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歌えない魔法使いは追放された ~才能ゼロの烙印を押された歌は、世界を創り変える禁呪だと誰も知らない~  作者: 蒼月よる


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物差しが間違っている

 カトゥマ廃村に来て、五日が経った。

 体力が少しずつ戻ってきている。毎日の畑仕事と薬草園の手入れ、セッポの薪割りの手伝い。食事は質素だが、三食をきちんと摂れるようになった。干し肉と根菜の入った粥が朝と晩、昼は薬草園の仕事の合間に硬いパンを齧る。ソルミ村の末期よりましだった。あそこでは一日一食が当たり前だった。

 その朝、ロヴィアタルがカレを呼んだ。

「ついてきな、ゼロの子」

 杖をつきながら先に立つ老婆の背中を追いかけ、廃村の裏手の森に入った。朝の森は静かだった。木漏れ日が地面に斑を作り、鳥が枝の上で鳴いている。空気が冷たいが、不快ではない。清涼な冷たさだ。

 木々の間を十分ほど歩くと、開けた場所に出た。円形に木が刈り払われた空間で、中央に平たい岩がある。岩の表面には古い紋様が刻まれていた。苔と地衣類に半ば覆われているが、紋様の線は深い。相当古いものだ。ロヴィアタルの杖に刻まれた紋様と、似た系統に見えた。

「ここはわしの場所だ。話がある」

 ロヴィアタルが岩に腰を下ろした。カレはその前に立ったまま、老婆を見下ろした。小柄な体が岩の上に座ると、まるで森の一部のように見えた。


「お前の歌を聴いて、思い出したことがある」

 老婆の声はいつもより低かった。真剣な話をする時の声だ。

「わしは昔、歌い手だった。お前と同じ——いや、お前とは逆だ。わしは才能があった。ありすぎたくらいにね」

 カレは黙って聞いた。

「若い頃、ヴァイノラの大ルーノラにいた。歌唱成績は首席。定型歌の再現度は評議員が舌を巻くほどだった。先生方はわしを神童だなんだともてはやしたよ。四十種の定型歌を一年で覚え、三年で百種を超えた。同期の中で、わしに並ぶ者はいなかった」

 ロヴィアタルの目が遠くなった。過去を見ている目だった。遠い昔の、もう戻れない場所を見ている。

「だがね、気づいたんだよ。定型歌の向こうに——もっと古い歌がある」

 声が小さくなった。独り言のように。

「大ルーノラの奥の書庫に、封印された古文書がある。定型歌が体系化される前の時代の記録だ。そこに書いてあったんだ。『原初のルーノ』『言葉で世界を紡ぐ歌い手たち』——定型歌なんて、後の世代が便利なように整理しただけだ。効率よく使うために、歌を型にはめただけだ。本来のルーノは、もっと——」

 言葉を探すように、ロヴィアタルが宙を見た。梢の間に見える空は青かった。

「もっと自由で、もっと危険で、もっと美しかった。型なんかなくて、歌い手の言葉そのものが世界に触れる歌だった」


「それを研究したんですか」

 カレが訊いた。

「ああ。古い文献を掘り起こし、失われた旋律を復元しようとした。定型歌の外にある歌を追いかけた。大ルーノラの書庫に篭もり、夜通し古文書を読み、自分でも古い歌を歌ってみた。成果が出た時は嬉しかったよ。忘れられた旋律が一つ蘇るたびに、世界の見え方が変わった」

 老婆の口元が苦く歪んだ。

「だがね。大ルーノラの評議会は、それを許さなかった。『定型歌の体系を否定する危険思想だ』とね。定型歌は秩序の根幹だ。それを揺るがすような研究は認められない。古い歌の研究は封じられ、わしの書いた論考は焼かれ、わしは異端者の烙印を押されて——追放された」

 追放。その言葉が、カレの胸に刺さった。ソルミ村で聞いた言葉と同じだ。形は違っても、意味は同じだ。物差しに合わない者は、弾かれる。

「わしもお前と同じだよ」

 ロヴィアタルがカレの目を見た。薄い青灰色の瞳は、穏やかだがどこか鋭い。

「物差しに合わなかっただけだ。わしは才能がありすぎて追放された。お前は才能が測れなくて追放された。だが結果は同じだ。枠に入らない者は、外に出される」


 沈黙が落ちた。

 森の中で鳥が鳴いている。風が木の葉を揺らしている。カレは老婆の話を噛み砕いていた。大ルーノラの首席が追放された。定型歌の外にある歌を追いかけたせいで。物差しの外にいるという点で、ロヴィアタルとカレは同じだ。

「もう一度歌ってみな」

 ロヴィアタルが言った。声のトーンが変わった。真剣な——いや、期待を隠しきれない声だった。

「さっきの——いや、お前がいつも歌ってる、あの『間違った歌』を」


 カレは立ったまま目を閉じた。

 何を歌えばいい。何でもいい。いつもそうだ。目の前にあるものを言葉にするだけ。

 森のことを歌った。木々の幹のこと。その下を流れる水のこと。根が吸い上げる土の力のこと。枝の先に芽吹きかけた新しい葉のこと。言葉は拙く、旋律は素朴だった。定型歌の完成された美しさとは比較にならない。

 だが歌い始めた瞬間、足元の草が微かに揺れた。風はない。空気は静かだ。なのに、カレの言葉に呼応するように、地面の緑がさわさわと震えている。岩に刻まれた古い紋様が、ほんの一瞬だけ光を帯びたように見えた。


 歌い終えた。

 ロヴィアタルは腰かけた岩の上で、じっとカレを見ていた。さっきまでの懐旧の表情は消え、真剣な——研究者の目をしている。観察している目だ。

「お前の歌は間違っていない」

 静かに、しかしはっきりと言った。

「間違っているのは、物差しのほうだ」

 カレの胸が跳ねた。

「どういう……意味ですか」

「ルーノラの才能測定は、定型歌の再現度を測る道具だ。定型歌を正確に歌える者が高い数値を出す。だがお前の歌は定型歌じゃない。定型歌の枠に収まらない歌を測定器に通しても、『該当なし』としか出ない。当たり前だよ。物差しが違うんだから。升で長さは測れないのと同じだ」

 カレは声が出なかった。

「じゃあ、俺は……才能ゼロじゃない?」

 震える声で訊いた。ロヴィアタルは直接は答えなかった。代わりに——

「『古い歌』というものがある。『本来のルーノ』とでも呼ぶべきもの。定型歌が体系化される遥か前に、世界と直接対話する歌い手たちがいた。その歌は定型歌とは根本的に違う。型がない。言葉そのものが力を持つ」

 老婆が立ち上がり、カレの前に来た。小柄な体が、カレの前に真っ直ぐ立っている。

「お前がゼロかどうか、わしには断言できない。だがお前の歌の中に——わしがずっと探していたものの欠片がある。それだけは、確かだ」

「……教えてください」

 言葉が口をついて出た。考える前に。胸の奥から押し出されるように。

「古い歌を。本来のルーノを。俺に教えてください」

 カレは頭を下げた。深く。額が草に触れるほど。

 ロヴィアタルの口元が、ゆっくりと笑みの形になった。からからと乾いた笑い声が森に響いた。枝の上の鳥が驚いたように飛び立った。

「明日から地獄だよ」

 その言葉には、脅しと——どこか嬉しそうな響きがあった。長い年月を待った人間の、やっと報われるかもしれないという声だった。


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