歌う野盗
その旅人は、血まみれで廃村に辿り着いた。
カレとセッポが薪を運んで戻ったとき、廃村の入口に人が倒れていた。中年の男で、商人か行商人のなりをしている。衣服は泥と血で汚れ、右腕を庇うように体を丸めている。意識はあったが、目の焦点が合っていなかった。顔は土気色で、唇が干からびている。
「おい、しっかりしろ!」
セッポが薪を投げ捨てて男の体を抱え起こした。カレが腰の水筒を差し出す。男はがぶがぶと水を飲み、むせて咳き込んだ。
「……歌う野盗だ」
男がかすれた声で言った。
「何だって?」
「歌う、野盗。歌術師が徒党を組んで——村を、襲っている——」
男の声は途切れ途切れだった。カレとセッポは顔を見合わせた。
男をロヴィアタルの家に運び込んだ。マルヤが傷の手当てをする。右腕は折れてはいなかったが、ひどい打撲で紫色に腫れ上がっていた。肋骨にもひびが入っているかもしれない。ロヴィアタルが薬草のルーノを使って痛みを和らげ、マルヤが包帯を巻く間に、男は途切れ途切れに話した。
三日前、男が住んでいたメッツァラ集落が襲われた。メッツァラはカトゥマから東に二日ほどの小さな集落で、林業と炭焼きで細々と暮らしていた。カレも名前だけは聞いたことがある。セッポが以前、炭を買い付けに行ったことがあると言っていた。
相手は五人か六人の一団だった。夜明け前に現れ、まず門を壊した。鉄のルーノで門の蝶番を砕き、風のルーノで門を吹き飛ばす。住人が飛び起きた頃には、既に食糧庫に火を放っていた。抵抗する者には風のルーノで吹き飛ばし、逃げる者は追わなかった。食糧だけが目的だった。
「手慣れた連中だった」
男が歯ぎしりした。
「まるで軍隊みたいに統率が取れていた。号令をかける奴がいて、残りが手分けして動いていた。素人の野盗じゃない」
「定型歌を使う連中だ。本物の歌術師だよ。ルーノラで修行した、ちゃんとした歌い手だ。あんなのが来たら、普通の人間にゃ手も足も出ねえ」
「歌術師が……略奪?」
カレの声が硬くなった。歌術師は人々を守る存在のはずだ。少なくとも、カレがソルミ村で教わったのはそういう話だった。村のルーノラ分校では、歌術師は尊い存在だと叩き込まれた。才能のある者が定型歌を学び、人々の暮らしを歌で支える——それがルーノイヤの使命だと。
「リーダーは元ルーノラの教官だって聞いたよ」
男が苦い顔で言った。
「弟子を十人以上育てた腕利きだったらしい。だが飢饉でルーノラが閉鎖されて、弟子は散り散りになった。行く当てもなく、食い物もなく——そうなりゃ、力のある奴は力で奪う道を選ぶさ」
「飢饉のせいさ」
セッポが苦い顔で腕を組んだ。
「ルーノラが閉鎖されたって話は前から聞いてたろう。弟子は散り散り、給金は出ない。食い扶持を失った歌術師が、食うために徒党を組んだ——そういうことだ」
カレは黙った。
歌の力を持つ者が、その力で人から奪う。飢えに追い詰められて、守るべき相手を襲う側に回る。それが飢饉の現実だった。
旅人は傷の手当てを受けた後、少し食事を摂って眠りについた。貴重な食糧を分けるのは痛手だったが、マルヤもセッポも何も言わなかった。目の前で倒れた人間を見捨てられる人間は、この廃村にはいない。
カレはロヴィアタルの家に向かった。
老婆は囲炉裏の前に座り、薬草を刻んでいた。カレが旅人の話を伝えると、ロヴィアタルは手を止めずに頷いた。
「驚かないんですね」
「飢饉が長引けば、そうなるのは時間の問題だったさ。歌術師だって人間だよ。腹が減れば道を踏み外す。歌の力は人を善くも悪くもしない。使う者の心次第さ。そしてその心は——飢えに負けることがある」
カレは拳を握った。怒りではない。悲しみに近い何かだった。歌の力を持つということは、人を守れるということだ。ソルミ村のルーノラ分校で、そう教わった。歌い手は尊い存在。人々の暮らしを支える柱。
だがその柱が折れたとき、残るのは力だけだ。目的を失った力。腹を空かせた力。それは武器になる。
「ルーノラの教官だった男が、なぜ野盗に」
「想像がつくよ」
ロヴィアタルが薬草を刻む手を止め、遠い目をした。
「弟子がいた。守るべき者たちがいた。それが飢饉で全部消えた。弟子は散り、学院は閉じ、教え子たちは飢え死にしたか別の土地に逃げたか。そうなったとき、残るのは歌の力だけだ。力だけが残って、使い道を失ったとき——人は壊れるんだよ」
カレは黙った。その話は、どこか自分にも重なった。才能ゼロと言われたカレは、力すら持てなかった。だがもし力を持っていて、それでも全てを失ったとしたら——自分はどうなっていただろう。
「ここの結界はどこまで持ちますか」
「結界は目隠しにはなる。廃村があることを外から気づかれにくくする程度だ。だが歌術師の攻撃には——」
ロヴィアタルが刻んでいた薬草を器に入れ、渋い顔で首を振った。
「歌術師が本気で探せば、結界の粗は見える。ましてや元ルーノラの教官クラスなら、結界の構造を読むくらい朝飯前だ。時間の問題だろうね」
「じゃあ——」
「お前の修行を早めなきゃならんね」
老婆が立ち上がった。杖を突く手に力がこもっている。その力の入り方に、覚悟のようなものが見えた。
「実戦を見据えた稽古に切り替える。明日から内容が変わる。覚悟しておきな」
カレは頷いた。胸の底に、冷たい予感が沈んでいる。
歌で人を守るべき者たちが、歌で人を襲っている。カトゥマ廃村にも、その刃が向けられるのは時間の問題だった。
カレの修行は、もう悠長ではいられない。




