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歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


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小さな居場所

 日々は穏やかに流れた。

 ロヴィアタルの言う「地獄」はまだ始まっていない。「まず体を作れ。ろくに食べてなかった奴に、いきなり歌を教えても身にならない」と言われ、カレは廃村の暮らしに本格的に加わった。

 畑を耕し、薪を割り、水を汲み、薬草を摘む。朝は日の出とともに起き、夜は暗くなれば寝る。ルーノに頼らない生活は重労働だったが、体を動かすたびに力が戻ってくるのがわかった。腕の肉がつき、足が太くなった。顔色も変わったとセッポに言われた。


 朝、畑に出た。

 麦畑は廃村の東側にある。半畝ほどの小さな畑だが、住人の食糧を支える命綱だ。マルヤが先に来ていた。ヴェイッコを背負い、鍬を振るっている。小柄な体で鍬を持ち上げるのは重そうだが、慣れた手つきだった。

 カレが横に並ぶと、マルヤは微笑んだ。

「おはよう、カレ。今日は根菜の間引きをお願いできる?」

「はい」

 膝をついて土に手を入れる。朝露に濡れた土の感触。冷たいが、手のひらに生命の気配が伝わる。小さな芽が並んでいる。育ちの悪いものを選んで抜く。ルーノの力がない分、一つ一つ手で確かめるしかない。芽の太さ、葉の色、根の張り具合。指先で触れて判断する。ロヴィアタルに教わった方法だ。

 ヴェイッコがマルヤの背中からカレを見ている。

「おにいちゃん、きょうもうたう?」

「あとでな」

「やくそく?」

「約束」

 ヴェイッコが嬉しそうに笑った。小さな手を振って、マルヤの首にしがみついた。カレの口元も、知らず緩んでいた。ソルミ村では子供に話しかけられることすらなかった。「あの人に近づくな」と親に言われていたから。


 昼前、水汲みを済ませてからセッポの作業場を訪ねた。

 セッポの「作業場」は廃村の端にある崩れかけた小屋だ。中に鉄床と簡素な鍛冶道具が並んでいる。元は炭焼き小屋だったらしい。セッポはそこに鍛冶場を作り、廃村の道具の修繕や刃物の研ぎ直しをしていた。

 セッポは元鍛冶屋だった。ソルミ村より西の、カラヤという町で鍛冶を営んでいたが、飢饉で客が途絶え、食いっぱぐれてカトゥマに流れ着いたという。

「ばあさんが拾ってくれたんだよ」

 セッポは斧の刃を砥石で研ぎながら言った。大柄な男で、手は厚く、指は太い。鍛冶屋の手だ。だが声は穏やかだった。

「ここに来た時は、わしも何もかも失ったと思っとった。鍛冶場も道具も、家族もな。女房は飢饉の二年目に病で死んだ。子供はいなかった。一人で路頭に迷って、森をさまよって——気がついたらここにいた」

 カレは砥石に水をかけながら聞いていた。自分と似ている。行き場を失い、森をさまよい、この廃村に辿り着いた。

「ばあさんが『腕があるなら使いな』と言って、道具を揃えてくれた。最初は恩返しのつもりだったが、いつの間にか居場所になっとった」

 セッポが砥石を止め、斧の刃を光に透かした。

「ここにはな、上手いとか下手とか、才能があるとかないとか、そういうことを言う奴がいないんだ。できることをやる。それだけだ」

 セッポの言葉が、静かにカレの中に沈んでいった。できることをやる。それだけ。才能の数値も、測定器の結果も、ここでは意味を持たない。


 午後、ロヴィアタルの薬草園の手入れを手伝った。

 雑草を抜き、水をやり、伸びすぎた枝を剪定する。ロヴィアタルは隣で別の作業をしながら、時折カレに指示を出した。

「その草は抜くな。薬草の根に絡んで支えになっている」

「この枝は切っていいんですか」

「ああ、切りな。枝が多すぎると根が疲れる。人間と同じだ。抱え込みすぎると体を壊す」

 何気ない助言だが、カレは妙に胸に残った。抱え込みすぎると体を壊す。


 夕方、約束通りヴェイッコに歌を歌ってやった。

 共同食卓の片隅で、小さな声で歌う。今日のことを。畑の土のこと、根菜の芽のこと、セッポの砥石の音のこと、薬草園の花のこと。つまらない歌だ。何の魔法もない、ただの言葉の羅列。定型歌の試験なら採点すらされないだろう。

 だがヴェイッコは手を叩いて喜んだ。マルヤが横で微笑み、セッポが「いい歌だ」と頷いた。

 歌の上手下手ではなかった。才能がゼロかどうかも関係なかった。歌ってくれることが嬉しいのだ。ヴェイッコにとって、カレの歌は「才能ゼロの失敗作」ではなく、ただの「おにいちゃんの歌」だった。

 その単純な事実が、カレの胸を温かくした。


 夜、ロヴィアタルの家の前で星を見ていた。

 空は澄んでいた。飢饉の影響で空気が乾いているせいか、星がやけに近く見える。手を伸ばせば触れられそうだ。

「座っていいかい」

 ロヴィアタルが杖をつきながら隣に腰を下ろした。老体には冷えるだろうに、薄い毛皮の肩掛けだけで出てきた。

「ここは好きかい」

 カレは少し考えて答えた。

「……はい。好きです」

 嘘ではなかった。ソルミ村では一度も言えなかった言葉だ。ここが好きだ、と。

「そうかい」

 老婆は星を見上げた。白い髪が夜風に揺れている。

「だがね、長くは持たん」

 声のトーンが変わった。カレは横を見た。ロヴィアタルの顔は暗がりの中で読み取れない。

「食糧の備蓄が減っている。畑の収穫だけじゃ、全員を養えない。あと二月もすれば底をつく」

 飢饉だ。カレヴァ全域を覆う飢饉は、この森の奥の廃村も例外ではなかった。ロヴィアタルの結界が森を守り、薬草園が住人の健康を支えているが、食糧だけはどうにもならない。畑が小さすぎる。ルーノの力で増産することもできない。

 カレの表情が曇った。ここも——ソルミ村と同じ運命を辿るのだろうか。食えない者を切り捨てるしかない状況が来るのだろうか。

「俺に何かできることはありますか」

 カレは訊いた。声に力を込めた。

 老婆は少し間を置いた。星を見上げたまま。

「あるよ」

 その声は、低く、確かだった。

「お前にしかできないことが」

 カレの目を見ない。星を見上げたまま、ロヴィアタルは言った。

「だが、急ぐな。体ができてからだ。焦っても碌なことにならない」

 それ以上は語らなかった。老婆は杖をつきながら立ち上がり、家に戻った。


 寝台に横たわり、天井を見つめた。

 食糧が底をつきかけている。この廃村も、やがて限界を迎える。ロヴィアタルは「お前にしかできないこと」があると言った。それが何かはわからない。歌に関係していることだけは、なんとなく感じている。

 だが今は——守りたいものができた。

 ヴェイッコの笑顔。セッポの穏やかな声。マルヤの柔らかい微笑み。ロヴィアタルの——からからと乾いた笑い声。

 守りたいものができた。それは追放された十九の若者にとって、生まれて初めての感情だった。


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