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歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


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斥候

 その日、カレとセッポは薪拾いに出ていた。

 カトゥマ廃村から南に半刻ほど歩いた森の中。倒木が多く、乾いた枝が豊富に手に入る場所だった。セッポが手斧で枝を払い、カレがそれを束ねて背負う。いつもの作業だった。空は灰色の雲に覆われ、冷たい風が木立の間を吹き抜けている。

 だがカレの足が、ふと止まった。

「セッポさん」

「ん?」

「静かにしてください」

 セッポは手斧を下ろし、眉をひそめた。カレの表情が真剣だったからだ。

 カレは耳を澄ませた。いや、耳ではない。全身で、森の気配を聴いた。修行で身についた感覚。世界が何を言おうとしているか、言葉で受け取る力。

 森の空気が——歪んでいた。

 自然な気配の中に、人為的な何かが混じっている。木々のルーノの流れが、ある一点で乱れている。まるで透明な水の中に、一滴だけ墨汁を垂らしたような違和感。定型歌の残響だった。微かだが確かに、誰かがルーノを使った痕跡があった。

「足音を消す定型歌だ」

 カレが囁いた。セッポの顔色が変わる。

「まさか——あの歌う野盗が」

「あそこ」

 カレが視線で示した先、五十歩ほど離れた木立の影に人影があった。

 痩せた男だった。擦り切れた旅装に、腰には略奪品らしき袋を下げている。男は廃村の方角を見つめ、何かを探るように頭を巡らせていた。時折立ち止まっては、空気の匂いを嗅ぐような仕草をする。鼻で匂いを嗅いでいるのではない——歌術師の感覚で結界の構造を読んでいるのだ。

 カレとセッポは木陰に身を隠した。息を殺して男を観察する。

 男は結界の端に沿うように歩いた。カレの目には見えないが、ロヴィアタルの結界がこの辺りに張られていることは知っている。男はその境界線を正確に辿っていた。時折足を止め、手をかざし、小さな声で何かを呟く。感知系の定型歌だ。結界の強度を測っている。

 やがて男は頷いた。満足したように一つ首を振ると、来た方向へ戻り始めた。足音を消す定型歌を使い直し——一歩、二歩、三歩。木立の間に姿が溶けていく。最後に男の背中が見えたとき、腰の袋の中でガラス瓶のようなものが鳴った。薬草か、あるいは盗んだ薬か。

 人影が完全に消えてから、セッポが口を開いた。

「やつら、ここを見つけやがった」

 顔が青ざめている。手斧を握る指が白くなっていた。

「結界があるのに」

「結界は完璧じゃない。ばあさんも言ってた——歌術師が本気で探せば、粗が見えるって。あいつは斥候だ。結界の位置と強度を測って、仲間に報告するつもりだろう」

 二人は薪を捨てて廃村に走った。


 ロヴィアタルの家に飛び込むと、老婆は薬草を煮ていた。囲炉裏にかけた鉄鍋から、苦い匂いが立ちのぼっている。カレが息を切らせて報告する。

「斥候です。歌術師が一人、結界の周りを調べていた。感知系の定型歌を使って、結界の構造を読んでいました」

 ロヴィアタルの手が止まった。薬草をかき混ぜていた棒を鍋の縁に置き、老婆はゆっくりとカレを見た。

「斥候が来たということは、本隊が近い」

 老婆の声に怯えはなかった。淡々と、事実を確認するように言った。だがその目には鋭い光があった。

「そいつの使った定型歌の痕跡を感じたかい」

「足音を消す歌と、感知系の歌。それに——何か別の痕跡も微かに。結界の強度を測るときに、小さな衝撃波のようなものを結界に当てていたと思います」

「ほう。衝撃波の痕跡まで感じ取れるようになったか」

 ロヴィアタルが立ち上がった。杖を突いて窓辺に歩き、外を見つめる。灰色の空の下、森の木々が風に揺れている。何も変わらない景色。だがその向こうに、脅威が潜んでいる。

「感知系の定型歌を使いこなせるのは、ルーノラで中級以上の教育を受けた者だ。しかも斥候を使って組織的に動いている。リーダーはそれなりの使い手だろう」

「どれくらいの」

「中級歌術師。元ルーノラの教官クラスだろうね」

 ロヴィアタルが振り返った。右目の古傷の下で、灰色の瞳が冷たく光っている。

「飢饉で弟子を失い、職を追われ、自暴自棄になった男——そういう手合いが一番厄介だ。力はあるが、守るべきものを失っている。怖いものがないからね。何もかも失った人間に、脅しは通じない」

 老婆が囲炉裏の火を見つめた。

「結界を最大強度に張り直す。少しでも時間を稼がないと」

 ロヴィアタルが目を閉じ、歌い始めた。古い歌。カレが修行で聞いたどの歌よりも複雑で、深い旋律だった。言葉は聞き取れない。定型歌のように決まった歌詞があるのではなく、もっと流動的で、状況に応じて変化する歌。老婆の歌声に応じて、廃村を取り巻く空気が微かに震えた。壁を隔てた外の空気にまで、その震えが伝わっていく。

 結界が強化されていく。

 だがカレは見ていた。ロヴィアタルの手が震えていること。歌い終わった後、老婆が杖に体重を預けて肩で息をしていること。額に浮かんだ汗が顎を伝って落ちたこと。結界の強化が、体力を大きく削ったことは明らかだった。

「ばあさん——」

「カレ」

 ロヴィアタルがカレの言葉を遮った。

「お前に頼むことになるかもしれない」

 その目は真剣だった。冗談でも脅しでもない。老婆の灰色の瞳には、カレがこれまで見たことのない厳しさがあった。

 カレは拳を握った。手が震えていた。だが——逃げるつもりはなかった。

 夜になると、廃村の外から微かに歌声が聞こえた。結界の向こうで、複数の声が響いている。歌術師団が集結しているのだ。定型歌の旋律が夜の空気を伝い、カレの全身に冷たい震えを走らせた。

 明日か、明後日か。戦いは避けられない。


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