しの相手を求めて放浪している。
「歌は使えないのか」
「正確に言えば、歌術師としてはからっきしだ。でも身体強化のルーノだけは自己流で使えるようになった。理屈はわからん。身体に力を込めて唸ると、なんか強くなる」
「それ、理屈もへったくれもないわね」
アイノが呆れたように言ったが、その口元は少し緩んでいた。
カレはレンミンカイネンの話を聞きながら、この男の不思議な在り方を考えていた。歌えないのにルーノを使う。定型歌を知らないのに、力を引き出す術を自力で掴んでいる。ルーノラの評価体系の外にいるという意味では、カレと似ている。
「なんでそんな生き方してるの?」
アイノが何気なく聞いた。
レンミンカイネンの顔から、一瞬だけ笑みが消えた。
ほんの一瞬だった。杯を口に運ぶ動作で隠したが、カレは見逃さなかった。目の奥の光が揺らいだ。底の見えない水面に石が落ちたような、小さな波紋。
「別に。退屈だからだよ。強い奴と戦ってりゃ退屈しねえだろ」
軽い口調で流した。アイノはそれ以上追わなかった。
その後、アイノが「先に宿に戻るわ」と席を立った。カレに向かって「飲みすぎないでよ」と言い残し、酒場を出ていく。
二人きりになった。
レンミンカイネンが二杯目の麦酒を傾けながら、ぽつりと言った。
「昔、守れなかった奴がいた」
酔った口調だった。だが目は醒めていた。
「……誰を?」
「言わねえよ。昔の話だ」
カレは黙って待った。レンミンカイネンは杯の底を見つめている。
「それ以来、死ぬのが怖くなくなった」
「怖くない?」
「違うな」
レンミンカイネンが首を振った。
「……生きることに執着がなくなった」
静かな声だった。酒場の喧騒が遠い。
「死にたいわけじゃねえ。ただ、生きてても別に。死んでも別に。どっちでもいい。そういう感じだ」
カレはその言葉の重さを量った。死を恐れない英雄。蛮勇の剣士。だがその蛮勇の正体は——生きることへの諦めだった。守れなかった人がいて、それ以来、自分の命の価値を見失った。だから危険に飛び込む。死ぬかもしれない場所に笑って突撃する。恐れないのではなく、恐れる必要がないのだ。失うものがないから。
「もったいない生き方だな」
カレは率直に言った。
レンミンカイネンが顔を上げた。
「説教か? 気に入らねえな」
笑っていた。だが目が笑っていなかった。一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、その緑色の瞳が揺れた。カレの言葉が、どこかに刺さったのだ。
「説教じゃないよ。ただそう思っただけ」
「ふん。まあ、お前に言われてもな。才能ゼロの歌い手に生き方を説かれるとは思わなかったぜ」
「才能ゼロは否定しない」
「はは。正直な奴だな」
レンミンカイネンが席を立った。酒代を置き、扉に向かう。
酒場の外に出ると、夜空が広がっていた。星が多い。鍛冶の煙が晴れた夜は、サンパラの空もこんなに澄むのかとカレは思った。
レンミンカイネンが空を見上げた。
「もったいない、か」
その言葉を噛みしめるように呟いてから、ふらりと闇の中に消えていった。
カレはその背中を見送った。自分と同じ孤独の影が、そこにあった。追放された少年と、誰かを守れなかった剣士。理由は違う。だが、どこかで生きることの意味を見失ったという点で——似ている。
違うのは、カレが歌で何かを取り戻そうとしていること。レンミンカイネンは、取り戻すことを諦めていること。
その差が、どうしようもなく気にかかった。




