396.冷遇令嬢は進軍を開始する
ナタリア陛下の介添えで姿を見せた、フロランス殿下。
褐色の肌に精悍な印象を受けたドリアーヌ殿下とは対照的に、抜けるような白い肌をされた、アッシュブロンドの長い髪が美しい、旧騎馬王国の王女の隣には、デジェーがいた。
「え? ……こちらも?」
ナタリア陛下が、やさしげな眼差しでふたりを見詰める。
「ふふふっ……、お似合いでしょう?」
「あ、うん。それはいいんだけどね、ナタリア陛下」
「こちらからフロランス殿下に無理強いした訳でも、政略結婚でもございませんのよ? ……気付いたら、自然とふたりが結ばれていたのですわ」
頬を薄紅色に染め、晴れやかな笑顔を浮かべたフロランス殿下が、はにかみながらわたしを見詰めた。
「……放っておけなくて」
亡国の王女の心の隙に取り入る……、などという器用なマネがデジェーにできるはずもなく、むしろ、フロランス殿下の方からデジェーを見初めたらしい。
可憐な容姿のフロランス殿下だけど、実は圧倒的なお姉さん気質であり、洗濯婦として潜伏していた間も腕まくりをして街の揉め事を解決していたという、なんとも肝の据わったお方だった。
わたしに向ける屈託のない笑顔からも、気風のいいご気性が透けて見えた。
一方のデジェーは、カルマジンでの過去や、大河騎士団の一員となった後も、エイナル様やクラウスと自分を比べて、常に劣等感と戦ってきた。
デジェーがモジモジと、藍色の髪をかき上げた。
「……汚れなんて洗えば落ちると。大事なことは、明日から泥をつけないことであると……、フロランス殿下からお言葉を賜りまして……。ふっ」
それは、わたしもエイナル様もクラウスも、そういえばビルテさんも、みんなが口を酸っぱくしてデジェーに言ってきたことだ。
――デジェーの心の奥深くまで言葉を届けられるお方と、ようやく巡り合えたということね……。
わたしやエイナル様の努力が無になったとは思わない。
巡り合わせとは、そういうものだ。
デジェーの魂を救うのが、わたしである必要はまったくない。
ビルテさんからお説教されて封印されていたはずの「ふっ」が、照れ隠しに漏れてしまったことも微笑ましい。
フロランス殿下が頬をポッと赤く染めた。
「お、落ち着くのです……。その、デジェー殿に話を聞いてもらうと」
「ふふっ、そうなのですわね」
「……ただひとりの王家の生き残りとして、自分が張り詰めているのだと気が付かされます」
「無理もございませんわね」
「いまは、いただけるものはいただき、助けていただけるところは素直に受け取り、いつかお返しできるように励めばいいのだと……、デジェー殿から学びました」
世話焼き女房のようでいながら、フロランス殿下がデジェーの横顔を見詰める眼差しには敬意がこもっていた。
――こ、これはアレね……。きっと、ふたりきりのときにはフロランス殿下の方がデジェーに甘えてるヤツね……。
と、頬を緩めながら、ふたりを見詰めた。
いまのデジェーは大河騎士団から再編された双燕騎士団の所属で、わたしの直臣だ。
こちらもヘラルト殿下と同様に、正式な承認と祝福を与え、即位式と結婚式を同時に執り行うことにした。
ふたりをさがらせ、ナタリア陛下を問い詰める。
「で、どうやったのよ? 自然と結ばれるとかないでしょう?」
「いえ、私はただ、フロランス殿下の身の回りのお世話に、デジェー殿を加えただけですわ」
すまし顔のナタリア陛下が、こともなげに言う。
だけど、そんなはずはない。
わたしの〈恋のナタリア先生〉だ。
「こう……、なにかふたりの距離を近付ける、なにかをしたんでしょ?」
「ふふっ……、コルネリア陛下がデジェー殿の心の中に撒いていた種が芽吹いて、花ひらいただけですわ」
「ええ~っ? 誤魔化そうとしてない?」
「いいえ、ほんとうに。……いまに大陸中で咲き乱れる花が、ほんのすこし先に咲いてしまったというだけですわ」
穏やかに微笑んだナタリア陛下から、煙に巻かれてしまったような気もする。
だけど、フロランス殿下がデジェーを求め、デジェーもまたフロランス殿下を求めているのであれば、わたしが止めるようなものでもない。
荒れ果てた旧王国の復興を掲げてフロランス殿下が即位するとき、その横にすでに王配の姿があれば、民の大きな希望となるだろう。
遊牧王国の王配となるヘラルト殿下と同様に、デジェーにも苦難の道が待っているはずだ。
だけど、かつて民の市井の中にこそ自らの〈生き場〉を見付けたデジェーは、きっとフロランス殿下を助けて、いい国をつくってくれるはずだ。
続いて、燕翼の茶会が監督下に置いていたソレーヌを呼び出し、引見する。
「私を、ロアンの女王に……」
「はい。正直に言いますね。傀儡の女王になってほしいのです」
「……分かりました。もとより、兄様が広げてしまった地獄をたたみに、コルネリア陛下のお供をさせていただくと誓ったこの身です。なんなりとお使いくださいませ」
ソレーヌの表情はヴェールに覆われ、窺い知ることはできない。
だけど、とても穏やかな声音だった。
王国、王位を嫌悪するバスチアンは、ロアン王国を廃絶の上、あらたに帝国を建てるという手順をとっていた。
つまり、ロアン王国はバスチアンの手で一度滅亡したと、法的には解釈できる。
そこを突く。
ロアン帝国には法的継続性がなく、実は軍事力以外の正当性に乏しい。
ソレーヌの即位によって、滅亡したロアン王国が再興されたとなれば、いまは帝都にいる、ロアン王国から引き継いだ文官たちは、少なからず動揺するはずだ。
ソレーヌがヴェールを揺らした。
「……兄様の地獄に幕を引けた暁には、どうか退位させてくださいませ」
「分かりました。では、そのように」
「ロアンの名は、この世に残す必要がないと……、私は思っております」
その覚悟は汲みたい。
亡命政権すら許さない、ひとつの王国の完全なる廃絶。
ソレーヌをロアン最後の女王にすると約束して、さがらせた。
そして、地母神王国の城塞都市で籠城中のシルヴィ陛下や、高原王国のオリヴィエ陛下、薔薇王国の姉妹の共同女王に密書を発する。
――大河の麗人とか言ってもらってましたけど、実は女帝でした。えへへ。
という内容を、どのくらい信頼してくれるかはともかく、大河帝国の存在を明らかにしたときに「騙された」と思わせてしまっては、いささか難しいことになる。
事前に知らせておきたい。
ガストンとも密書のやり取りをする。
ソルダルのお義父様を、密かに呼んで、エイナル様も交えて協議する。
「……ガストンは、バスチアンの出兵要請に応える体裁で、旗下の全軍を率いて出陣いたします」
「なるほど」
「がら空きになるガストン領を、お義父様に占領してもらいたいのです」
ガストンなりの誠意の見せ方だった。
大河帝国軍が先に西進を始めたら、ガストンはわたしたちの後背を突くことができる。
その疑念を招くことに気が付いたガストンは、自分が先に出陣すると申し出てくれたのだ。
「ガストンの決意は固いと見ていますが、それでも、なんらかの罠ではないかと警戒せざるを得ません。……ここは、お義父様のご手腕を頼りたいのです」
「承知した」
「その上で……、無事にガストン領を占領できたら、お義父様には、網状河川の運河化に着手していただきたいのです」
戦後体制を考えれば、大陸側と直接国境を接するのがソルダル大公領であるということに変わりはない。
ガストン領の運河網にソルダル大公家が関与しておくことは、互いの安全保障にもなり得る。
それに、罠に警戒しながらガストン領を接収し、すみやかに戦後に備える。なかなか難度の高い任務でもあり、名将のおひとりである、お義父様にお願いしたい。
「できる嫁に頼られる。舅として、これ以上に胸の沸き立つことはありませんな」
お義父様は豪快に笑われ、快諾してくださった。
さらに、バスチアンが兵を分けた、それぞれを率いる功臣の詳細が密偵から届く。
進軍を開始する前に、できる限りの手は打っておきたい。
ボードゥアン討伐軍を率いるのは、百獣将軍キルケと剛拳厩舎長レアンドル。
高原王国追討の兵を率いるのは、虎烈大将ソンブル。
英雄譚に憧れる十四歳の少年が考えたような、たいへん勇ましい称号ばかりで、女性陣は全員眉根を寄せたのだけど、いずれ劣らぬ歴戦の将ばかり。
「剛拳厩舎長……」
ルイーセさんはツボにハマったらしく、耳まで真っ赤にして顔をそむけた。
メッテさんは真面目な顔をして、
「虎烈と百獣……。虎は百獣に含まれないってことか?」
と首をひねる。
ほかに、熊虎将軍とか獅子王元帥とかがいることは、とりあえず伏せた。
ふたりが笑い死にするかもしれない。
ともあれ、これら別動隊となっている軍勢をバスチアンの手元に戻らせては、元の木阿弥というもの。
その場に足止めするか、できれば調略してバスチアンに反旗を翻させたい。
地図を睨みながら、ポトビニスの兵団を率いるヤクブを呼んだ。
「……ポトビニスの遊撃兵を率い、高原王国を攻めるロアン兵の後背に回り込んでください」
「はっ、かしこまりました」
「ただし、高原王国の紋章旗を並べて、遠巻きに牽制するだけで充分です」
「足止めすればよいのですね」
戦陣図を睨みながら、ヤクブが応える。
「そうです。決して無理はせず、向こうが押し出してくれば退き、向こうが退けばこちらが押し出す」
「逃げ回りながら、付きまとう訳ですね」
「その通りです。……そうしている間に大河帝国軍が出現し、ガストンが離反、ヴァレリアンが離反と続けば、自分が大陸東方で孤立していることに気が付きます」
「投降しますな」
「そう簡単にはいかないでしょうが……、バスチアンの本隊から遠ざけることを意識して翻弄してください」
戦術を確認し合い、夜陰にまぎれたポトビニス兵団の出陣を見送る。
ボードゥアンのもとには、ゲアタさんに行ってもらう。
「ボードゥアン。……受け入れた逃亡民とも仲良くやっているようですよ?」
「ふふっ、それはよかったです」
「寄せ手を率いる百獣将軍と剛拳厩舎長ってのと、酒を呑んでくればいいわけですよね?」
「はい。たっぷりお酒を運んで、ボードゥアンの兵にも回してあげてください。そろそろ、心許なくなっている頃でしょう」
「承知しました」
「……逃亡民とボードゥアンの荒くれ兵たちが仲良くやっている。それだけでも、キルケとレアンドルが感じるところがあるでしょうから、バスチアンから離反する利を説いてあげてください」
「ああ、そうだ。お土産に石鹸もたっぷり持っていきます」
「ふふっ、そうですわね」
百獣将軍キルケがバスチアンから封じられた領地は、これから西進する大河帝国軍の進軍経路上にある。
離反しなければ、キルケは帰る場所を失うことになる。
さらに剛拳厩舎長レアンドルの領地は、ガストン領に近い、海岸線沿い。
出陣したガストンが、その場で離反と独立を宣言すれば、自分の領地が危うくなる。
その上、まもなくフレイザー帝国による海上封鎖が実行されるはずだ。
レアンドルは完全に補給を断たれて、領地からは遠く離れた大陸の南方、ボードゥアン領の側で孤立する。
ゲアタさんを見送ると、リエパ陛下がわたしのもとに姿を見せた。
瓶底眼鏡をかけた目立たない旅装を身にまとい、恭しく拝礼を捧げてくださる。
「私も〈お出かけ〉がしたいですわ」
次の焦点となる、北部大公ヴァレリアンの調略に自ら出向いてくださると、嫋やかに微笑まれた。
ガストンの献策により、ヴァレリアンには大河帝国軍が存在を明らかにした後で、わたしから親書を送る予定にしていた。
「密偵に親書を託すだけではなく、ブラスタの王妃である私が足を運べば、ヴァレリアン調略は確かなものとなりましょう」
「で、ですが……」
「ふふっ、コルネリア陛下も、ユッテ殿下も〈お出かけ〉なさいましたのに」
「それは、そうなのですけど……」
「ブラスタの精兵にも旅装をさせ、護衛として連れてまいります。必ずや、ヴァレリアンを調略してみせますわ」
と、微笑むリエパ陛下に押し切られ、出立を見送った。
心配は心配だけど、ヴァレリアンの離反を確実にするために、これ以上の策は思い浮かばなかった。
大河帝国軍出現の驚きを最大化する手をすべて打ち終え、3人の王女の即位式と、2人の結婚式に臨む。
バスチアンが奪った民の笑顔を取り戻す。
ピピンが華々しく幻灯矢を打ち上げ、無数の花びらが舞い散る中、大河帝国軍は西進を開始した。
本日の更新は以上になります。
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