特別編4:光の学び舎と、影に潜む過保護な守護者たち
垂直都市の最深部から一気に地上へと転移すると、そこには深淵の濃密な魔力とは対極にある、清々しい潮風と柔らかな太陽の光が広がっていた。私たちが降り立ったのは、断崖の街の象徴である「聖アウレオール魔法学園」の正門前だ。
かつては天界の影響力が強く、パンドラを「厄災の器」として監視するための場所でもあったこの学園は、今や私の管理端末に「垂直都市・地上出張所兼パンドラ専用教育特区」として登録されている。
「パパ、見て! 私が植えた花壇、こんなに大きく咲いたんだよ!」
12歳になり、学園の制服を凛々しく着こなしたパンドラが、誇らしげに校門横の花壇を指差す。その隣では、ルルが日差しを避けるように私の影に潜り込みながら、天界土産の金平糖を大事そうに転がしていた。
『……パパ。……ここ、明るい。……ルル、眩しいけど、お花、いい匂い。……食べていい?』
「ルルちゃん、お花は見るものだよ。……さて、パンドラ。今日は学園長への挨拶と、各教室の魔力安定度のチェックが必要なんだ。勝手知ったる場所だろうけど、一緒に回ってくれるかな?」
「もちろん! 私、案内役には自信があるんだから!」
元気よく駆け出す娘の後ろ姿を見送りながら、私はふと背後の「空間の揺らぎ」に向けて鋭い視線を送った。管理端末の画面には、学園の周囲に配置された強力な魔力反応が三つ点灯している。
「……ルシファー様、上皇様、テュポーン様。そこに隠れているのは分かっています。今日は『隠密点検』だと約束したはずですよ。なぜ、校門の屋根にガーゴイルのふりをして座っているんですか」
すると、彫像のように固まっていた漆黒の翼を持つ影が、不機嫌そうに溜息をついて実体化した。ルシファー様だ。隣では上皇様が透明化の呪符を剥がし、テュポーン様に至っては、崖下の海から巨大な首を一本だけ出して「カモフラージュ」を決め込んでいた。
「ふん、管理人の警護などあてにできるか。パンドラが地上の軟弱な羽虫(男)どもに、変な毒でも盛られたらどうするのだ。私はあそこにいる『正門の装飾』として一生を過ごす覚悟はできている」
「ほっほっほ、わしも同じよ。先ほどからパンドラを熱心に見つめていた男子生徒の足元に、軽く『転びの呪い』をかけておいた。あれは下心が透けて見えておったからのう」
……やはり、点検以前の問題だった。
私はこめかみを押さえながら、過保護すぎる「おじいちゃん」と「おじさん」をどうにか説得し、校舎内へと足を踏み入れた。
校内は、以前に比べて劇的に変化していた。
かつてパンドラを洗脳しようとした天界聖歌隊の天使たちは、今や「音楽科」の特別講師として、魔物と人間の子供たちにハープを教えている。彼らは私と目が合うと、恐怖で指を震わせながらも、パンドラが微笑むと救われたような顔をして「パンドラ様、今日の旋律も完璧です!」と跪かんばかりの勢いだった。
教室を回ると、そこには天界から「更生」のために送られてきた元・下級天使の転校生たちもいた。彼らは垂直都市の掟、すなわち「パンドラ第一主義」を叩き込まれており、今ではパンドラと一緒に魔法薬学の実験に励んでいる。
私は端末で学園全体の魔力供給率をチェックする。
「第3校舎の防壁魔法、少し強すぎますね。……誰ですか、女子寮の周囲に『触れた瞬間に次元の彼方に飛ばされる結界』を張ったのは」
「私ではないぞ。それはサタンが『夜の静寂を守るためだ』と言い張って、昨晩こっそり設置していたものだ」
ルシファー様がしれっと告げ口をする。どうやら、ダンジョンの各階層主たちは、パンドラが不在の間も交代制でこの学園を勝手に「要塞化」していたらしい。
管理端末のステータス画面には「学園の安全性:SSS(過剰すぎて生徒が外に出られないレベル)」という、喜んでいいのか分からない評価が表示されていた。
点検の締めくくりに、私たちは学園の裏手にある丘に登った。
そこからは、私たちが守ってきた垂直都市の威容と、美しい地上の街並みが一望できる。パンドラは沈み始めた夕日に照らされながら、少し大人びた声で呟いた。
「パパ。私ね、この学園も、お家も、全部大好きなの。……だから、みんなが仲良く笑っていられるように、私もっともっと頑張ってお勉強するね」
「……ああ、そうだね。パンドラがそう思ってくれるなら、管理人の苦労も報われるよ」
ルルがパンドラの隣に座り、その膝の上に頭を預ける。ルシファー様と上皇様も、この時ばかりは毒づくのをやめ、沈みゆく太陽を静かに見守っていた。
天界からの「略奪品」で彩られた垂直都市、そして主たちの愛に守られた地上。
かつて絶望だけを糧にしていたこの世界は、いまや一人の少女の笑顔という、かけがえのない「希望」を軸に回り続けている。
私は端末に「学園点検完了:環境は極めて良好。ただし、警護役の魔王たちが過保護すぎて周辺の生態系が委縮しているため、週に一度の『親バカ自制日』を設けること」と入力し、深い満足感と共に報告書……もとい、端末を閉じた。
しかし、平和な夕暮れは、一人の「訪問者」によって破られることになる。
学園の門を叩く、無謀なまでの勇壮な響き。
それは、パンドラが拾われてから12年、私たちが築き上げてきたこの安寧の地に、全く新しい「騒乱」を運んできたのだ。
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