第13話:パパが攫われた!? 犯人はパンドラの『実の親』を名乗る者!?
それは、管理業務の合間の、ほんの少しの隙だった。
私は、第5階層の凍土で採取した「魔狼の抜け毛」を地上で精製するための特殊溶剤を買いに、ダンジョンの境界線付近にある中継地点へと向かっていた。
「……ん?」
足元に違和感。気づいた時には遅かった。
地面に刻まれた、巨大な『聖域封絶結界』。それは魔族を滅ぼすためではなく、私のような「システムの管理者」を物理空間から切り離し、無力化するために特化した禁忌の術式だった。
「確保! ターゲット、垂直都市の管理官を確認!」
白装束に身を包んだ、聖教国の秘跡執行官たちが四方から現れる。その中心には、煌びやかな法衣を纏った一人の男が立っていた。
「案ずるな、罪深き管理人よ。我らはただ、正当な権利を行使するだけだ。……あの『パンドラの箱の乙女』、彼女の実の親が名乗りを上げてな」
「……何だと?」
私の意識が遠のく直前、最後に見たのは、かつてパンドラを捨てたはずの「聖なる紋章」を刻んだ男の、卑俗な笑みだった。
数時間後。垂直都市管理事務所。
「……パパ? パパ、お仕事終わったの?」
パンドラが扉を開けた。しかし、そこにはいつものお茶の香りはなく、ただ床に落ちた「管理用タブレット」と、私が掛けていた眼鏡が不自然に転がっているだけだった。
静寂が、彼女の小さな胸を締め付ける。
パンドラの瞳が、スッと深淵のような漆黒に染まった。
「……パパが、いない」
その瞬間、ダンジョン全体が「悲鳴」を上げた。
第1階層の竹が黒く腐り、第5階層の吹雪が逆流し、第7階層の混沌が溢れ出す。
「どうした、パンドラ! 何事……」
異変を察知して真っ先に駆けつけたルシファーが、部屋の様子を見て言葉を失う。続いて、影から這い出たサタン、霧となって現れた上皇、巨体を震わせるフェンリルが揃った。
「きらきらおじちゃん……パパが、悪い人に連れて行かれちゃった」
パンドラがポツリと呟く。彼女の足元から、黒い泥のような影が広がり、事務所の床を飲み込んでいく。
「…………ほう」
ルシファーの背後の翼が、バキバキと音を立てて巨大化した。その顔には、これまで見たこともないような、あまりに美しく、あまりに凄惨な笑みが浮かんでいた。
「私の管理人に手を出すとは。……サタン、地獄の門をすべて開け。上皇、呪いの雨を降らせろ。フェンリル、地上の街を一つ残らず嗅ぎ分けろ」
「言われるまでもない。我らの『娘』を泣かせた罪、万死では足りんぞ」
『…………。……タスケル。……セカイ……コワス……』
空中には、怒りで真っ赤に発光したクトゥルフ様まで浮遊している。
地獄のオールスターズ。かつて単体で神々と戦った最凶の軍団が、一人の人間の男を救うために、たった5歳の少女を先頭に立てて「地上」へと進軍を開始した。
聖教国の巨大な大聖堂。
私は魔力を封じる鎖に繋がれ、祭壇の前に転がされていた。
「さあ、管理人よ。パンドラを呼び寄せる合図を送れ。実の親であるこの『聖下』が、彼女を聖女として正しく導いてやる。……彼女の魔力があれば、我が国は大陸を統治できるのだ」
教皇と名乗る男が、私の腹を蹴り上げる。
「無駄ですよ。彼女がここに来たら……あなたたちが考えているような『聖女』など、どこにもいないことが分かるでしょう」
「黙れ! 邪悪な管理人が! 慈悲深い親の愛を――」
その時。
ドォォォォォン!! という、天が落ちたかのような衝撃音が響き渡った。
大聖堂の堅牢な屋根が、文字通り「消滅」した。
夜空には、月を隠すほどの巨大な漆黒の翼と、黄金に輝く狼の瞳、そして空を埋め尽くす名状しがたき触手たちが蠢いている。
そして。
空中に浮かぶ、フリルのドレスを着た一人の少女。
「……パパを、返して」
パンドラの声は小さかったが、それは大聖堂にいた数千人の信徒の脳内に、直接「死の宣告」として響き渡った。
「な、何だあの子は!? あの魔物たちの群れは……ひ、ひぃぃぃっ!」
「パパに……めっ、したでしょ?」
パンドラが小さな手をかざすと、彼女の後ろに控えていた魔王たちが、一斉に地上へ降り立った。
「さあ、ゴミ掃除の時間だ」
ルシファーが指を鳴らす。
聖騎士たちの鎧が赤熱し、一瞬で溶け落ちる。
「怨め……。我がパンドラを不安にさせた、その浅ましき魂をな」
上皇が扇子を振るうたび、教団の者たちが自らの影に首を絞められ、次々と白目を剥いていく。
パンドラは、鎖に繋がれた私のもとへ、空中を歩くように降りてきた。
「パパ! ごめんね、遅くなって!」
パキパキッ、と音を立てて魔封じの鎖が粉々に砕け散る。パンドラの「言霊」が、物理法則そのものを書き換えたのだ。
「……パンドラ、ごめん。心配かけたね」
私は彼女を抱きしめた。
教皇が震えながら、隠し持っていた「聖遺物の短剣」をパンドラの背後に向ける。
「こ、この化け物め! 死ねぇぇ!」
だが、その刃が彼女に届くことはなかった。
パンドラの影から飛び出したフェンリルの牙が、短剣を飴細工のように噛み砕き、教皇のプライドごと、その存在を「絶望」の彼方へと叩き落とした。
「パパ。この人たち……どうする?」
パンドラの瞳に、少しだけ「破壊」の衝動が混ざる。
「……パンドラ、目をつぶっていて。ここからは、大人の仕事だ」
私は立ち上がり、後ろに控える魔王たちに合図を送った。
翌朝。聖教国から、パンドラを「商品」として扱おうとした組織は跡形もなく消え去っていた。ただ一つ、彼らの精神が保存された「絶望ポイント」だけを大量に残して。
管理事務所への帰り道。
パンドラは私の背中で、すっかり安心して眠りについていた。
「……ありがとうございます、皆さん。今回の件で、地上の連中も少しは懲りたでしょう」
「当然だ。だが管理人、貴様も不甲斐ない。……次は私を護衛に連れて行くことだ」
ルシファーが少し照れくさそうに顔を背ける。
フェンリルもまた湿らせた鼻先を擦り寄せ、誇らしげに喉を鳴らした。
【ログ:外部組織による襲撃を撃退。】
【獲得ポイント:測定不能(一国家の崩壊に伴う絶望より)】
【管理者コメント:パンドラの『実の親』については、結局嘘だったようです。彼女の本当の家族は、この地獄にしかいないのですから】
パンドラの背中の紋章が、少しだけ誇らしげに光っていた。
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