特別編3:傲慢なる写真館と、万物の夢見る揺りかご
第5階層の凍てつく空気を抜け、私たちはついに垂直都市の最深部、魔王たちが住まう領域へと足を踏み入れた。私の手元にある管理端末の画面には、もはや数値化できないほどの「過保護エネルギー」が渦巻いており、警告音の代わりにパンドラの笑い声のような通知音が鳴り響いている。
「次は第6階層……パンドラ、あのおじさんたちは天界でだいぶ暴れていたから、反省しているかどうか見てこようか」
「うん! ルシファーおじちゃん、かっこよかったけど、最後はちょっと泣いてたもんね」
12歳になり、魔王の機微まで読み取るようになったパンドラの言葉に苦笑いしながら、私はゲートを開いた。
第6階層『傲慢なる反逆の王宮』。
本来ならば、美しくも残酷な神殿のような最深部であり、暴力ではなく言葉の誘惑と魂の契約で攻略者の心を折る、最も知的な地獄だ。しかし、目の前に広がる大理石の回廊は、かつての威厳をかなぐり捨てた、凄まじい「ギャラリー」と化していた。
「……これは、さすがにやりすぎじゃないかな」
壁という壁に、パンドラの肖像画や写真、さらには彼女が幼い頃に描いた「パパとおじちゃんたち」の拙い絵が、贅沢な金縁の額に入れられて飾られている。
王宮の中央では、堕天の双星であるルシファー様とサタン様が、何やら真剣な表情で巨大な羊皮紙を囲んでいた。
「管理人か。遅かったではないか。見てくれ、パンドラの12歳の誕生祝辞の第14案だ。少し謙虚さが足りぬか? いや、彼女の美しさを語るにはこの程度の語彙では不足か……」
漆黒の翼を苛立たしげに震わせるルシファー様を横目に、私は管理端末で彼らが作成している「契約書」をチェックした。
「ルシファー様、サタン様。この階層に迷い込んだ冒険者と結ぶ契約書の内容を修正してください。……『パンドラが学校から帰る時間に門の掃除を完了させること』、『彼女が昼寝をしている間は息の根を止めるほど静かにすること』……これ、もはや魂の契約ではなく、ただのベビーシッターの心得ですよ」
「ふん、パンドラの安眠を邪魔する者の魂など、地獄に落とす価値もない。それよりも管理人、学園の制服を着たパンドラの最新の写真はまだか? 端末の共有フォルダを更新しろ」
サタン様までが無言で、しかし鋭い眼光で私の端末を指し示す。最深部の魔王たちは、天界を焼き尽くしたその強大な魔力を、いまや「パンドラの思い出保存」のために全投入していた。パンドラが「おじちゃん、これカッコいい!」とサタン様の剣を指さすと、冷酷な反逆の王がわずかに頬を緩めるのを私は見逃さなかった。
『……パパ。……このお部屋、視線が、痛い。……パンドラ、いっぱい、見られてる。……ルル、照れる』
ルルがパンドラの影に隠れながら呟く。確かに、この階層の絶望ポイントがゼロなのは当然だ。これだけの親バカオーラに包まれて、正気で攻略できる人間などいるはずがない。
私たちは苦笑いと共に、ついに最後の場所――第7階層、最下層の『盲目なる混沌の核』へと辿り着いた。
空間、時間、因果関係さえも消失した「無」の領域。階層主は万物の創造主、アザトース。本来、ここには形あるものなど存在せず、主の眠りが覚めれば世界が滅びるとさえ言われている。
しかし、今の第7階層は、虹色の星屑がゆっくりと舞い、言葉にならないほど心地よい「オルゴール」のような音色に満たされていた。
「あれ……? なんだか、とっても眠たくなっちゃう。パパ、ここは星の砂がいっぱいだね」
パンドラがふらりと歩き出す。混沌の核へと近づく彼女の足元に、虚無から「実体」が湧き出してきた。
それは主アザトースが見ている「夢」の残滓だ。
かつては悪夢を具現化していたはずの混沌は、いまやパンドラの純粋な心に反応し、彼女が望む「おもちゃ」や「綺麗な花」としてこの世に産声を上げていた。
「アザトース様。パンドラへのプレゼントを夢に見るのは良いですが、現実世界の理が少し歪んでいます。先ほど、第1階層の竹林に天界のケーキが降ってきたそうですよ」
私が空間の裂け目に向かって声をかけると、混沌の奥底から「フゴォ……」という巨大な寝息が返ってきた。
万物の創造主は、パンドラという「希望の器」に魅了され、その夢のすべてを彼女を喜ばせるためのギフトへと書き換えていたのだ。
『……パパ。……ここ、美味しい。……宇宙の、味がする』
ルルが影の手を伸ばし、浮遊する「混沌の飴細工」をパクリと食べる。すると、ルルの体がわずかに輝き、彼女の存在そのものがより強固なものへと安定していった。
パンドラが混沌の中央に座り込み、実体化したふわふわのクッション(のような概念)に寄りかかると、主の寝言に合わせるように、彼女の周りに天界でも見たことのない幻想的な蝶が舞い始める。
「第7階層:異常なし。主は深い眠りの中にあり、全神経をパンドラへの『誕生日プレゼントの構想』に費やしている様子……か」
端末にそう打ち込み、私はようやく一息ついた。
怨嗟の竹林から、混沌の核まで。
この垂直都市は、いまや一人の少女を守り、愛するための巨大な「ゆりかご」へと進化を遂げていた。
「さあ、パンドラ、ルル。これでダンジョンの点検はおしまいだ。次は、君が通っている地上のお城……『聖アウレオール魔法学園』の様子も見に行かないとね」
「うん! 私、みんなに天界のお土産話、いっぱいするんだ!」
元気に駆け出すパンドラの後ろ姿を見ながら、私は端末をポケットにしまい、地上へと続く長い階段を見上げた。
魔王たちによる「おうちの点検」は終わったが、彼女が外の世界で過ごす「学校」の管理という、もう一つの難問が待ち構えているのだ。
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