カンテレを抱いた女
歌術師団との戦いから三日が過ぎた。
廃村の日常は、壊れたものを直す作業とともに戻ってきた。セッポが柵を修繕し、マルヤが焦げた壁板を取り替え、ヴェイッコは割れた窓枠に新しい麻布を張った。カレも手伝ったが、不器用な手つきを見かねたセッポに「お前は薪でも拾ってこい」と追い出された。
まあ、確かに大工仕事より薪拾いのほうが向いている。
カレは森の中を歩いていた。秋の光が木々の間から差し込み、落ち葉を金色に染めている。空気は澄んで冷たく、吐く息がわずかに白い。冬が近い。
乾いた枝を拾い集めながら、カレは三日前の戦いを思い返していた。大地を揺らした衝撃。定型歌を書き換えた言葉。ロヴィアタルの「お前はもう、ここにいるだけの器じゃない」という言葉。
意味はまだわからない。だが体が覚えている。あの瞬間、言葉が自分の中を通り抜けて世界に届いた感覚を。
薪を束ねて背に担ごうとした時、視界の端に何かが映った。
人だった。
森の小道から少し外れた茂みの陰に、誰かが倒れている。カレは薪を地面に下ろし、慎重に近づいた。
若い女だった。
外套がボロボロだ。裾がほつれ、肩の縫い目は裂けて中綿が覗いている。長い旅をしてきたのだろう。泥と枯れ葉にまみれた衣服の下は痩せこけていて、頬がこけ、唇は乾いて割れている。
だが目を引いたのは、女が胸元に大切そうに抱えているものだった。
カンテレだ。
五弦の小さな楽器。革の保護ケースに入っているが、ケース自体も傷だらけだ。それでも女は、衰弱した体でなおカンテレだけは手放していなかった。
カレは女の首筋に指を当てた。脈がある。浅いが確かな呼吸。生きている。
「大丈夫か。おい、聞こえるか」
返事はない。意識がないのだ。このまま放っておけば夜の冷え込みで命に関わる。
カレは迷わなかった。女の体を背負い上げた。思ったよりも軽い。長身なのに、骨と皮しかないような軽さだ。どれだけの間、まともに食べていないのか。
廃村まで急いだ。
ロヴィアタルの家に運び込むと、老魔女はベッドを用意し、薬草の煎じ薬を準備してくれた。
「衰弱が酷いね。三日は何も食べていないだろう。水分も足りていない」
「助かりますか」
「若いから大丈夫だよ。温めて、水を飲ませて、休ませれば」
カレは安堵の息をついた。ロヴィアタルが女の額に手を当て、小さな薬草のルーノを口ずさむ。微かな光が指先から溢れ、女の顔色がわずかに戻っていく。
それから半刻ほどで、女が目を覚ました。
瞬間だった。
女の目が開くと同時に、その体がベッドから跳ね起きた。壁際まで飛び退き、背中を壁に押しつけて、紫がかった青い瞳でカレを睨みつけた。
「触るな!」
声は掠れていたが、刃物のように鋭かった。
「……どこだここは」
「落ち着いてくれ。森で倒れてたから、運んできたんだ」
カレが両手を上げて敵意がないことを示した。女の目は獣のようだった。警戒心がむき出しになっている。視線がカレ、ロヴィアタル、部屋の出入り口、窓と、素早く動く。逃げ道を探している。
「ここはカトゥマ。廃村だ。危険はない」
「廃村?」
女がわずかに目を細めた。信じていない目だ。
「水を飲むかい」
ロヴィアタルが木の椀を差し出した。女は老婆を警戒するように見たが、乾いた唇が痙攣するように動いた。渇きには勝てなかったのだろう。椀をひったくるようにつかみ、一息で飲み干した。
「名前は」
カレが訊いた。
「……質問するな」
「でも——」
「名前と、ポヒョラから逃げてきたこと。それだけ。理由は訊くな」
ポヒョラ。
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。ロヴィアタルが微かに目を細める。カレの背筋にも緊張が走った。ポヒョラ——北の闇の国。ロウヒが支配する、凍てついた大地。
「名前は」
カレがもう一度訊いた。女が沈黙する。長い間があった。
結局、女は名乗らなかった。
カレが食事を持ってきた。セッポが作った素朴な麦粥に、マルヤの薬草茶。女は一瞬躊躇ったが、飢えには勝てなかった。匙を手に取り、食べ始める。手が震えていた。
ロヴィアタルがカレの横に立ち、女を見つめていた。あの目だ。カレを初めて見た時と同じ——何かを見抜こうとする、灰色の瞳。
「ポヒョラから、ね」
老魔女が静かに呟いた。
「好きなだけいな。ここは逃げてきた者の場所だ」
女が匙を止めた。ロヴィアタルの言葉を噛み締めるように、しばらく動かなかった。
やがて麦粥を食べ終え、椀を置き、カンテレを抱え直して壁に背をもたせかけた。目を閉じる。眠りに落ちたのか、それとも会話を拒絶しているのか。
カレはロヴィアタルと顔を見合わせ、静かに部屋を出た。
ポヒョラからの逃亡者。カンテレを命より大事に抱えた、警戒心の塊のような少女。
カレは彼女の名前すら知らない。自分から名乗ることはなかった。




