創造神の顔
三つの時計が、同時に動いている。
事務所の机の上に帳面を広げ、三本の線を引いた。商人は期限で動く。どんな取引にも納期がある。今、アシュタルの前には三つの納期がある。
一つ目。バアルとモトの衝突。
モトの宣戦は済んだ。バアルは「二日半」と言った。二日半のうちに代替案を出せなければ、バアルは正面からモトに挑む。四割の力で。——負ける可能性が高い。
残り一日半。
二つ目。アナトの帰還。
アシェラによれば、アナトはエルの山から戻りつつある。だが正確な時期は分からない。今日かもしれないし、三日後かもしれない。そして——気配が弱いという不安がある。アナトが万全の状態で戻って来るかどうか。
期限不明。
三つ目。エルの問いへの回答。
エルの山で、あの最高神はアシュタルに問いを残した。「双方向の契約。お前がそれを形にできるかどうかは、お前次第だ」。——形にするための期限は明示されなかった。だが暗黙の期限がある。バアルとモトの衝突が起きれば、契約など吹き飛ぶ。
実質的に、一つ目の期限に連動。
帳面に三つの時計を描いた。丸い文字盤に、それぞれ異なる速度の針が回っている——そんなイメージだ。
どれが先にゼロになるかで、全てが変わる。
バアルの時計が先にゼロになれば、戦争が始まる。不完全な力での戦い。敗北の可能性。人間の世界が戦場になる。
アナトの時計が先にゼロになれば——つまりアナトが戻ってくれば、状況が変わるかもしれない。戦力が増える。モトへの牽制になる。だが、弱体化しているなら——
エルの問いの時計が先にゼロになれば。双方向の契約の概念を形にできれば。バアルとモトの両方が受け入れる新しい関係を提示できれば。——仲裁が成立するかもしれない。
三つの時計。三つの変数。一つの商人。
頭が痛くなってきた。
「若旦那、お茶が入りましたよ」
ハダルが茶碗を持ってきた。薬草茶だ。苦いが、頭がすっきりする。ウガルの商人が長時間の商談で愛用する茶だった。
「ハダル」
「はい」
「商人組合長との面会はどうなった」
「明日の朝、組合事務所で。——ただ若旦那、組合長も困ってます。バアル派の商人とモト派の商人が口もきかない状態で、組合としての意思決定ができないと」
「組合が機能しなければ、市場も機能しない。市場が機能しなければ、経済が死ぬ」
「はい……」
「経済が死ぬのは、人が死ぬのと同じだ。商人にとっては」
茶を飲んだ。苦味が喉を通り、頭の靄が少し晴れた。
三つの時計のうち、自分でコントロールできるのは——ない。どれも外部要因だ。バアルの決意は動かせない。アナトの帰還は待つしかない。エルの問いは答えが見つからない。
いや。
コントロールできなくとも、準備はできる。
バアルが動く前に、代替案を出す。それが無理でも、バアルの戦い方を変える提案をする。正面衝突ではなく——条件闘争に持ち込む。
アナトが戻ってきた時のために、状況を整理しておく。何が起きていて、何が必要で、何が足りないか。あの人は感情で動く。情報は後回しになる。だから誰かが——情報を整理して渡す必要がある。
エルの問いに対しては——仲裁の条件を探し続ける。ヤムが言った「天秤」。バアルとモトの間にある、双方が受け入れられる一点。
帳面に書いた。
「やるべきこと:
一、バアルの戦い方を変える提案
二、アナトへの情報整理
三、仲裁条件の探索
四、ウガルの経済維持(商人組合)」
四つの仕事。一日半の期限。
多い。だが——商人は複数の案件を同時に動かすのが仕事だ。一つの取引に集中していたら、他の取引が逃げる。
「ハダル」
「はい」
「紙と墨を用意しろ。帳面じゃ足りない。大きな紙が要る」
「はい、すぐに」
ハダルが駆けていった。
茶碗を置き、窓の外を見た。
ウガルの街は朝の光に照らされていた。だが普段の活気がない。通りを歩く人の表情が暗い。不安が、霧のように街を覆っている。
三つの時計が同時に動いている。
どれが先にゼロになるか。
その答えは——アシュタルの動き次第で変わるかもしれない。
変えてやる。
商人は時間を管理する。期限を延ばし、条件を変え、状況を作り替える。それが——商人の仕事だ。
大きな紙が届いた。机に広げ、墨を取り、書き始めた。
三つの時計を一枚の紙の上に並べ、それぞれの条件を書き出していく。変数。定数。制御可能な要素。不可能な要素。
商人の戦いが始まった。
最初に書いたのは、バアルの時計の詳細だった。バアルの力の回復速度。消耗率。戦闘可能な最低限の力の割合。現在値。これらの数字を並べ、交差する点——つまり「バアルが戦える最低ライン」に達する時間を計算した。
結果。二日半では——足りない。バアルが万全に戦えるようになるまで、少なくとも七日は必要だ。二日半で戦えば、前回と同じ結果——あるいはそれ以下の結果になる。
ならば、バアルに戦わせないことが最善だ。だがバアルは戦う気でいる。止められない。
次善策。戦うにしても、被害を最小化する方法。
帳面に書いた。「戦場の選択」。モトは人間の世界を戦場に選んだ。だが具体的な場所は——まだ確定していない。ウガルの中心部で戦えば、街が壊滅する。ならば——街の外で戦わせることはできないか。
戦場を選ぶ。それも商人の仕事だ。取引の場所を選ぶことで、交渉の有利不利が変わる。自分のホームで交渉すれば有利。相手のホームでは不利。中立地帯なら——互角。
中立地帯。
カナアンに、バアルの領域でもモトの領域でもない場所はあるか。
ヤムの領域——海。
海は生も死も薄い場所だ。嵐は海にも及ぶが、陸ほどの力は出ない。冥界の力も、水を介すると弱まる。
だが——海で二柱の神を戦わせたら、海が荒れる。ヤムが黙っていない。
別の案を考えなければならない。帳面のページがまた一枚埋まった。
時間が過ぎていく。三つの時計の針が、止まることなく回り続けている。




