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終章 二人で共に

 栄盛は必死で馬を飛ばした。

 味方のもとへ戻りたかったが無理だった。不意をつかれた栄盛軍は大混乱し、統制を失っているだろう。敵は同数の一万五千、しかも同じ尾の国衆が五千もいる。武者たちは動揺しているに違いなく、誰が寝返って敵に回っているか分からない。姫と自分にとってあの戦場に留まるのは危険だった。

 だが、矢が刺さっている右腕が激しく痛む。どこかに身を隠して治療する必要があった。


「栄盛様、腕は動きますか! 痛むのですか! ああ、こんなに血が流れています。すぐに手当てしなくては!」


 姫は先程から蒼白になって叫んでいる。


「大丈夫です。この程度の傷は戦場では珍しくありません」


 栄盛はどうにか笑みを浮かべて答えたが、その顔を見て姫は一層表情を恐怖に染めた。


「まさか、その腕は駄目になったのですか」

「そんなことはありません。ですが、このままではまずいですね。矢を抜いて止血する必要があります」


 栄盛は誤魔化すのは無駄と悟り、正直に言った。


「どこか安全に休める場所はないでしょうか」


 姫は少し考えて答えた。


「葵伯母様の隠宅はどうでしょうか」

「なるほど、それはよい考えですね。そこへ向かいましょう」


 栄盛は賛成し、そちらの方角へ馬を向けた。

 天宮に逃げ込めれば一番だが、先回りされている可能性が高い。南国街道を馬で一気に走れば、桜の林の中を二人乗りで進むよりずっと速いからだ。まだ見付からずにすんでいるが、追手が出ているはずなので、いつまでも桜林園をうろうろしているのはよくなかった。


「栄盛様、やはり苦しいのですね。呼吸が荒いです」


 桜姫に泣きそうな声で言われて、自分が先程から肩で大きく息をしていることに気が付いた。いつの間にか、全身が嫌な汗でびっしょりだった。右腕の(ひじ)から先の部分が、ずきんずきんと叫びたくなるような激しい痛みを体中に送り込んでくる。


「まだ平気です。隠宅くらいまでは耐えられます。あそこは皇家の土地、誰も勝手には入れませんし、そもそも隠宅を見付けられないでしょう」


 葵御前は宗皇の姉で昨年まで舞巫女だったから有名だが、今どこに住んでいるかはほとんど知られていないはずだ。敏雅には姫と知り合ったいきさつと護衛のことは話したが、葵御前は静かにお暮らしになりたいのだからと、隠宅の場所は教えなかったのだ。大社からさほど遠くないことは見当が付きそうだが、あまり人の行かない場所なので、数日なら隠れていられるだろう。


「栄盛様、もう少しです。ここまで来ればすぐです。頑張ってください!」


 姫が必死に(はげ)ましている。栄盛は激しい痛みとの戦いに疲れて、気力が失われつつあった。


「そうです。しっかりしてください!」


 時々意識が飛びそうになるので、そのたびに「しっかりしろ」と自分に言い聞かせていたが、いつの間にか口に出していたらしい。それにさえ気付かないほど、栄盛は疲労の極に達していた。


「伯母様、小太郎ちゃん、吉房、いますか! 出てきてください!」


 姫が大声で叫んだ。隠宅の板塀が見えていた。驚いて少年と天衛兵たちが現れ、駆け寄ってくる。栄盛はとうとう馬の上に突っ伏して気を失った。



 気が付くと布団に寝かされていた。桜姫が心配そうに顔をのぞき込んでいた。


「目が覚めましたか」


 姫はやさしく声をかけてきた。栄盛は起き上がろうとして、右腕に激しい痛みを覚えた。


「動いては駄目です。傷に(さわ)ります」


 肩を押して寝かせようとする。腕を見ると、肘から手首まで、白く薄い布をぐるぐるに巻き付けてあった。矢はなくなっている。いつの間にか鎧を脱がされていた。着ているのはそこそこ上等な直垂だった。吉房か誰かのものだろう。


「ここは伯母様の隠宅です。事情を話したら快く入れてくださいました。栄盛様がよくなるまで(かくま)ってくださるそうです。治療してくれたのは吉房です」


 言うと、姫は急に涙を浮かべた。


「吉房に言われました。『大丈夫、見た目ほど重傷ではありません。血もさほど流れていないようです』と。似たような怪我を何度も手当てしたことがあるそうです。ですが、私はとても不安で……」


 大粒の涙が布団の上に落ちた。


「もし、栄盛様がこのまま目を覚まさなかったらと思うと……」


 姫はとうとう顔を覆って泣き出した。栄盛が左腕を伸ばすと、姫は抱き付いてきた。栄盛は姫の髪をやさしく撫でた。


「桜姫様、ご心配をおかけしました。大丈夫、私たちは生き延びられます。敏雅と季盛の味方は少ないはずです。あの時は予想外の事態に混乱しましたが、恐らく武者の多くは無事です。今頃どこかで体勢を立て直して、私たちを探しているでしょう」


 そこまで言って、栄盛は気が付いた。姫はこんな言葉が欲しいのではないと。分かり切ったことを語っても仕方がない。栄盛は姫の耳にささやいた。


「あなたを愛しています。心から」


 姫は呼吸を止めた。


「私は死にません。あなたと結婚したいからです。大変な苦労をして春波家から奪った花嫁です。一緒に暮らして絶対に幸せにしてみせます。ここに隠れている間に、これからのことを二人で考えましょう」

「はい。一緒に……」


 姫はまた泣き出したが、どこか幸せそうな泣き方だった。

 しばらくして姫は離れた。


「では、夕食を持ってきますね。妻ですから」


 そう言って、姫は去っていった。

 すると、入れ替わりに葵御前と吉房が入ってきた。


「疲れているところをすまぬが、朝から今までのことを教えておくれ。桜から大体は聞いたが、あの子では気付かぬこともあろうからのう」


 葵御前はこれからどんなことが起こる可能性があるのか知りたいのだろう。吉房の要件も同じだった。


「このお屋敷を警護するために必要なのです」


 吉房は舞巫女が奪われた時に天衛兵を押しとどめたので叱責(しっせき)されたそうだ。だが、都のそばで大規模な戦が始まるという危機にあって、天宮も警戒を強めていたので、罪を問うのは後回しにされて、葵御前の護衛に戻されたという。こういう時は保護するべき人物に信頼されていて様々な事情の分かっている者がそばにいた方がよいのだ。

 戦場経験の豊富な栄盛はその辺りの事情をすぐに察して、合戦の経過とその後の逃避行の様子を詳しく語った。


「なるほど。では、追っ手はまいたのじゃな」

「そう思います。ここが見付かるまでしばらくかかるでしょう」


 桜林園は広大だ。しかも同じような桜の木ばかりなので、馴れていないと道に迷う。それを利用して隠宅の場所はわざと分かりにくくしてあった。


「ですが、季盛と瓜棚家は血眼(ちまなこ)になって私たちを探しているはずです。私と桜姫殿下を捕虜にすれば、尾の国衆を行動不能にできます。高桐軍四万との戦いの前に捕まえたいでしょう」


 吉房は少し考えて言った。


「ここには天宮から警護の武者が三十名追加で派遣されてきています。ですので、当面は安全ですが、もし見付かってお二人を引き渡すように要求されたら、我々は苦しい立場に立たされます。申し訳ありませんが、明日ここを出て、軍勢と合流なさってください。今、数名に薬を買いに行かせています。合戦のあとの諸勢力の動きや軍勢の居場所、公家の方々の様子も情報を集めてこいと命じました」


 吉房はすまなそうに頭を下げた。


「この戦いに皇家が巻き込まれるわけにはいかないのです。(まつりごと)に関わらないという原則に反しますので」

「桜姫殿下はどうなりますか」


 尋ねると、葵御前が言った。


「桜の立場は微妙じゃな」


 吉房は苦しげな顔をした。


「恐らく、陛下や侍従長様は頭を痛めておいででしょう。もし瓜棚家に捕まったとしても、天宮は積極的には動かない可能性があります」


 つまり、皇家の助けは期待できないということだ。自分たちでなんとかするしかない。


「栄盛様ならきっと大丈夫でしょう」


 吉房は笑みを見せた。


「そうじゃな。わらわも信じておるよ」


 葵御前も言った。吉房は湯のみを差し出した。


「さあ、この薬をお飲みください。痛みがやわらぎます」


 それはとてもありがたかったので、栄盛は礼を言って飲み干した。


「桜姫殿下が夕食を作っておられます。もうしばらくお待ちください」

「えっ? ご自分でですか?」


 栄盛は耳を疑った。


「栄盛殿に作ってやりたいそうじゃ。千草に(かゆ)()き方を教わっておったよ」

「なんでも、元気の付く特別な粥だそうです」


 栄盛はとてもうれしかった。が、単純には喜べない。


「大変ありがたいのですが……」

「うむ、心配じゃな」


 葵御前は言った。


「焦がしておらぬか、見てこようかの」

「お願いいたします」


 栄盛は頭を下げた。


「当たり前のことじゃ。姪じゃからな」


 葵御前は笑って部屋を出て行った。吉房もお辞儀をして去っていった。

 栄盛は再び横になって体を休めた。姫がどんな粥を作ってくるか楽しみだった。たとえ焦げていても苦くても必ず完食しようと決意したが、なかなか姫は来なかった。

 そろそろ腹の虫がうるさくなってきた頃、姫が大きな(わん)を持って現れた。申し訳なさそうな表情と匂いだけで、うまく行かなかったのだと分かった。


「こんなになってしまって……」


 姫は謝ったが、栄盛は喜んで食べた。硬めのおこげを湯にひたしたような味だったが、空腹だったので充分食欲をそそった。

 姫は台所に入ったのは初めてだったそうだ。鍋の実物に感動したと言うくらいだから、炭でないだけほめるべきだった。好きな女の子が一生懸命作ってくれたのだ。まずいなんて言ったら大神様に怒られる。

 粥には数種類の野菜が入っていた。既にゆでたものをあとからのせたらしく、味は薄いが柔らかさはちょうどよかった。ゆでたのは千草に違いない。

 栄盛がどんどん(さじ)を口に運ぶので、不安そうだった姫もほっとしたらしかった。食べるのも治療のうちだからと、粥なのに丁寧によく噛んでいる栄盛を、幸せそうに眺めていた。


「もう少し上手に作れると思っていました。料理は予想より難しいです。火加減を間違えました。味も薄いかも知れません」


 姫が悔しげに言ったので、栄盛は不思議に思った。


「千草殿に手伝ってもらわなかったのですか」

「途中からいなくなってしまいました」


 姫が言うには、丁寧に教えてくれていたが、葵御前に呼ばれて厨房(ちゅうぼう)を出て行ったきり、戻ってこなかったという。


「どこへ行ったのでしょう。小太郎ちゃんもいないのです」


 そういえば、あの少年に会っていない。門の前で気を失った時はいたはずだ。

 何だか嫌な予感がした。どこか、変だ。


「吉房殿に聞いてみましょう。桜姫様、申し訳ありませんが、呼んできていただけませんか」


 空になった椀を置いて言った時、表の方で大きな騒ぎが起こった。廊下を走る音がして、吉房が部屋に飛び込んできた。


「すぐにお逃げください。追っ手です!」

「もうですか? いくら何でも見付かるのが早すぎますが」


 栄盛が驚いた時、玄関の方で老女の叫び声が聞こえた。


「桜と栄盛殿はこちらじゃ! 早く捕まえよ!」

「伯母様!」


 桜姫が顔色を変えた。吉房は沈痛(ちんつう)な顔をした。


「御前様が瓜棚軍を呼ばせたのです。千草殿が武者を連れてきました。お逃がしいたします。さあ、お急ぎください」


 吉房に(うなが)されて栄盛は布団を跳ねのけ、姫と一緒に廊下に出た。


「どうしてですか! なぜ、伯母様が!」


 走りながら姫は悲しそうに叫んだ。栄盛も疑問で頭がいっぱいだった。


「お察しするべきでした。あのお方の悔しさを」


 吉房は廊下を先導しながら言った。


「悔しさですか?」


 桜姫は分からないという顔をした。


「伯母様は私の幸福を喜んでいたのではないのですか。栄盛様に護衛を頼むことに賛成してくれましたし、お祭りの時は着物を一緒に選んでくれて、お化粧も手伝ってくれました。それなのに、なぜですか!」


 吉房は痛ましげな表情をした。


「あの方はその幸福を手に入れられなかったのです」

「えっ! まさか……」


 姫は急に立ち止まった。


「陛下と前皇妃(おうひ)様がご結婚なさった時、御前様は既に二十九歳でいらっしゃり、縁談がまとまりかけておいででした。ですが、仲の良かった従妹(いとこ)のかわりに舞巫女を続けるご決心をされ、ご自分のご結婚をお諦めになって、お二人が結ばれるように力を尽くされました」


 現在四十一歳の吉房は、その当時は天宮に出仕するようになったばかりだったという。


「桜姫様が護衛に栄盛様をご指名になった時、御前様は恐らく昔のことを思い出され、つらい思いをなさることになるからと、始めは反対なさいました。殿下がお祭りへいらっしゃる時は、不幸な結婚が待っているのだからせめてよい思い出をと、おめかしのお手伝いされました」


 初めて会った時、葵御前が栄盛を歓迎しなかったのは、それが理由だったのだ。


「ですが、殿下は今、栄盛様と結ばれようとなさっています。自分が諦め手に入れられなかった幸福を、殿下はまんまと手にされました。喜びの絶頂にある様子をご覧になって、許せなくなったのでしょう。なぜ、自分ばかり不幸なのかと」


 舞の季節になると、都の人々は「また婆様が踊るのか」と不満そうに言っていた。今年は若い姫だと聞いて喜ぶ声も耳にした。葵御前は大社からずっと出られず、知り合いや周囲の侍女たちが次々に結婚していく中、舞だけを心の支えに迫る老いと孤独に耐えていたに違いない。その舞を引き継ぐ桜姫の若さと美しさは、まともな恋さえできなかった五十四歳の未婚の老女には、まぶしすぎたのかも知れない。


「しかし、それは御前様がご自分でお選びになったことで……」


 栄盛は思わず言ったが、桜姫は首を振った。


「そういう問題ではないのです。私は自分のことで頭がいっぱいで、伯母様の気持ちを全く考えていませんでした。きっと不愉快だったでしょうね。私はひどいことをしてしまったのかも知れません」


 姫は涙を浮かべていた。が、すぐに顔を上げた。


「ですが、私はここで捕まるつもりはありません。伯母様には同情しますが、これは私の恋、私の幸せです。誰にも邪魔はさせません!」


 姫は栄盛に手を伸ばした。


「参りましょう!」


 栄盛は頷いて手を握った。


「はい。この幸福を、私も手放すつもりはありません!」


 吉房は微笑んだ。


「お若い方々はそれでよろしいのです。千草殿は長く仕えた御前様のご命令に従ったようですが、私は加担しません。失礼ながら、お年を召した方が、取り返しのつかぬ自分の過去を後悔したくないからと若者の邪魔をするのは、醜い行いだと思います」


 吉房は再び走り出した。


「さあ、こちらへ。私の馬をお使いください」


 (うまや)に行くと、既に一頭引き出されていた。


「小太郎殿がいないので、探しに行こうと(くら)を置かせたのです」


 栄盛は馬に飛び乗り、吉房が姫を栄盛の後ろに押し上げた。


「御前様の護衛が私の今の役目です。ご同行はできません。また、立場上、瓜棚家の武者と戦うわけには参りません。今、私の部下が門の前で、身分ある武者を呼べと言って武者たちを押しとどめています。裏口を開けますので、申し訳ありませんが、ご自分で振り切ってお逃げください」

「分かりました。ありがとうございました」

「吉房、感謝します」

「どうかご無事で。お二人のお幸せをお祈りしております」


 吉房はにっこりと笑い、愛馬の首を撫でて言い聞かせた。


「この方々の言うことを聞きなさい。守って差し上げるのだぞ」


 武者が(うまや)の扉を開いた。


「では、お行きください」

「はい! 桜姫様、しっかり捕まってください!」


 姫は栄盛の腹に両腕を回してぎゅっと抱き付いた。白いももんががその肩に駆け上がった。


「行きます!」


 栄盛は馬の腹を蹴った。一気に(うまや)を飛び出して、裏へ回る。表門の前を通った時、「あそこだ。追え!」という声が聞こえたが、無視して駆け過ぎた。

 裏門に近付くと、すぐに二人の武者が扉を開けた。


「ありがとう!」


 叫んで、栄盛は姫と共に桜の林の中へ走り込んでいった。

 栄盛は馬にも吉房にもすまないと思いながら、何度も馬の腹を蹴り、速度を上げようとした。とにかく一度引き離して追っ手をまかなければならない。

 こちらは二人乗っている。速度は落ちるし、馬は疲れやすい。行方をくらませることができれば、速度を落として見付からぬように進むこともできるだろう。

 馬がつぶれるまで走らせ、その先は歩くつもりだった。姫にはつらいだろうが、夜通し歩いて東へ向かい、基龍軍か味方に合流するしかない。

 だが、その目算(もくさん)はすぐに崩れた。


「栄盛様、追っ手です!」


 姫が叫んだ。


「いたぞ! 追え!」


 武者たちが仲間を呼んでいる。


「どんどん近付いてきます! もっと急げませんか!」


 姫は焦っているが、馬はよく頑張っていた。泡を吹きそうな様子で可能な限り速く走ってくれている。よい馬だと思うが、栄盛の愛馬とは比べ物にならない。既に疲れが見え始めていた。


「ああっ、前に回り込まれます!」


 いつの間にか、周囲を十騎ほどに取り囲まれていた。


「止まれ! 桜姫様の安全は保証する!」


 武者が怒鳴った。


「栄盛様の安全はどうなのですか!」


 姫が叫ぶと、武者は答えなかった。やはり殺すつもりなのだ。


「栄盛様のお命を助けると約束しなければ、私は投降しません! 栄盛様を殺したら私も死にます!」


 武者たちは困ったように顔を見合わせている。が、見逃すつもりはさらさらないようだった。桜姫を傷付けるわけにはいかないからか、矢を射たりはしてこない。栄盛の馬が疲れるのを待っているのだ。


「ところで、どこへ向かっているのですか」


 段々馬の速度が落ちてきている。姫は不安そうだった。


「この方向は大社ですよ」

「しまった」


 前に回り込まれるのを避けようと方向を変えるうちに、大社の方へ誘い込まれていたのだ。

「やられた」


 突然桜の木がなくなって、広い場所へ出た。大社の中央参道だった。そこに、敏雅と季盛が待っていた。数百人の武者がいた。


「止めよ!」


 敏雅が命じると、百人ほどの武者が槍を構えて輪を作り、ゆっくりと近付いてきた。馬は驚いて身をひるがえそうとしたが、背後にも(やいば)の林を見付けて激しくいななき、動かなくなった。もはや体力の限界なのだろう。


「さあ、桜姫様、大人しくこちらに来ていただきましょう」


 敏雅が言った。こんな奴だったのかと思うほど、いやらしい口調だった。姫も同感だったらしく、身震いして拒絶した。


「あなたみたいな人のそばには寄りたくありません」


 嫌悪感に満ちた言葉にも、敏雅は平然としていた。


「もはや逃げ道はありませんよ。その馬はもう限界でしょう。あなた方は二人。こちらは五百人。勝ち目はありません」

「無理に捕まえようとしたら死にます」


 姫が言うと、敏雅は笑った。


「それは困りますね。では、栄盛殿を先に殺しましょうか」


 言うと、数人の武者が弓を構えた。槍を持った者たちもさらに近付いてくる。


「もはや、これまでか」


 栄盛は右腕に怪我をしている。左腕でどうにか刀を抜いたが、うまく扱える自信はなかった。簡単に刺されてお終いだろう。


「させません!」


 姫は栄盛に抱き付いた。自分の身でかばうつもりらしい。だが、栄盛が身動きできなくなったと見て、武者たちはさらに近付いてきた。


「仕方ありませんね。殿下に多少の怪我を負わせてもかまいません。さっさと捕まえなさい」


 この言葉で栄盛はとうとう諦めた。


「桜姫様。投降しましょう。あなただけでも生きてください」

「嫌です!」


 姫は激しく(かぶり)を振った。


「あなたと一緒でなくては死んでいるのと一緒です」

「ですが、このままではあなたに怪我をさせてしまいます。それは耐えられません」

「一緒に戦って、一緒に死にます!」


 姫は白いももんがを手に持った。武者に投げ付けるつもりだろう。


「あなたが亡くなったら他の人に嫁がされます。残りの命を悲しみに暮れて生きろとおっしゃるのですか!」

「桜姫様……」


 姫は悔し涙を浮かべていた。その表情を栄盛はこの上なく美しいと思い、悲しみに胸が焼かれる思いだった。


「長い愁嘆場(しゅうたんば)ですね。もういいでしょう。さっさとやりなさい!」


 季盛がいらだって言った時、突然、矢が飛んできて、数人の武者が倒れた。


「何事だ?」


 全員が周囲を見回した時、(とき)の声が聞こえてきた。


「栄盛殿! 助けに来たぞ!」


 叫んでいるのは高桐基龍だった。

 さらに矢が降り注ぎ、槍武者たちの列が崩れた。そこへ高桐軍が突っ込んできて、栄盛と姫の周囲に輪を作って守った。が、人数が意外に少ない。


「急いで脱出するぞ!」


 叫んで槍を振るう基龍に栄盛は尋ねた。


「何人いるのですか」

「百人だ」


 全員騎馬だった。


「軍勢と合流しに東へ向かったのではないのですか」

「わしはずっと都のそばにいた。軍勢は呼んだから、一部はもう近くまで来ているはずだが」

「どういうことですか? 一体どこにいたのですか?」


 吉房の馬からまず姫を下ろして自分も下り、新しい馬に姫を乗せながら、栄盛は状況が理解できなかった。


「天文方の観星台に隠れていたのだ」


 基龍の答えに栄盛は驚いた。


「えっ、では、遠上(とおがみ)知理(ともまさ)殿が(かくま)ってくれたのですか?」

「いや、最初からあそこへ逃げるつもりだった。この者たちがいたからな」


 話を聞いていた姫が、はっと気が付いた。


「まさか、観星台が修理中で使えないとおっしゃっていたのは……」

「ああ、そうだ。中に騎馬武者がいたからだ。君に捕まった時、逃げる場合の備えとして、あそこへ隠しておけと命じたのだ。馬は近くにつないであった。飼い葉を調達するのに苦労したそうだぞ」


 姫は目を丸くしていた。


「では、軍勢を呼んだというのは……」

「観星台からたいまつで合図を送った。途中三ヶ所を経由して煙野国へ知らせが行った。直後に騎馬隊一万を先発させたそうだから、もう茜ヶ原は過ぎているだろう。あと数刻で都までやってくるはずだ」


 基龍はにやりと笑って、表情を引き締めた。


「だが、その前にここを生き延びなければならないな」


 五百人の敏雅季盛軍に百人の騎馬隊は包囲されつつあった。やはり人数の差が大きく、背後に回られてしまったのだ。

 基龍は言った。


「実はな、わしは瓜棚家の裏切りを予想していた。だから、合戦に物見を出していた」

「どうして分かったのですか」


 栄盛は意外に思いながら尋ねた。


「わしは冬鼓高兄(たかえ)公をよく知っておるが、あの方は若いのに春波名重公以上の守旧派(しゅきゅうは)で、公家こそ国の(いしずえ)と信じ込んでいる人物だ。武家に大きな力を与える改革など望むはずがないと思ったのだ」


 世子(せいし)にすぎなかった栄盛と違い、高桐家当主である基龍は、多くの公家と面識があった。


「物見の報告で、君が戦場を逃げ出したと知った。敵味方双方の騎馬武者が多数桜の間を走り回っていたからまだ見付かっていないと思っていたが、知理が遠眼鏡で桜林園を見て、誰かが追われていると知らせてきた。恐らく君だろうと思って助けに来たのだ。君はわしを牢から出してくれた。その恩を返そうとな」

「ありがとうございます。本当に助かりました。ですが、状況は厳しいですね」


 栄盛は表情を引き締めた。五倍の敵に囲まれている。敵には弓を持った者がたくさんいるので、矢を射られると騎馬武者は逃げ場がない。


「どこか一ヵ所を突破するしかありませんね」

「そうだな。損害が多数出そうだが、それしかあるまい。大丈夫、君と殿下は守ってみせる。君たちは我々武家の希望だからな」

「多くの人が傷付くのですか」


 姫が恐ろしげに尋ねた。栄盛の苦しむ姿を見ているだけに、人事(ひとごと)ではないのだろう。


「残念ですが、そうなりそうです。桜姫様、私にしっかりつかまっていてください」

「はい」


 姫は青ざめたが、前に乗った栄盛にしがみ付いた。


「よし、では、突撃……」


 基龍が叫びかけた時、武者の一人がさえぎった。


「大殿、お待ちください! 歌が聞こえます!」

「歌だと?」


 首を傾げて基龍ははっとした。


「まさか……」


 栄盛もその意味に気が付いて急いで耳を澄ませた。栄盛の背中にくっ付いていた姫が顔を上げた。


「これは、陛下です!」


 宗皇の行列が進む時、先触れの者たちが歌う歌だった。大神様の命令を受けて天界から降臨した聖なるお方を讃える歌だ。これも、都の者は誰でも知っている古謡だった。


「ばかな……!」


 敏雅はうろたえている。季盛は言葉がない様子だった。

 基龍は直ちに命じた。


「全員、馬から下りて平伏せよ」


 武者たちは急いで指示通りにした。栄盛と桜姫も地面に下りて、両手両膝を突いた。敏雅たちは迷っていたが、まさか宗皇の眼前で皇女に襲いかかるわけにはいかないので、やむなく同様にした。

 やがて、行列は彼等の前までやってきた。銀地の山花獣鳥(さんかじゅうちょう)四尊合一(しそんごういつ)大御旗(おおみはた)が、多数のたいまつに照らされて輝いていた。


「殿下、ご無事ですか!」


 駆け寄ってきたのは小太郎だった。


「御前様とおばあ様が敵の武者を呼ぶ相談をしているのを聞いちゃったんです。怖くなって、陛下にお知らせしようと天宮に走っていきました。そうしたら、急に夜桜をご覧になりたいとおっしゃって、僕にも付いてこいとお命じになりました」

「あなたのおかげだったのね。ありがとう」


 姫は少年を抱き締めた。

 歌が止まり、輿(こし)が下ろされて、宗皇が降りてきた。桜姫は少年を離し、二人で平伏した。宗皇はその前で足を止めた。


「陛下、救いに来てくださり、心より感謝申し上げます」


 桜姫は父に深々と頭を下げた。宗皇はそれには反応せず、栄盛や基龍など全員をゆっくりと見渡して、娘に言った。


「桜よ。苦難を経験したようだな。だが、我が姉を恨んではならぬぞ」

「私は葵伯母様のお気持ちを全く分かっておりませんでした。謝って、仲直りしたいと思います」

「それがよかろう。姉は本当はやさしい方だ。今頃後悔しておろう」


 宗皇は皇女の美貌をじっと見下ろした。


「そなたはあれによく似ておる」


 どこか懐かしむような響きに、桜姫は顔を上げた。


「そのまなざし。その明るさ。見た目だけではない。一度こうと決めたら迷わぬまっすぐなところが、前皇妃にそっくりだ。わしは結ばれるのは無理だと思っておったが、説得されて父たちの前に出たのだ。だから姉も、余計にそなたを許せなかったのだろう」


 宗皇がここへ現れたのは姉のためでもあったのだ。

 宗皇はしばらく黙っていたが、急に口調を厳しくした。


「お前は舞木栄盛に味方して、春波家の派遣した軍勢と戦ったそうだな」

「はい」


 皇女は平伏した。


「皇家の者が戦で一方に加担することがどのような意味を持つか、お前は分かっておるのか」


 皇女は表情を硬くしたが、はっきりと答えた。


「存じております」

「ならば覚悟はあるな」

「はい」


 姫が頷くと、宗皇はいったん口を閉じて娘を眺め、すぐにまた開いて、しっかりした声でいった。


「では、お前を義絶(ぎぜつ)する。もはやお前はわしの娘ではない」

「はい……」


 桜姫は(こうべ)を垂れた。


「陛下!」


 栄盛は思わず顔を上げて抗議しようとしたが、姫は止めた。


「よいのです。栄盛様に恋している自分に気が付いた時から、こうなるだろうと予想はしていました」


 目には涙が浮かんでいたが、姫の声は落ち着いていた。


「それに、これで晴れて栄盛様と結ばれることができます」


 微笑む姫に、栄盛はかける言葉がなかった。合戦に協力してほしいと頼んだ時、姫は迷わず承知した。その意味を栄盛は分かっていなかったのだ。だが、いまさら取り返しのつかないことだった。


「これは私の選んだ道です」


 桜姫はきっぱりと言った。そんな娘に宗皇は命じた。


「桜よ。最後の務めとして、都に平和が戻ったら大社で舞をせよ。それが終わればそなたは自由だ」

「かしこまりました」


 姫は深く頭を下げた。宗皇は娘の隣に視線を移した。


「舞木栄盛」

「はっ!」


 平伏すると、宗皇は言った。


「桜を幸せにしてやってくれ」

「一生大事に致します。殿下をこの命にかえましてもお守りいたします」

「うむ。頼んだぞ」


 宗皇が頷くと、敏雅が我慢できなくなって叫んだ。


「陛下、栄盛との結婚をお認めになってはなりません!」


 敏雅は平伏したまま言上した。


「この男は公家の決めたことに不満を持って乱を起こしました。高桐基龍も同様です。公家に(まつりごと)を任せるのはかつての宗皇様がお決めになったことです。この者たちはそれに逆らったのです。桜姫様と結婚する資格などありません!」


 栄盛は蒼白になったが、横目で見ると、桜姫は父を信じている様子だった。

 宗皇は少し沈黙し、平伏している武者たちを眺めて娘に言った。


「桜よ。お前はわしのもとを出て行くことを選んだ。だが、覚えておけ。これが皇家の力だ。わしが来ただけで、皆、争いをやめて平伏せねばならぬ」


 その場の人々は、真剣に宗皇の言葉に聞き入っていた。


「わしの命令は誰も拒否できぬ。批判も許されぬ。なればこそ、皇家は(まつりごと)に関わってはならぬのだ。たとえ、どれほどの国難にあってもな」


 宗皇はたいまつに照らされた無数の桜を見つめていた。その方向には、今も戦いが続いている足の国がある。


「だが、わしは春波家の要請を断り切れず、お前との結婚を許して、このような事態を招いてしまった」

「そんな! 陛下、これは私のわがままです」


 姫は大きく首を振った。


「陛下は国のためを思われてお決めになりました。それは皆、分かっています」

「しかし、その結果は重かった。お前のことも随分苦しめた」


 宗皇の胸中(きょうちゅう)を思って、皆お顔を見ぬように下を向いていた。


「よって、わしは何も命令せぬ。誰かを支持することもない」


 宗皇は視線を天に向けた。


「この国を治める力が欲しくば、自分で手に入れることだ。それが何者だろうと、わしは承認する。ただひたすらこの国の安寧(あんねい)を大神様に祈るのがわしの務めだ」


 特定の誰かを聞き手と決めた言葉ではなかったが、基龍ははっとして一瞬身を強張らせ、深々と頭を下げた。


「ありがたいお言葉です。肝に(めい)じます」


 基龍は感激の表情だった。宗皇は、国を治めるのは公家に限らないと言ったのだ。武家の主導する政権には基龍でさえためらいがあったが、宗皇はそれも拒まないと明言した。天下のために働きたいなら、ふさわしい力を付けて自分でその地位まで登ってこい。それができた者だけが国を導く資格を持つのだと。また、基龍が都へ向かって進軍したことをとがめぬという意味でもあった。


「陛下のご承認を受けられますよう、全力で努力いたします」


 基龍は誓った。今のお言葉だけで充分だと思っているようだった。叔父の中で武家政権樹立の決意が固まったことに栄盛は気が付き、その重大さに恐れとたかぶりを感じた。敏雅は宗皇の言葉に愕然として、自分の聞いたことが信じられないという顔で固まっていた。

 宗皇は基龍に返事をせず、身をひるがえした。宗皇が乗り込むと十四人の担ぎ手が輿を持ち上げ、行列は天宮の方へ向きを変えた。再び歌が始まり、だんだん遠ざかっていった。


「大きな目標ができましたね」


 栄盛は顔を上げて言った。基龍の表情には困難な戦いへの意志が現れていた。


「公家連中を倒し、新政権を立てねばならん。やつらは腐り切っている」

「俺も協力します。春波家と冬鼓家は、権力と利権の維持強化しか考えていません。瓜棚家と季盛も同じです。国難への対処より自家の都合を優先する者たちに、国を治める資格はありません」


 自分をだまし、弟たちを利用した公家たちに、栄盛はすっかり愛想をつかしていた。基龍や高桐軍の武家たちは死を覚悟して都へ進軍したのに、その行動から何も感じなかったらしい。


「公家たちは武家を道具としか見ておらぬ。ここにもそれに踊らされた者たちがいる」


 基龍は敏雅を振り向いて尋ねた。


「さて、瓜棚家はどうするつもりだ」


 桜姫はもう皇女ではなくなり、栄盛との結婚を承認された。もはや捕らえても意味はなく、姫を無理矢理妻にしようとすれば、冬鼓高兄は世論を敵に回すことになる。

 敏雅は醜く顔を(ゆが)めた。


「くっ……、こうなれば、お前たちを全員殺しましょう。権力を手に入れる方法は他にもあります。(よう)は、敵対し()るだけの力を持つ者を全て滅ぼしてしまえばよいのです。それでこの国は我等の意のままにできます。陛下もそうおっしゃっていたではありませんか!」


 思わぬ展開に動揺していた季盛も、立ち上がって言った。


「こいつらを殺しなさい!」


 だが、基龍は落ち着いていた。


「それはできぬのではないか」


 基龍は北の方を向いた。栄盛がはっとして耳を澄ませると、多数の軍馬の(ひづめ)の音が聞こえた。


「栄盛殿、話が途中だったので、まだ伝えていないことがある。観星台から遠眼鏡で周囲を見渡していて、肩上宗延殿の軍勢を見付けた。どうやら大きな損害は受けていないようだ。君たち二人が逃げてしまったので、双方ともその捜索が優先と判断して兵を引いたらしい。ここへ来る途中で伝令を送って、君たちが追われてこちらの方向へ逃げていると伝えておいたから、きっとあれは彼等だろう」


 その言葉が終わらぬうちに、数人の騎馬武者が先行して走ってきた。


「若殿! 桜姫殿下! ご無事ですか!」


 仲綱の声だった。


「ここだ! 殿下も一緒だぞ!」


 栄盛が手を振ると、仲綱は目を()らして確かめ、振り返って叫んだ。


「若殿と殿下を発見したぞ! お二人ともお元気なご様子だ!」


 大きな喜びの声が上がった。大きさからして三千はいる。

 敏雅が悔しげに叫んだ。


「ええい、引き上げです! いったん下がって体勢を立て直します! 全員、すぐにここを離れますよ!」


 五百人の武者は慌てて立ち上がり、武器を持って馬に乗ると南へ逃げていった。すぐに逆の方から多数のたいまつを掲げた軍勢が現れ、近付いてきた。


「追わないのですか」


 姫が栄盛に尋ねた。


「はい。放っておいても、もはや彼等に大したことはできないでしょう。私たちはまず高桐軍の騎馬武者隊と合流しましょう。数日後には(かち)武者も到着します。合わせて五万五千で都に向かえば、瓜棚勢など敵ではありません。もしかしたら、やけになって攻撃してくるかも知れませんが、基龍殿と力を合わせれば必ず勝てます。都を制圧したら、春波親子と冬鼓高兄を逮捕します。それで治天府は我々の思うように動かせるでしょう」

「では、武家の地位向上の改革ができるのですね」


 姫が確認した。


「はい。できます。これで恵国軍に勝てます。いえ、絶対に勝たなくてはなりません」


 基龍が言った。


「恵国の連中をこの国から追い出す時は、栄盛殿にまた力を貸りたい。新しい政権を立て、武家が活躍できる国を作るのにも協力してほしい」

「喜んで一緒に戦います。全力でお手伝いします」

「恵国軍との戦いの作戦は君に任せるつもりだ。頼むぞ」

「自由に指揮をとれる叔父上と一緒なら、絶対に勝てますね」


 栄盛と基龍が足の国の戦場を思い出していると、姫が割って入った。


「ちょっと待ってください! 私と婚儀を挙げる方が先です!」

「もちろんです」


 栄盛は笑い、姫の手を引いて抱き寄せた。


「やっとあなたを手に入れることが認められたのです。早く結婚したいです」


 両腕できつく抱き締めた。姫も抱き締め返してきた。白いももんがが肩の上で二人を見比べていた。


「大事にしてくださいね」

「この命の限り。陛下にも約束しました。それに、私自身がそうしたいのです。あなたほどの宝はありません」


 栄盛は心の底からそう思っていた。


「あなたは私の運命を変えてくださいました。いえ、この国を救ってくださったのです。あなたがいなければ、私は春波家にだまされたまま利用され続けていたでしょう。きっと叔父上を死なせてしまい、自分も殺されたと思います。あなたと出会ったから主家と戦う決心がつき、勝利できたのです」


 栄盛は公家政権に疑問を持ちつつも、敵対する勇気がなかった。桜姫を重材と結婚させなくてはならないことがとてもつらかったが、それでも従うつもりだった。

 だが、姫への気持ちを知られて引き離され、自分個人の望みと政治の要求が一致すると、迷いやためらいがなくなった。この戦いは姫のためでもあると思うと、知恵や勇気がいくらでも湧いてきた。


「あなたには未来を頂きました。その御恩を、一緒に歩みながら、幸福という形でお返ししようと思います」


 涙ぐんでいる桜姫の髪を、栄盛はやさしく撫でた。


「でも、その前に舞があります。邪魔をしてしまったので、大神様に謝って、きちんと奉納しなくてはなりません。お祭りも延期になっています。民はやりたいでしょうし、桜姫様の舞を見たいはずです」

「舞が終わるまで結婚はお預けですね。それは少し残念です」

「でも、あなたはずっとそばにいます。いつでも会えます。それだけで十分幸せです」


 結婚することは決まっているのだから、その日を楽しみに待つことができる。


「なにより、私はあなたの舞をまた見たいのです。あの美しい舞を」


 姫の舞は、まさに春にふさわしい。あれを神と民に見せないのはもったいない。


「では、また練習します。もう一度伯母様にお願いしてもっと教えてもらって、最後に悔いのない舞をしたいです。舞が終わったら、その日のうちに婚儀を挙げましょう。そのあと、また一緒にお祭りを回っていただけますか」

「はい、回りましょう。来年も、その先もずっと一緒に。桜祭は毎年ありますから」

「とってもうれしいです!」


 姫は笑った。満開の桜の木が花びらを一斉にまき散らしたような、華やかで明るい笑顔だった。栄盛は心の底から姫を愛しく感じ、こんな人と出会えた自分を天下一幸せだと思い、泣きそうになった。


「若殿、桜姫様、急いでここを離れましょう。瓜棚家が援軍を連れてくるかも知れません」


 仲綱が馬を寄せてきた。栄盛はさりげなく目をぬぐい、姫の体を離すと言った。


「仲間たちが待っています。さあ、参りましょう、殿下。いえ、行こう、桜さん!」

「はい、栄盛様!」


 栄盛と桜姫は手をつないで、軍勢の方へ歩いていった。

 強い風が吹き、多くの桜色の花びらが、二人を祝福するように舞い散っていた。



 数日後、栄盛軍と高桐軍は無事合流を果たし、都へ進軍した。敏雅と季盛の連合軍は都の前で待ち伏せて奇襲をかけたが大敗、二人は捕らえられて処刑された。

 すぐに、夏雲外朝(ととも)を治天最上大臣、基龍を近衛上狼将、栄盛を中狼将にした新政権が発足(ほっそく)した。半年後、基龍は地固めを終えると、自らを大将、栄盛を副将にした遠征軍を編成、一年の激戦の末、恵国軍に勝利し、講和を結んだ。

 基龍は安鎮(あんちん)総武(そうぶ)大狼将(だいろうしょう)という官を設けて就任し、全ての武家の棟梁となって実権を握った。栄盛は桜姫と結婚して近衛上狼将となり、武者所(むしゃどころ)の長官を任された。基龍は恵国との戦で活躍した武家を全国の八十の国の国主(こくしゅ)に任じ、九つの州ごとに探題(たんだい)を置いて、その地方の武家の統御を任せた。基龍自身は都周辺の(かみ)(くに)州の探題を、栄盛は尾の国州の探題を兼務した。

 大臣の夏雲家は基龍と協力して国を治めていたが、政権内で武家の発言力が強くなっていくことに危機感を覚え、恵国に勝利した基龍の声望の大きさを恐れるようになった。やがて、夏雲家を中心とする公家は、基龍に不満を持つ武家を糾合(きゅうごう)して反乱を起こしたが、栄盛によって鎮圧された。

 二年に渡ったこの大乱のあと、公家の権力は大幅に縮小され、高桐総狼将(そうろうしょう)家による本格的な武家の支配が始まることになる。

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