氷嵐
日が落ちた瞬間、歌が来た。
三方向から同時に。北、北東、北西——包囲陣形で、三つの歌声が一斉に氷の旋律を叩きつけてきた。
結界が悲鳴を上げた。
前回の霜の歌い手は一人だった。あの時ですら結界を突破されかけた。今度は三人。しかも三つの歌が合わさり、互いを増幅し合っている。氷の嵐が壁のように廃村を包み込み、視界が一瞬で白く閉ざされた。
「ロヴィアタル!」
カレが叫んだ。結界の表面が氷に覆われ始めている。透明だった壁が白濁し、内側にまで冷気が噴き出す。吐く息が白く凍り、指先の感覚がなくなった。
「わかっている」
ロヴィアタルが杖を地面に突き立てた。結界に力を注ぎ込む。老婆の口から防護の古い歌が流れ出し、結界が一時的に明るさを取り戻す。だがすぐに三方からの圧力が押し返してくる。
「三人がかりの古い歌——こんなの……」
アイノがカンテレを構えた。弦を弾き、防御旋律を結界に重ねる。カンテレの音が空気を震わせ、冷気の侵入がわずかに遅くなった。だがそれだけだ。水を掬うように、指の間から零れていく。
「カレ! 上書きを!」
アイノが叫んだ。カレは頷き、言葉を探した。あの時のように——氷の歌を自分の言葉で上書きする。
「氷よ、お前は——」
言葉が出ない。喉が詰まる。あの共鳴の時に湧き出した感覚が、どこにもない。世界の声が聞こえない。焦りが胸を焼く。
アイノが共鳴を試みた。カンテレの旋律をカレの声に寄せ、重ね合わせようとする。だが——噛み合わない。音と言葉がすれ違い、空振りに終わる。
「なぜ——命がかかっているのに」
「焦りが邪魔してるのよ」
アイノの声が鋭い。だがその目にも焦燥が浮かんでいた。
ロヴィアタルが結界を維持しながら反撃の歌を放った。古い歌の旋律が結界の隙間から外に漏れ出し、氷嵐の一角を押し返す。だが三対一だ。一角を押しても、残る二方向から攻められる。
「アイノ、結界の補強を続けな! カレ、わしの歌に合わせて上書きしろ!」
ロヴィアタルの指示が飛ぶ。三人がそれぞれの役割で応戦する。結界維持と反撃をロヴィアタルが担い、結界の補強をアイノが受け持ち、カレが氷の歌の上書きに集中する。
だが足りない。
カレの上書きは散発的で、氷の歌の一部しか崩せない。アイノの防御旋律は着実だが、三方からの圧力を支えきれない。ロヴィアタルの古い歌は力強いが、体力の消耗が目に見えて激しい。
氷が家屋の壁を這い上がった。柱が凍り、軋み、一軒の屋根が音を立てて崩れた。冷気が地面を這い、奥の洞穴——住人たちが避難している場所——にまで忍び寄っていく。
「住人たちが——」
カレの声が掠れた。このまま結界が破られれば、全員が凍りつく。
氷嵐がさらに激しさを増した。三つの歌声が唸りを上げ、結界を締め上げる。ロヴィアタルの足がよろめいた。杖にすがりつくように体を支える。
足りない。何もかもが足りない。
ロヴィアタルが静かに目を閉じた。
深い呼吸。老婆の体から、歌の気配が変わった。日常の結界維持や小さな反撃とは次元が違う——何か大きなものを、その小さな体の奥底から引き上げようとしている。
カレは見た。師の顔に浮かぶ覚悟の色を。それが何を意味するのか、理解したくなかった。




