表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/107

廃村の防人

 リーダーが歌い始めた。

 その声を聞いた瞬間、カレは理解した。この男は——強い。

 定型歌の旋律が、他の歌術師とはまるで違った。一つ一つの言葉に重みがあり、歌全体に鍛え抜かれた精度がある。かつてルーノラの教壇に立っていた男の実力は、飢えで痩せ細った体からは想像できないほど確かだった。声には年月の厚みがある。十年、二十年と定型歌を磨き続けた者だけが持つ、揺るぎない基盤。

 火と風の複合定型歌。

 二つの定型歌を同時に織り上げる高等技法。火の旋律と風の旋律が交互に編み込まれ、一つの歌として完成する。渦を巻く炎の嵐がカレに向かって襲いかかった。炎が風に加速され、風が炎に熱を与え、二つの力が螺旋を描いて増幅する。

「——っ!」

 カレは咄嗟に火に向かって歌った。

「火よ、お前は温もりだ!」

 炎の一部が穏やかになる。カレの言葉が届いた部分だけが、橙色の優しい光に変わった。だが風が炎を押し戻し、カレの上書きを打ち消した。温もりに変わった炎が、風の力で再び荒々しい炎に引き戻される。火と風が互いを補強し合い、カレの言葉が片方に届いてももう片方が効果を維持する。一人では、二つ同時に対処できない。

「定型歌の書き換え——そんな芸当ができる歌い手がいるとは思わなかったよ」

 リーダーが歌いながら言った。定型歌を維持しながら会話できるのは、かなりの技量の証だ。歌と言葉を同時に操る余裕がある。

「だが一度に一つしか書き換えられないんだろう。わしらの世界では、複合定型歌は中級の基礎技法だ。お前の技は面白いが——数に負ける」

 正論だった。カレの上書きは一度に一つの定型歌にしか効かない。複合定型歌を使われたら、片方を止めてももう片方が残る。そして残った片方が止めた方を復活させる。

 炎嵐が迫る。カレは横に転がって躱した。熱風が頬を焼き、髪の先が焦げる匂いがした。転がった先の地面が焦げ、枯れ草が一瞬で灰になった。背後で廃村の家屋の壁に炎が燃え移る。

「やめろ!」

 カレが叫んだ。あの家にはマルヤが丹精込めた薬草の束がある。セッポが修繕した囲炉裏がある。ヴェイッコが壁に描いた下手くそな馬の落書きがある。

「やめろって?」

 リーダーが嗤った。笑いの中に、自嘲が混じっていた。

「お前が大人しく食糧を出せば、こんなことにはならなかった。恨むなら自分の無力さを恨め」

 三人目の歌術師が動いた。ロヴィアタルの古い歌に牽制されていた二人のうち一人が、老婆の歌の隙を突いて抜け出す。水の拘束のルーノがカレの足を絡め取った。冷たい水の鎖が足首を締め上げ、地面に縫い止める。痛みよりも冷たさが神経を痺れさせた。

 続いて四人目が土のルーノ。カレの前に土の壁がせり上がり、視界を塞ぐ。高さは頭の倍ほど。分厚く、硬い。向こう側が見えない。

 動けない。見えない。リーダーの炎嵐が迫っている気配だけが、肌を焼く熱で伝わってくる。

 カレは歯を食いしばった。

 水を上書きすれば足は自由になる。だが土の壁が残る。土を上書きすれば壁は崩れる。だが水の鎖が残る。一度に一つしか——。

 違う。

 カレの中で、何かが切り替わった。

 修行の延長線上にあるものではなかった。理屈で辿り着いたものでもなかった。追い詰められた状況で、体が勝手に答えを見つけた。

 一つずつ対処しようとするから追いつかないのだ。定型歌は「個別の命令」だ。火は燃えろ、風は吹け、水は縛れ、土は塞げ。それぞれが別々の命令として対象を支配している。だが世界は——一つだ。火も風も水も土も、同じ世界の一部だ。

 そしてカレの言葉は——対象との《《対話》》だ。命令ではなく、対話。相手の本質に触れ、本来の姿を呼び覚ます。

 カレは水に縛られた足で地面を踏みしめた。水の冷たさが肌に食い込む。だがカレは水を敵として見なかった。水は敵ではない。定型歌に縛られて、鎖の形を取らされているだけだ。

「水よ」

 声が出た。普段よりも深い、腹の底から湧き上がるような声だった。

「お前は鎖ではない。お前は——流れだ」

 足首を締め上げていた水の鎖が、ほどけた。水が鎖の形を失い、本来の流れに戻ってさらさらと地面を伝っていく。水は縛るためにあるのではない。流れるためにある。カレの言葉がそれを思い出させた。

 間を置かずに、カレは前方の土の壁に向かって歌った。息を吸う暇もなく、声を繋げる。

「土よ、お前は壁ではない。お前は——道だ」

 土の壁が崩れ落ちた。壁だったものが平らに均され、カレの前に道が開く。土は塞ぐためにあるのではない。人が歩くための大地としてある。

 二つの定型歌を——立て続けに書き換えた。同時ではない。だが一つ目から二つ目への切り替えが、修行の時とは比べものにならないほど速かった。言葉が途切れなかった。水への言葉と土への言葉が、一つの歌のように繋がった。

 リーダーの炎嵐が見えた。渦を巻く炎と風が、カレを飲み込もうとしている。

 だがカレの目には、炎嵐の本質が見えていた。火と風が定型歌に縛られて、怒りの形を取らされている。本当の火は温もりだ。本当の風は旅人の背を押す追い風だ。どちらも、人を傷つけるために在るのではない。

「この場所を——」

 カレの声が、変わった。

 修行の声ではなかった。朴訥で口下手な少年の声でもなかった。歌うとき——ルーノを紡ぐとき——カレの言葉は別人のように鋭く、美しくなる。日常の不器用さが嘘のように、言葉が研ぎ澄まされて光を放つ。

「この人たちを——壊させない!」

 カレの足元で、大地が鳴った。

 低い、深い、地の底から湧き上がるような轟き。あの日と同じ。追手を退けたあの夜と同じ——地鳴りが廃村を揺るがした。

 だが今回は違った。あの時は混沌とした暴発だった。方向も強度もでたらめで、カレ自身も巻き込まれかけた。今回の地鳴りには——方向があった。

 カレの意志が、大地のルーノに触れていた。「壊させない」という一念が、言葉となって大地に染み込み、大地がそれに応えた。守れ。この場所を。この人たちを。

 地面が波打った。カレを中心にして、大地が同心円状に隆起し、衝撃波が広場を駆け抜けた。地面が波のように盛り上がり、歌術師たちの足元を掬った。立っていられるはずがなかった。五人の歌術師が次々に吹き飛ばされる。リーダーの炎嵐が衝撃波にかき消され、炎と風が四方に散って消えた。

 だが制御は完全ではなかった。衝撃が予想以上に大きく、カレ自身もよろめいた。廃村の家屋が軋み、薬草園の柵が倒れ、古い木のテーブルがひっくり返る。暴発の余波が収まるまで、長い長い数秒が続いた。暴走はしなかった。だが意図した通りの結果でもなかった。

 砂塵が薄れていく。

 歌術師団が地面に叩きつけられていた。三人は既に意識を失っている。四人目がよろよろと立ち上がろうとしたが、足に力が入らずにまた倒れた。

 リーダーだけが片膝をついていた。唇を切り、額から血を流しているが、目はまだ生きている。飢えと絶望に蝕まれた暗い目が、カレを睨みつけている。

「この——化け物が」

 リーダーが歌おうとした。定型歌の最初の一節が口から漏れる。声は掠れていたが、まだ歌う意志がある。この男は、追い詰められてもなお折れない。かつてルーノラの教壇に立った矜持が、最後の力を振り絞らせている。

 だがその歌を、別の歌が断ち切った。

 ロヴィアタルの歌だった。

 古い歌。定型歌ではない——もっと古い、もっと根源的な旋律。言葉にならない言葉が、リーダーの定型歌を上から覆い、封じ込めた。リーダーの歌声が喉の奥に押し戻される。声が出ない。歌えない。ロヴィアタルの古い歌が、リーダーの歌そのものを封じている。

「……何だ、これは」

 リーダーが喘いだ。歌えないことへの恐怖が、初めてその顔に浮かんだ。歌い手から歌を奪う——それは、剣士から腕を断つのと同じことだ。

「行きな」

 ロヴィアタルが静かに言った。杖にすがり、肩で息をしている。結界の維持と古い歌の発動で、体力はほとんど残っていないはずだ。顔色は死人のように白い。だがその目は——揺るがなかった。大ルーノラで一番と呼ばれた歌い手の目だった。

「この廃村には、お前たちが奪えるものは何もないよ。帰りな。そしてもう一度考えな——歌は、何のためにある」

 リーダーは老婆を睨みつけた。長い沈黙が流れた。砂塵が晴れ、青い空が見え始めている。やがてリーダーは目を逸らした。仲間の腕を引っ張り、意識のない者を背負い、よろよろと立ち上がった。

「……覚えてろ」

 それが精一杯の虚勢だった。歌術師団は森の中に消えていった。


 静寂が戻った。

 カレは広場の真ん中に座り込んでいた。全身から力が抜けていた。横腹が痛む。手足が震えている。視界がぼやける。

「カレ兄ちゃん!」

 洞穴からヴェイッコが走り出してきた。セッポとマルヤ、他の住人たちも続く。

「カレ兄ちゃん、大丈夫!?」

 ヴェイッコがカレに飛びついた。小さな体が、カレの腕の中に収まる。温かい。この温もりを守れた。

「……大丈夫だよ」

 カレは掠れた声で答えた。

「みんな、怪我は?」

「こっちは無事だ。お前の方がよっぽど心配だよ」

 セッポが苦笑した。

 マルヤが水を持ってきてくれた。カレはそれを受け取り、一気に飲み干した。冷たい水が喉を潤す。自分が湧かせた泉の水だろうか。渇きを癒すもの——水の真の名が、こんな形で自分を助けてくれた。

 ロヴィアタルがゆっくりと歩み寄ってきた。杖に全体重を預けている。一歩ごとに杖が地面に深く沈む。顔色は悪く、唇に血の気がない。だが——微かに笑っていた。皺の奥で、灰色の瞳が温かく光っている。

 老婆がカレの横に座った。しばらく二人とも何も言わなかった。壊れた柵と焦げた壁と、ひっくり返ったテーブルを眺めていた。

「よくやった」

 短い言葉だった。だがその二文字に、ロヴィアタルの全てが込められていた。

「だが——お前はもう、ここにいるだけの器じゃない」

 カレは顔を上げた。

「どういう意味ですか」

「今はまだわからなくていい。だが覚えておきな」

 ロヴィアタルが空を見上げた。戦闘で舞い上がった砂塵が晴れ、青い空が広がっている。雲が切れて、光が差し込んでいた。

「お前の歌は、この廃村の壁の中に収まるものじゃない。いつか——もっと広い場所で歌う日が来る」

 カレは首を傾げた。ロヴィアタルの言葉の真意はまだ測りかねる。

 だが確かなことがある。

 今日、カレは自分の歌で、大切な人たちを守った。暴発気味だったけれど。制御は不完全だったけれど。それでも——自分の言葉で、自分の歌で、誰かを守れた。

 ヴェイッコがカレの腕の中で眠りかけていた。戦いの緊張と安堵で、小さな体が限界を迎えたのだろう。セッポが倒れた柵を直し始め、マルヤが焦げた壁に水をかけている。日常が、ゆっくりと戻ってくる。

 カレは自分の手を見つめた。この手で紡いだ言葉が、定型歌を書き換えた。大地を動かした。人を守った。

 才能ゼロと言われた手だ。何の価値もないと言われた歌だ。

 でも——今日、この手は誰かの盾になった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ