世代交代の嘘
戦場の只中で、アシュタルは観察を続けた。
神殿の柱の陰。身体は震えている。恐怖ではない——空気の振動だ。二柱の力の衝突が、大気そのものを揺らしている。歯がカチカチと鳴った。顎を噛み締めて止めた。
観察しろ。パターンを読め。
バアルの攻撃は鮮烈だった。雷撃。暴風。豪雨。三つの力を組み合わせ、モトに叩きつける。一撃一撃が建物を砕き、地面を抉り、空気を焼く。嵐神の力は——不完全でありながら、圧倒的だった。
だがモトは受け流していた。
モトの防御は——存在しないように見えた。攻撃が当たっているように見えるのに、ダメージがない。雷が直撃しても、暴風が吹きつけても、モトは一歩も動かず、表情も変えない。
なぜだ。
目を凝らした。もう一度、バアルの雷撃がモトに向かう瞬間を見る。
白い稲光がモトの身体に触れた——瞬間、灰色の何かがバアルの雷を飲み込んだ。稲光が灰色に変わり、消えた。
相殺だ。
モトの死の力が、バアルの生の力を「殺して」いる。雷そのものを殺している。嵐を殺している。生きた力を、死んだ力に変えて無効化している。
だとすれば——バアルがどれだけ攻撃しても、モトには届かない。力が相殺される限り。
だがバアルの方は——モトの攻撃を相殺できない。
モトの死の波がバアルに向かう時、バアルは嵐で「逸らす」ことしかできない。正面から受ければ、嵐が死ぬ。力が削られる。
攻撃は相殺され、防御は不完全。
これは——消耗戦だ。そしてバアルの方が先に消耗する。
帳面を開いた。揺れる手で、観察結果を書き留めた。
「バアル:攻撃力はある。だが持久力がない。力が四割であるため、嵐を維持し続けることが困難。三十分——いや、二十分で消耗が限界に達する」
「モト:防御力が圧倒的。死の力でバアルの攻撃を相殺。自身はほとんど消耗していない。冥界の力は——自然に回復するのか?」
パターンがある。
バアルの攻撃パターンを数えた。雷撃。間隔は最初は十秒だった。それが二十秒になり、三十秒になっている。攻撃の間隔が広がっている——消耗している証拠だ。
逆にモトの反撃パターンは変わらない。一定のリズムで死の波を放ち、バアルの力を削っている。効率的な攻撃。過剰な力を使わず、必要最小限で相手を追い詰める。
商人の目で見れば——バアルは「浪費型の経営」で、モトは「倹約型の経営」だ。
このまま続けば、バアルが先に潰れる。
時間がない。
バアルの攻撃がまた一段弱くなった。嵐の密度が薄れている。雷の光度が落ちている。四割の力が——三割に減っている。
モトが一歩前に出た。初めて、自ら距離を詰めた。
「もう十分でしょう、バアル。——お分かりですね。今のあなたでは、私には届かない」
バアルが槍を構え直した。だが——腕が震えていた。嵐の紋様が明滅している。力が不安定になっている。
「分かっている」
「では——」
「分かっていても、退くわけにはいかない」
バアルの声は——まだ雷だった。弱くなった。だが雷だった。
「この街の人間は、俺を信じている。俺が退けば——この街が終わる。だから」
「だから、勝てない戦いでも戦うと」
「ああ」
「……愚かですね」
モトの声に——わずかな感嘆が混ざっていた。侮蔑ではなく、理解できない存在への静かな驚き。
バアルが最後の力を振り絞った。嵐が膨れ上がった。全身の紋様が一斉に輝き、雷が天を覆い、暴風がモトに向かって吹き荒れた。
渾身の一撃。
モトが——片手を上げた。
灰色の壁が現れた。死の力が固形化し、バアルの嵐を正面から受け止めた。嵐と死がぶつかり合い、空気が悲鳴のような音を立てた。
そして——嵐が、裂けた。
バアルの力が限界に達した。嵐が散り、雷が消え、暴風が凪いだ。
バアルの紋様が消えた。
バアルが——片膝をついた。
嵐の神が折れかけている。石畳に膝をつき、槍を杖のように突いて体を支えている。顔は上げている。だが——もう力がない。
パターンがある。バアルが先に消耗する。——つまり、時間がない。
帳面に書き足した。「バアルの攻撃間隔:十秒→二十秒→三十秒。消耗率:加速的。推定限界:あと五分」
五分。五分でバアルの力が尽きる。
そして気づいたことがもう一つある。モトはバアルの攻撃を相殺する時、わずかにバアルの力を吸収している。つまり戦えば戦うほどモトが強くなる。バアルの力がモトに移転する。最悪の構造だ。
アシュタルは帳面を握りしめた。今ここで飛び出して何ができる。力はない。武器もない。商人の言葉で——神の戦争を止められるのか。
分からない。
だが——何もしなければ、バアルが敗北する。バアルが敗北すれば——ウガルが終わる。カナアンが終わる。一族は救えない。アナトとの約束も果たせない。
手首の印が脈動していた。銀色の光が、今までで最も強く輝いている。二柱の力の中心に近いからだ。印は反応している。バアルにも。モトにも。
両方を——通す。
この印は、力の間に立てる。
帳面を腰にしまった。
立ち上がった。膝が笑っている。足が震えている。だが——立てる。この足で、立てる。
走り出す前に一つだけ確認した。手首の印を見た。銀色の光が力強く脈動している。この印がある限り、少なくとも一撃は弾ける。前回モトの投影の攻撃を弾いた実績がある。
一撃分の猶予。それだけあれば——言葉を差し込める。
走った。柱の陰から飛び出し、崩れた石畳を蹴り、バアルとモトの間に向かって。足が重い。空気が重い。力の圧力が全身を押し返そうとする。だが——走った。




