枯れた畑
麦が枯れていた。
朝露が乾ききった畑に立ち、カレは眉をひそめた。十日前にはまだ緑を保っていた穂が、今は黄ばんでしなだれている。芋の葉も萎れ、蕪は地中で縮んでいるのが手触りでわかった。畑全体が病に冒されたように、力なく沈んでいる。
「こりゃあまずいな」
隣に立つセッポが腕を組んだ。元は別の村の農夫だったこの男は、畑の状態を見るだけで先行きがわかる。
「この調子だと、次の収穫は半分以下だ。いや、三分の一かもしれん。去年もひどかったが、今年はもっとひどい。土が死にかけてる」
「備蓄は?」
「干し肉が少し。塩漬けの魚が樽で三つ。麦の粉が袋で四つ。まともに食わせたら半月もたない」
カレは畑を見渡した。カトゥマ廃村の畑は小さい。村人が全員手を入れてもひと畝が限界だった。ロヴィアタルが薬草のルーノで土を肥やし、セッポが汗を流して耕してきた。それでもこの有様だ。大地そのものが力を失っている。
「近くの村に買い出しに行ければいいのだけど」
マルヤが水瓶を抱えてやって来た。
「どの村も門を閉ざしているわ。自分たちの食い扶持で手一杯なのよ。先週、東の街道で物売りの行商人を見かけたけれど、食糧の値段は去年の三倍だったわ」
飢饉はカトゥマ廃村だけの問題ではなかった。カレヴァの地全域を蝕んでいる。サンポが失われてからずっと、世界は少しずつ冷え、少しずつ枯れてきた。今年はそれが一段と酷い。ソルミ村でもそうだった。だからこそカレのような「口減らし」が追放されたのだ。
カレは枯れかけた麦の穂に手を伸ばした。指先で触れると、穂が力なくしなった。かさかさに乾いた穂先が、カレの指の間からこぼれ落ちる。
「俺のルーノで、畑を助けられないかな」
セッポとマルヤが顔を見合わせた。
「やれるもんならやってくれ。だがお前の力は——」
「わかってる。まだ小さい。でも試してみたい」
午後、カレは修行を早めに切り上げた。ロヴィアタルに「畑のことを試したい」と言うと、老婆は黙って頷いた。その顔には何の表情もなかったが、カレを止めなかったということは——試す価値があると思ったか、あるいは失敗を通じて学ばせるつもりか。どちらにしても、ロヴィアタルの教え方だった。
夕方、カレは一人で畑に立った。修行で学んだことを思い出す。真の名を感じ取り、言葉で呼びかける。対象の本質に触れ、その力を引き出す。
枯れかけた麦に向かって意識を集中した。全身で聴く。麦のルーノを感じ取ろうとする。
だが——何かが違った。
いつもの修行とは手応えが違う。麦の声が極端に弱い。樹や火のように明確な「声」が返ってこない。まるで息絶えかけた病人の呼吸のように、かすかで途切れがちだ。声というよりも、呻きに近い。
「お前は……」
カレが言葉を紡ごうとした。だが麦から返ってくる応答が微弱すぎて、真の名が掴めない。本質に触れようにも、相手が弱りすぎていて手応えがない。水面に手を入れようとしたら、水がほとんどなかったような感覚。
無理に歌いかけてみる。
「お前は実りだ。大地の恵みだ。もう一度——」
麦の穂が一瞬だけ持ち上がった。わずかに緑が戻った一株。葉の先が微かに震え、ほんの少しだけ生気を取り戻す。だがそれだけだった。隣の株は無反応で、その隣も、その隣も。見渡す限りの畑の中で、一株だけ。
カレは膝をついた。額に汗が浮かんでいる。歌っただけで、こんなに疲れたのは初めてだった。
「足りない……」
背後から足音が聞こえた。杖が地面を突く、規則的な音。
「お前の力のせいじゃない」
ロヴィアタルが杖を突きながら歩み寄ってきた。畑の惨状を見渡し、老婆は静かに息を吐いた。目を細め、畑全体を見つめるというよりも、畑の向こうに広がる世界を見つめているようだった。
「世界の歌そのものが弱っている。大地の中のルーノが枯れかけている。サンポが失われた影響は、こういう形で出るんだ」
「サンポが……」
「お前がどれだけ力をつけても、世界のルーノの循環が止まっている限り、大地を本来の姿に戻すことは一人の歌い手にはできない。水を汲み上げても、井戸そのものが枯れていたら意味がないのと同じさ」
ロヴィアタルが枯れた麦の穂を一本、手に取った。指先で穂を転がし、殻を吹き飛ばす。中身は空っぽだった。実が入るはずの場所に、何もない。
「この麦のルーノは死にかけている。大地のルーノが弱すぎて、麦に生きる力が行き渡らない。お前が一株を助けても、次の日にはまた枯れるだろう。根本が断たれているんだ」
カレは枯れた麦の穂を見つめた。サンポが失われたから、世界が枯れている。それはロヴィアタルから聞いた。だが知識として知っていることと、目の前の畑で実感することは違った。
ここに住む人たちは、この畑で食べている。この畑が枯れれば、みんなが飢える。マルヤの温かな汁物の材料がなくなる。ヴェイッコの小さな体に行き渡る栄養がなくなる。セッポの豪快な笑い声が消える。
カレの小さな力では、目の前の一株を救うのが精一杯だった。
「……いつか」
カレは立ち上がった。泥のついた膝を払う。
「いつか、この飢饉を終わらせる方法は、あるんですか」
ロヴィアタルは答えなかった。ただ杖を突いて、畑の端まで歩いていった。その背中が夕陽に照らされて、いつもより小さく見えた。頭巾の下の白い髪が風に揺れている。
サンポが失われたから、世界が枯れている。カレの小さな力では、目の前の畑すら救えない。
だがいつか——この飢饉を終わらせる方法があるとしたら。




