不器用な二人旅
二人旅の初日は、沈黙から始まった。
カトゥマ廃村の見送りを背にして西の街道を歩き始めた頃、朝霧はまだ足元を覆っていた。白樺の梢から雫が落ちるたびに、カレは隣を歩くアイノの横顔をちらりと窺った。
白銀の髪を編み上げ、カンテレを背負い、前だけを見ている。
廃村を出てから一度も振り返らなかった。カレが「必ず帰る」と誓った場所を、アイノは見送りの光景ごと置き去りにした。帰る場所のない人間にとって、他人の約束はまぶしすぎるのかもしれない。
カレはそう思ったが、言葉にはしなかった。言えば余計なことになるとわかっていた。
「荷物、持とうか」
代わりに出てきたのは、そんな間抜けな申し出だった。
「自分のことは自分でやるわ」
即座に断られた。声に苛立ちが混じっている。
「……だよな。悪い」
それきり、沈黙が戻った。
歩幅が合わない。カレが少し早く、アイノが少し遅い。いや、違う。アイノは自分のペースを崩す気がないだけだ。カレが合わせるしかない。
歩調を落とした。無理に並ぼうとせず、半歩ほど前を歩いた。道を知っているわけではないが、少なくとも石や倒木を先に見つけて避けることはできる。
アイノは何も言わなかった。
街道は古い。カレヴァの東から西へ、タルヴァス河に沿うように延びる幹線路だが、人の往来は少ない。飢饉が広がってからは交易も細り、かつての賑わいを示す石造りの道標だけが朽ちかけていた。
昼を過ぎた頃、カレは口を開いた。
「そろそろ休憩にしないか」
「いちいち聞かないで。休みたいなら勝手に休みなさい」
「いや、アイノが疲れてるかなと——」
「疲れてないわ」
嘘だった。アイノの足が一瞬もたついたのをカレは見ていた。しかし指摘する勇気はなかった。
黙って水袋を差し出した。アイノは横目で見て、数秒の間を置いてから受け取った。
「……次からは勝手に置いておきなさい。手渡しじゃなくていいから」
不器用な受け取り方だった。カレは少し安心した。拒絶ではない。距離の取り方を探っているだけだ。
午後の行軍は、少しだけ楽になった。二人の間に会話はほとんどなかったが、沈黙の質が変わった。ぎこちないだけの沈黙から、互いの存在を認めた上での沈黙へ。
ふと、背中に視線を感じた。
振り返ると、アイノがすぐに目をそらした。一瞬だけ見えたその目は、何かを測るような——冷たい光を帯びていた気がした。
気のせいだろうか。カレには判断がつかなかった。アイノが自分に同行している理由を、カレはまだ正確には知らない。ロヴィアタルに頼まれたとは聞いたが、それだけだろうか。あの冷たい目の奥に、何か別の目的があるのではないか。
だが考えても答えは出ない。カレは前を向き直した。
アイノの足取りが、なぜか重くなっている気がした。苛立っているのだろうか。何に対して。カレの不器用な気遣いが、かえって迷惑なのかもしれない。
夕暮れが近づいた頃、街道脇の丘の上に野営に適した窪地を見つけた。
「ここにしよう」
「あんたが決めるの?」
「……じゃあアイノが決めてくれ」
「ここでいいわ」
結局同じ場所だった。カレは呆れつつも、荷物を下ろした。
「私が火を起こすから、あんたは水を汲んできて」
初めての役割分担だった。言葉は命令口調だが、そこには旅の仲間としての最低限の信頼——いや、信頼と呼ぶにはまだ早い。実務的な判断だ。
カレが近くの沢から水を汲んで戻ると、アイノが器用に焚き火を起こしていた。ルーノではなく、火打ち石で。
「歌で灯さないのか」
「無駄な歌は使わないの」
もっともだった。
焚き火の傍で簡素な夕食を取った。セッポからもらった干し肉と、道すがら採った野草の汁物。温かい食事が胃に沁みた。
食事の間も会話はほとんどなかった。だが不思議と居心地が悪くはなかった。
西の地平線に夕日が沈んでいく。空が赤く染まり、やがて藍色に変わる。
アイノが水袋の蓋を閉めながら、ぽつりと呟いた。
「この先の集落は飢饉がひどいらしいわ」
カレは焚き火の向こうにアイノの横顔を見た。夕闇に溶ける白銀の髪。紫がかった青い瞳が、西の空を映している。
その目は、何を見ているのだろう。
飢饉の集落。カレの歌の力が、初めて試される土地が近づいている。




