鍛冶の煙
朝が来た。
カレは歌で焚き火の灰を払った。
風を呼ぶ。小さな風。焚き火の残り火を吹き消し、灰を草地の隅に寄せる。心の中のリズムに合わせて、穏やかに。風は従った。暴発しない。飛び散らない。自然な動作の一部として、歌が機能している。
数週間前には考えられなかったことだ。
川辺に下りて水を汲んだ。水袋を沢に沈め、歌で水を導く。水流が穏やかに器に向かい、水袋を満たしていく。噴水のように吹き上がった日が嘘のようだった。
焚き火を灯す。歌で。一拍、二拍、三拍。リズムに合わせて火の名前を呼ぶ。小さな炎が枯れ枝に移り、穏やかに燃え始めた。
風を招き、水を汲み、火を熾す。
三つの歌を、カレは朝の支度の中で自然に使いこなしていた。大きな力ではない。中級の定型歌と同等か、それ以下の規模だ。だが制御は安定している。暴発はない。力の加減ができるようになっている。
「ヴァイノラの学生が見たら顔真っ青ね」
アイノが朝食の干し肉を噛みながら言った。笑っていた。皮肉ではなく、素直に面白がっている笑い。
「あの歌比べの時は一発勝負だったけど、今のあんたは日常的に歌を使いこなしてる。定型歌じゃないのに安定制御ができてる。あの学生が見たら卒倒するわよ」
「そこまでじゃないだろ」
「いいえ、そこまでよ。定型歌なしで安定した歌術を使える歌い手なんて、あの学院には一人もいない」
アイノの言葉に実感がこもっていた。彼女はポヒョラで鍛えられた歌い手だ。歌術師の実力を見る目は確かだった。
カレは自分の手を見た。旅を始めた頃と同じ、細くて長い指。何も変わっていないように見える。だが——この手から紡がれる歌は、確かに変わった。
暴発しかできなかった力が、安定した。名前を感じ取る直感は鋭いまま、出力の手綱を握れるようになった。アイノの伴奏で学んだリズムの意識が、体に染みついている。
中級歌術師級の安定制御。
ロヴィアタルに「物差しが間違っている」と教わった日からここまで、長い道のりだった。
朝食を終え、荷物をまとめた。西の街道を歩き始める。
丘を登ると——見えた。
山脈の麓に広がる工芸都市。石と木と鉄で組まれた建物が密集し、その間から幾筋もの煙が立ち上っている。溶鉱炉の煙だ。赤い火花が散り、鍛冶の音が風に乗ってかすかに届く。
サンパラ。鍛冶の街。
「ここにイルマリネンの手がかりがある」
カレは呟いた。
アイノが隣に立って遠景を眺めた。
「鍛冶の街……歌を金属に閉じ込める技術があるって聞いたわ。歌堂の壁にルーノを刻んだのも、元はサンパラの技術だったはず」
「歌と鍛冶の融合か」
「ルーノには色んな形がある。あんたが一番知ってるでしょう」
カレは頷いた。
水歌い。樹歌い。歌堂の石。そして鍛冶に込められた歌。旅を通じてカレが学んだのは、歌の多様さだった。「正しい歌」は一つではない。世界の数だけ歌がある。
丘を下り始めた。サンパラの街が近づくにつれて、鍛冶の音が大きくなっていく。金属を打つリズミカルな響きは、どこか歌のようにも聞こえた。
カレの歩みに迷いがなかった。
ヴァイノラで拒絶され、各地の歌い手に出会い、名づけの歌が萌芽し、アイノとの距離が縮まった。カトゥマ廃村を出たときの不安定な少年は、もうここにはいない。「制御できる歌い手」として一段階上がったカレが、次の冒険に踏み出す。
鍛冶の煙の向こうに、山脈の稜線が北を指していた。
サンポが奪われたポヒョラは、あの山の遥か向こうにある。
まだ遠い。
だが一歩ずつ——確かに近づいている。




