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口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


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盗賊との取引

 五日目の朝、アシュタルは白い布を掲げて砂丘を越えた。


 商隊の者たちが見送る視線を背中に感じた。傭兵隊長は剣の柄を握り締めたまま動かない。ハダドは腕を組んで黙っている。荷運びの男たちは不安そうに顔を見合わせていた。


 砂丘の中腹まで来ると、後ろを振り返った。


 アナトが岩陰に立っていた。赤い髪を覆った布の端が風に揺れている。こちらを見ている。金色の瞳が、朝日の中で鋭く光っていた。距離にして五十歩ほど。何かあれば三秒で到達できる距離だと、昨夜アナト自身が言っていた。


 頷いた。アナトは頷き返さなかった。ただ見ていた。


 砂丘を越えた。


 向こう側に、影があった。


 砂丘の陰に身を隠すようにして、七人の男が座っていた。こちらの接近に気づいていたのだろう、全員がこちらを見ていた。日焼けした肌。砂避けの布を巻いた顔。腰に曲刀まがりがたな。目だけが布の隙間から覗いていて、砂漠に生きる者特有の鋭さがあった。


 七人。見張りの報告より少ない。残りは別の場所にいるのか、あるいは——これが全員なのか。


 膝が震えていた。


 当然だ。武器を持たない十八歳の商人が、武装した盗賊の前に一人で立っている。膝が震えない方がおかしい。


 だが口は止まらない。口だけは。


「おはようございます」


 盗賊たちが動かなかった。白い布を見ている。交渉の意思表示だ。砂漠の慣習では、白い布を掲げた者を問答無用で殺すのは恥とされる。少なくとも話は聞く——はずだ。慣習を守る相手なら。


 中央に座っていた男が立ち上がった。


 他の六人より痩せていた。だが目が違う。値踏みする目だ。商人と同じ種類の目。この男がリーダーだろう。


 リーダーが一歩近づいた。


 腰の曲刀を抜いた。


 刃先がアシュタルの喉元に向いた。日差しを受けた刃が白く光る。切っ先と喉の間は、掌一つ分もなかった。


「ガキが一人。商隊の使いか」


 低い声だった。砂を噛んだような、乾いた声。


「はい。商隊の交渉役です。名前はアシュタル。ウガルのタグム商会の者です」


「交渉?」


「殺すなら殺してください」


 膝が震えている。声も震えている。だが言葉は止めない。


「ただ、その前に一つ提案があるんです。あなたにとって、僕を殺すより得な話を」


 リーダーの目が細くなった。刃は引かなかった。だが——一瞬、動きが止まった。「得」という言葉に反応した。砂漠で生きる者は損得に敏感だ。でなければ生き残れない。


「言ってみろ」


「商隊を襲えば、荷物は手に入ります。駱駝二十頭分の交易品。悪くない獲物です」


 リーダーが頷いた。否定する理由がない。


「でも、傭兵が十二人います。戦えば、あなたの仲間も傷つく。砂漠の真ん中で怪我人を抱えれば、次のオアシスまで持たない者が出る」


「こちらを甘く見るな、小僧」


「見くびってはいません。あなたたちが強いのは分かっています。だからこそ、戦えば《《こちらも》》損害が出る。——お互い損をする取引は、商人としてお勧めできません」


 リーダーの目がアシュタルを見据えた。刃を突きつけたまま、動かない。


「で、何を提案する」


「護衛として商隊に合流してください」


 沈黙。


 リーダーの眉が動いた。後ろの六人が顔を見合わせた。


「報酬は一人当たり一日銀貨三枚。次のオアシスの交易都市までの十日間で、一人三十枚。七人で二百十枚です」


 帳面を開き、数字を示した。震える手で。だが数字は震えない。


「商隊を襲って荷物を奪えば、確かに一度は儲かる。でも一度きりです。次からこの交易路を通る商隊は、あなたたちを警戒して傭兵を増やす。利益は下がる一方です」


 リーダーが黙っている。聞いている。


「護衛として雇われれば、報酬は継続的に入ります。しかも——次の交易都市で、あなたたちの顔は『盗賊』ではなく『護衛』として知られる。信用がつく。信用は、砂漠で最も高い商品です」


 言い切った。


 膝はまだ震えていた。刃はまだ喉元にあった。


 砂漠の風が吹いた。砂粒が二人の間を舞った。


 長い沈黙だった。


 リーダーの目がアシュタルの顔を、帳面を、震える膝を、順に見た。


 そして——曲刀を引いた。


 鞘に収めた。


「……面白い小僧だ」


 声の調子が変わっていた。殺意が消え、代わりに——興味が乗っていた。


「タグム商会と言ったか。聞いたことがある。港の商人が砂漠まで来るとはな」


「父の名前を知っていただけているなら、信用の前払いだと思ってください」


 リーダーが短く笑った。乾いた笑いだが、悪意はなかった。


「条件がある。報酬は前払い。半分だけ」


「三割で」


「四割」


「間を取って三割五分。それと、食事はこちらが持ちます」


 リーダーが後ろの六人を見た。六人が頷いた。


「いいだろう」


 リーダーが腰から水袋を外した。


「砂漠の盟約だ。飲め」


 差し出された水袋を受け取り、一口飲んだ。ぬるい水だった。砂の味がした。


 自分の水袋を差し出した。リーダーが受け取り、一口飲んだ。


 互いの水を飲み交わす。砂漠では、これが握手の代わりだ。水を分け合った相手は、もう敵ではない。


 リーダーが手を伸ばした。アシュタルの肩を掴み、引き寄せた。


「名前は」


「アシュタルです」


「ザバル。——次に会う時は、もう少し膝を止めてから来い」


 アシュタルは笑った。笑うしかなかった。膝が止まらないのだから。


 砂丘を越えて戻る道は、来た時より短く感じた。


 岩陰からアナトが出てきた。赤い髪の下の金色の瞳が、アシュタルを上から下まで見た。血がついていないことを確認したのだろう。


「終わったのか」


「終わりました。味方が七人増えました」


 アナトが眉を上げた。


「……お前は、本当に口だけで戦うのだな」


「商人ですから」


 アナトは何も言わなかった。ただ——振り返って先に歩き出す前に、僅かに肩の力が抜けたのをアシュタルは見た。


 取引は成立した。だが「関係」はこれからだ。盗賊を商隊に連れて帰った時、傭兵たちがどう反応するか。


 帳面に書いた。


 五日目。盗賊との交渉——成立。ザバル以下七名、護衛として合流。報酬三割五分前払い、食事付き。次の課題——商隊内の融和。


 膝はまだ少し震えていた。


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