398.冷遇令嬢はおなじくらい
雨中の行軍。テンゲル動乱を平定するためコショルーを目指した日々を思い出す。
軍用外套のフードを鳴らす雨粒が、時折、頬にもあたって、それが心地いい。
奇襲攻撃で勝利を確信するバスチアンに、ちゃんと後を追ってもらえるよう、ぬかるんだ地面にはしっかりと馬蹄の跡を残す。
「うひひひひ~っ! 楽しいなぁ~っ!」
ゼンテの馬の前に乗せてもらって、ピピンは大はしゃぎ。外套のフードもはずして、雨に打たれるまま、せっかくのお化粧をドロドロに溶かして、それも楽しんでいた。
「さあ、わたしの道化師様? 最高の舞台を用意いたしますわよ」
「うひっ! かしこまりましてございますですわよ! 私の女帝様っ!」
幻灯騎士団を先行させ、わたしたちは行軍のスピードをすこし落とす。
後を追ってくるバスチアンと、追い付けそうで追い付けない距離を保たなくてはならない。
ガストンの知略は鋭かったし、ヴァレリアンの軍略にも目を瞠らされた。
だけど、彼らはまだバスチアンを見誤っている。心の奥底に残る、バスチアンとの友情の記憶が目を晦ませている。
大河帝国軍の出現や、妹ソレーヌの離反で、バスチアンは思考を止めたりしない。
なぜなら、バスチアンは散々に自分に尽くしてくれた妹ソレーヌことですら、ただの使い捨ての道具だとしか見ていない。
バスチアンはわたしの鏡映し。
エイナル様に出会わなかったわたしの姿。過去の怨みに足を取られた、復讐心だけの怪物。
情や血縁でバスチアンの思考が鈍ることなど万に一つもなく、動く動機は常に自身の傷を埋める飽くなき略奪と蹂躙だけ。
大河帝国軍の出現にも、まだ自分が蹂躙できる、あらたな獲物が現れたとしか映らないことだろう。
バスチアンは、すぐさま自らの目と耳が塞がれていたことに気が付き、諜報網を立て直してくる。
地母神王国を包囲するバスチアンの兵を、超高倍率の望遠鏡で見張らせていた密偵から、
――バスチアンの側近とおぼしき将官クラスの騎馬が数十騎、戦線を離脱した。
との報告が届いて、わたしは自分の見立ての正しさを確信した。
バスチアンはペルデュ平原に向かうと見せかけ、必ず大河帝国軍の急所を狙う。
その急所とは、わたしだ。
先鋒を四手に分け、中軍は三手に分けて、行軍の隊列を広く長く伸ばしたのは、わたしが隙を見せたと思わせるため。
丘陵地帯の窪地。
地図の上だけで判断するなら、これ以上なく守りやすい要害に見える。
わたしが行軍を止めて小休止するなら、ここしかない。
だけど、その実は、奇襲に適した『必死』の地形だ。重なり合う小高い丘は迂回や奇襲を可能にする天然の目隠しになる。
そして、広い平野部とは異なり一度に展開できる兵数に限りがあって、バスチアンの手元に残る兵力でも充分に勝負になる。
これを見落とすバスチアンではない。
わたしをこの丘陵地帯にある狭間のような窪地で討って、大河帝国軍を崩壊させたら、あとは得意の奇襲攻撃で各個撃破できるとバスチアンなら考えるはずだ。
そして、バスチアンの密偵が、この地の民に猫なで声ですり寄り、わたしに献上する食糧とお酒を提供したことを、わたしの密偵が察知した。
民はなにも知らずに、ただわたしと解放を喜び合ってくれただけ。
だけどその裏では、広大な大陸を盤面とした、わたしとバスチアンの見えざる刃が交錯していた。
わたしを餌に、バスチアンを釣り出す。
地形上、不自然には見えない撤退経路。しかも、ほかの大河帝国軍や、離反した功臣たちの軍勢からは離れていく。
取り乱したわたしが、安全を求めて地形上進みやすい経路を安易に選んでいるかのように見せかけながらの、無残な敗走。
完全なる偽装をやり遂げ、バスチアンに疑問を抱かせないために、テンゲル本軍からビルテさんを呼び寄せた。
バスチアンは馬蹄の跡も読むだろう。
わたしの周囲を、ルイーセさん、メッテさん、クラウス、ゲアタさん、そしてエイナル様といった剛の方々が堅く護っている陣形を、馬術にも優れた皆様の馬蹄の跡で見せつけ、それゆえに勝利を確信させる。
――追い付けば勝ちだ。
と、思わせる。
広大な大陸の迷路に嵌り込んだ大河の小娘を蹂躙できると、執拗に追い縋って猛追するはずだ。
ただし、ここからは互いに兵を疾走させる追撃戦。もはや密偵による敵兵の最新情報は双方が得られず、見えない相手の思考を読み合い、知謀を削り合う戦いになる。
バスチアンに「罠だ」と気付かせたら、取り逃がす。精鋭の兵だけを手元に残して広大な大陸を山賊のように彷徨われたなら、それを鎮圧するのには手を焼き、場合によっては再起を許してしまう。
だからこそ、影武者を立てるようなこともせず、わたし自身が囮となる。
――ここで、決しましょう。
細心の注意を払い、決死の撤退であるかのように見せかけていく。
夜が明け、日が昇っても山中を駆ける。
雨の上がった道中は、空気が澄んでいて心地がいい。
従う双燕騎士団の騎士たちは、カルマジン駐屯以来の精鋭ばかり。
テンゲル以外の他国から双燕騎士団に加わってくれた騎士たちは「算を乱して逃亡した」という体裁で別方向に散らした。
「……それでも、バスチアンなら確実にわたしの後を追ってくれますわ」
「ふふっ、信頼してるんだね」
頭上で、エイナル様が笑った。
「はいっ! バスチアンは天才ですから」
ここまでバスチアンの兵とは「2時間の距離」を保っているはずだ。
そして、バスチアンはまだ、こちらからの逆襲に備えて歩兵も連れているはず。
わたしは行軍を止め、素早く食事をとるようにと令を発する。
先は長い。体力勝負だ。
騎士たちは手ごろな石を積んで簡易の竈をつくり、湯を沸かして夜駆けで冷えた身体を温めていく。
竈から上がる煙が察知されないよう、木陰で火を起こす。
ほんとうは察知されてもいいのだけど、「察知されてもいい」と、こちらが考えていることを察知されたら困る。
馬にも水を飲ませて、強壮の餌を舐めさせ、休ませる。
1時間の小休止。
気力と体力を回復させた騎士たちと、ふたたび無残な敗走を再開させる。
バスチアンがここに追い付いたときには、必ず竈の跡に手を突っ込むはずだ。
そこに残るぬくもりから、わたしたちが火を焚いていた時間――小休止していた時間を読む。
――追い付ける。
と、確信させる。
2時間の距離が1時間に詰まったと、休みなく追撃を続けるはず。
夜通し宴会を続けた後の敗走。
騎馬だけで駆けるわたしたちの行軍スピードが、歩兵も連れる自分たちと同等であることを疑問には思わない。
むしろ、小休止を必要としたことが、疑念を払拭していく。
ふたたび起伏の激しい丘陵地帯を駆ける。
日が落ちても、ビルテさんの見事な指揮で道に迷うことはない。
「……たまに迷った跡を残す方が『それっぽい』ですかね……」
「いや。迷っても、その先をそのまま必死で駆ける方が『それっぽい』だろ」
ルイーセさん案を採用。
ここは小細工をせずに、必死の壊走を続ける。
日が昇り、ふたたび小休止。
竈をつくって、お湯を沸かす。
「……つくる竈の数を昨日の半分にしてください。わたしたちの兵が逃げ出しているように偽装します」
かるくお茶にして、携行食のパプリカを効かせた極太ソーセージと、チーズを練り込んだ堅焼きパンをいただく。
パプリカは風味付けだけでなく、防腐効果も高める。カロリーと塩分を同時に補給できて、行軍の携行食としては最適。
闇組織追討のときにもいただいた、ばあやの作。とても美味で気力も体力も蘇る。
そういえば闇組織追討のときには、ウルスラにクラウスとのことをヒソヒソ聞いていたわねと思い出して、クラウスに水を向けてみる。
「……ウルスラ殿? 可愛らしい御仁ですな……」
いつもの冷淡な口調で、脈があるのかないのか分かりにくい。
帰国してから見守ろうと腰をあげ、敗走を再開させる。
バスチアンがここに追い付いたとき、1時間の距離は30分に詰まり、竈の数から「ここが勝負どころ」と読むだろう。
そう。勝負どころなのだ。
バスチアンは歩兵を捨て、追撃のスピードを上げてくる。わたしたちに追い付くのは夕暮れ時。
だけど、わたしたちは、ほんのすこしだけスピードをあげる。
日が落ちた後の戦闘に持ち込む。
かすかな疑念を招いたとしても、ここまで追ってきたバスチアンが退くことはない。
空が茜色に染まる中、わたしは兵を二手に分ける。
まっすぐ敗走を続けたという馬蹄の跡を残す先行部隊。丘陵地帯から山岳地帯にさしかかる、急峻な渓谷を直進し、その先の大木を切り倒して進路を阻む。
わたしはビルテさん率いる別動隊と共に、馬を降りて、丁寧に馬蹄の後を消しながら渓谷の上に登った。
「うひひ……、準備万端だよぉ~!」
声を潜めたピピンが、口に手をあて出迎えてくれた。
お化粧はバッチリ直してあって、瞳の下では二羽の燕が舞っている。
別動隊は渓谷の両脇に身を潜め、日没と、バスチアンの到着を待つ。
軍用外套をまとったまま、ゴロンと地面に寝転がった。そして、藍色に染まっていく大陸の空を眺める。
「一番星ですわね……」
わたしが指さすと、エイナル様も一緒に見上げてくれた。
いろんな夜を思い出す。
きっと、バスチアンは来てくれる。
まだ一度も会ったことのない、兵法の天才。
輝くような金髪のロングヘアに、ソレーヌの実兄らしい整った眉目秀麗な顔立ちに、眉はキリッと太く、猛禽類のような鋭い眼光を放つという。
長身竜躯の堂々たる美丈夫。
その手法、治政、統率は決して認められないものの、一代で大陸を統一した英雄。
わたしが目を閉じ、その姿を脳裏に思い描いたとき、地面から振動を感じた。
「来てくれましたわ♪」
思わず声を弾ませたわたしに、エイナル様が苦笑いを浮かべる。
「……妬けるなぁ」
「え? バスチアンにですか?」
「だって、この間のコルネリアは、ボクのことよりバスチアンのことを考えてる時間の方が長かったよね?」
「そ、……そんなことありませんわ」
「ええ~っ?」
「お、おなじくらいです。おなじくらい」
「ふふっ、じゃあ、そういうことにしておこうか」
徐々に大きくなる馬蹄の音に、エイナル様も身体をかがめて身を潜めた。
わたしたちの眼下を騎馬の一軍が通り過ぎていく。耳をつんざくような烈しい馬蹄の轟音が、谷底から突き上げるように響き渡る。
「数はわたしの読み通り……」
すべての兵が渓谷に進入し、馬蹄の音がかすかに遠ざかる。
やはり、歩兵は連れていない。
バスチアンは、わたしの期待に完全に応えてくれた。
そのとき。渓谷の奥から、激しい馬のいななきが響き渡った。
――道を塞いだ大木に行き当たった。
一瞬、わたしと目配せを交わしたビルテさんが腕を降り下ろす。
同時に、渓谷の両脇から一斉に幻灯矢が打ち上げられる。
ピュィィィィー、先端に付けた笛の音が、荘厳に響き渡った。
中空、最高点に到達した幻灯矢から降り注ぐのは『白い粉』だ。
わたしが〈大河の麗人〉として大陸に〈お出かけ〉をしていた間にピピンが改良を加えていた、オリジナルブレンドの幻影投影機のスクリーン。
「わっはっはっはっはぁ~!!」
渓谷の上に潜む騎士団のみんなと声をそろえて、低い魔人の声を発する。
楽しんでる場合じゃないのだけど、なんだかとても楽しい。大河に帰ったらぜひ大声大会をやろう。
ピピンが試作中だった『共鳴殻式拡声器』も実戦投入。谷底では、大地を揺るがすような大音量で聞こえたはず。
そして、上空には赤、青、緑、黄色の肌をした4人の魔人が現れた。
恐慌をきたしたバスチアンの兵たちの頭上に、次々と絶え間なく幻灯矢を打ち上げ、ピピンがつくった悪魔の兵器――粒状にしたトリモチ兵器を雨あられと降らせていく。
その合間にはコショウを降らせ、カラシを降らせ、バスチアンの兵を無力化する。
上空では4人の魔人がなにやら喧嘩を始めていて、それが腹がよじれるほどにおもしろい。
「約束通り、戦場を劇場にしましたでございますわよっ! 女帝様っ!」
胸を張るピピンの頭を撫でるのだけど、笑い涙で視界が霞む。
渓谷の外に逃れようとするバスチアンの兵たちが、徐々にトリモチで引っ付き合い、身動きがとれなくなっていく。
くしゃみに悲鳴に、笑い声が混じる。
感情をぐちゃぐちゃにされながら、わたしはバスチアンの兵を制圧した。
本日の更新は以上になります。
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