伴奏
石が吹き飛んだ。
街道脇の拳ほどの石を、歌で持ち上げようとしただけだった。浮かせて、下ろす。それだけのことが、カレにはできなかった。
石は宙に浮いた瞬間に弾丸のように飛び、二十歩先の木の幹に突き刺さった。
「…………」
カレは額に手を当てた。
次は木を揺らしてみた。幹に触れず、歌だけで枝を揺らす。それだけの練習だ。
木が根元からみしりと悲鳴を上げた。慌てて歌を止めると、幹が斜めに傾いだまま止まった。
「もう一本倒す気?」
アイノが三歩離れた場所から腕を組んで見ていた。
「倒すつもりはなかった」
「結果が全てよ」
わかっている。わかっているのに、できない。
真の名を感じ取ることはできる。石の硬さ、重さ、冷たさ。木の繊維の流れ、根の広がり、樹液の脈動。目を閉じれば対象の本質が手に取るようにわかる。感じ取る直感は鋭い。
だが手加減ができない。
蛇口を全開にするか閉めるか、その二択しかないようなものだった。開ければ暴発し、閉めれば何も起きない。中間がない。
「わかるのに」カレは拳を握った。「見えるのに、手加減ができない」
三度目の練習。小石を浮かせようとした。今度こそ、そっと——
小石が粉々に砕けた。
カレは膝をついた。
アイノが黙って見ている。何度失敗しても口を挟まない。苛立ちの表情は見せるが、やめろとは言わない。その冷たい視線が、かえってカレを追い詰めた。
しばらくの沈黙の後、革紐が解かれる乾いた音がした。
カレが顔を上げると、アイノがカンテレを取り出していた。五弦の伝統楽器。木の温かみのある胴体に、細い弦が張られている。アイノの手が弦の上に置かれた。
「共鳴じゃなく、伴奏よ」
「え?」
「リズムを貸してあげる。それに合わせて歌いなさい」
カレは目を瞬いた。
「歌っていうのはね、リズムがなければ暴れるの。あんたの歌にはリズムがない。力はあるのに拍子がないから、出力が一気にどかんと出る。だから——私が拍子を叩いてあげる」
アイノの指が弦に触れた。
穏やかな音色が流れ出した。速くもなく遅くもない、心臓の鼓動に近い静かなリズム。定型歌の旋律ではない。アイノ自身の音——音のルーノの最も基本的な形。拍を刻むだけの、飾り気のない伴奏。
「この音に合わせて。急がないで、音の間に歌を置くように」
カレは息を吸った。
アイノのカンテレが一拍。二拍。三拍。
その間に、カレは歌い始めた。
小石の真の名。小さくて、冷たくて、丸い。道の隅で何年も転がってきた、取るに足りない石。その名前を、アイノのリズムに乗せて口にした。
小石がゆっくりと浮いた。
吹き飛ばない。砕けない。カレの歌が穏やかなリズムに包まれて、出力が制御されている。小石が掌の高さまで浮き、そこで止まった。
カレの心臓が跳ねた。
「動かないで。そのまま」
アイノの声が静かに促した。カンテレのリズムが変わらず続いている。
カレは歌い続けた。アイノのリズムに合わせて。急がず、力まず、音の間に言葉を置くように。
小石がゆっくりと下りた。地面に触れ、音もなく着地した。
「できた……」
呆然と呟いた。
今まで何度やっても暴発していた制御が、初めて成功した。アイノのリズムがカレの歌に手綱を付けたのだ。
「当たり前でしょう」
アイノがカンテレの弦を押さえて音を止めた。
「リズムがなければ歌は暴れる。これは基本中の基本よ。ポヒョラの子供でも知ってるわ」
素っ気ない口調。だがカレは見た。アイノの口元が——ほんの少しだけ——緩んでいたのを。
それは笑みと呼ぶにはあまりに小さかったが、旅を始めてからカレが初めて見た、アイノの表情の変化だった。
「ありがとう、アイノ」
「別に。あんたが使い物にならないと困るのは私よ」
そう言ってカンテレを仕舞い、さっさと歩き出した。
利害の計算だと言いたいのだろう。事実そうなのかもしれない。だがカレには、アイノの伴奏が冷たい計算だけで生まれたものには思えなかった。
歌い手として——放っておけなかったのではないか。
夜になった。
アイノが先に眠った後、カレは一人で練習を続けた。アイノの伴奏なしでは、やはり出力が安定しない。だが「リズムを意識する」というコツを掴みかけていた。心の中で拍を刻みながら歌う。一拍、二拍、三拍。その間に言葉を置く。
小石が浮き上がり——ぶれた。が、吹き飛ぶほどではなかった。
まだ遠い。だが方向は見えた。
遠くから、かすかにカンテレの音が聞こえた。
アイノの寝床の方角だった。眠っているはずの彼女の指が、弦の上で微かに動いている。練習するカレの耳に届くように、そっと弾いているのだろうか。
偶然かもしれない。寝相で弦に触れただけかもしれない。
だがその微かな音に合わせて、カレの歌は少しだけ安定した。




