歌を創る者
翌朝、ロヴィアタルがカレを森の修行場に呼び出した。
廃村の裏手にある、古い樫の木に囲まれた空き地。苔むした岩が輪を描くように並び、その中央で二人は向き合っていた。いつもの修行の場所だが、今日は空気が違う。ロヴィアタルの表情がいつになく厳粛で、冗談を飛ばす気配がない。
「今日は修行じゃない」
ロヴィアタルは杖を脇に置き、岩に腰を下ろした。
「お前に話しておかなきゃならないことがある」
カレは正面の岩に座り、背筋を伸ばした。師がこういう顔をする時は、重い話だ。
「お前の力のことだ」
ロヴィアタルの灰色がかった目が、カレを真っ直ぐに見ている。半分閉じた右目も、今日はしっかりと開かれていた。
「お前の力は定型歌を越えている。わしは最初からそう言ってきたが、今のお前には、もう少し踏み込んで伝えるべきだろう」
老婆が一度深呼吸をした。
「お前は歌を使うんじゃない、カレ。歌を創るんだ」
カレは瞬いた。
「歌を……創る?」
「そうだ。定型歌は先人が完成させた歌を正確に再現するもの。お前にはそれができなかった。だがそれは、お前が歌を覚えられないからじゃない」
ロヴィアタルが膝の上で両手を組んだ。
「お前には世界の真の名が見えている。定型歌の言葉は、お前にとって《《不正確》》なんだよ。だから無意識に言い換えてしまう。歌学院の測定器はそれを『間違い』として処理し、『該当なし』を『ゼロ』と表示した。ただそれだけのことだ」
カレの心臓が跳ねた。才能ゼロの理由は、何度もロヴィアタルに教わってきた。だが今日の説明は、その先を見据えている。
「かつてワイナミョイネンがそうしたように」
ロヴィアタルが呟くように言った。
「ワイナミョイネン……最初の歌い手の?」
「ああ。あの人は世界に最初のルーノを刻んだ。既存の歌を再現したんじゃない——自分の言葉で、世界に新しい歌を与えた。それが全ての定型歌の源になった」
カレは息を飲んだ。伝承の中のワイナミョイネンは、歌の力で大地を整え、海を鎮め、星を配置したとされる。自分の力がそれと同じだなどと、とても信じられない。
「待ってくれ、ばあさん。それって……どういう」
「まだわからなくていい」
ロヴィアタルが手を上げてカレを制した。
「だが覚えておけ。お前が歌うとき、世界に新しい歌が生まれている。それがどれほど途方もないことか」
カレは言葉を失った。途方もない、と言われても実感が湧かない。あの共鳴の瞬間ですら、自分が何をしたのか正確には理解できていないのだ。
沈黙が下りた。森の梢が風に揺れ、木漏れ日が二人の間を踊る。
ロヴィアタルが木に背をもたれかかり、目を細めた。遠い場所を見るような顔だった。
「わしは古い歌を研究しただけだ。使えたが、創れなかった。お前は違う」
その声に、羨望はなかった。あるのは——期待と、どこか寂しさに似たものだった。
「だからこそ——お前の歌には、世界を変える力がある。良い方にも、悪い方にも」
カレの背筋に冷たいものが走った。良い方にも、悪い方にも。ロヴィアタルの声には、ただの助言を超えた重さがあった。まるで——自分がいなくなった後のことを見据えているような。
「ばあさん——」
「まあ、今のお前にはまだ先の話だ」
ロヴィアタルが膝を叩いて立ち上がった。その動作が、いつもより少しぎこちない。
「腹が減ったろう、帰ろう」
老婆が先に歩き出す。杖を突く背中が、カレの目には小さく見えた。
歌を創る者。
ロヴィアタルがカレに与えた言葉。その重さを、カレはまだ量りかねている。だが師の背中が小さく見えたことだけが、胸の奥に引っかかって離れなかった。




