隠された事実
茶が二杯、石のテーブルに置かれている。
エルが粘土板を脇に寄せ、アシュタルに向き直った。灰色の瞳が穏やかに——だが底の見えない深さで——こちらを見ている。微笑みは変わらない。だがその微笑みの下で何を考えているのか、全く読めなかった。
「それで、商人。何を売りに来た?」
商談の幕が上がった。
アシュタルは帳面を開いた。白紙のページ。ここに、この商談の全てを記録する。商人は記録する生き物だ。口約束は風に消えるが、帳面に書いた文字は残る。
「情報です」
「情報?」
「はい。あなたが隠していることの対価を」
大胆な初手だった。自覚している。だが商談の初手は強く出なければならない。弱気な売り込みは値を叩かれる。最初に高い球を投げておいて、交渉の中で落としどころを探る。父の教えだ。「初手で控えめに出たら、そこが天井になる。最初は屋根の上から始めろ」。
エルの眉が微かに上がった。微かに。だが確実に。動揺ではない。興味だ。
「隠している、とな」
「あなたは沈黙しています」
帳面に目を落としながら、言葉を選んだ。一言一言が値段交渉だ。軽率な言葉は値崩れを起こす。
「バアルとモトの争いを見ていながら動かない。隠居を名目に表舞台を退き、神々の世界が揺れるのを——見ているだけです。バアルが冥界に囚われた時も。モトが暴走した時も。アナトが一人で戦った時も。あなたは動かなかった」
エルの指が杯の縁を撫でた。無意識の仕草か、計算された仕草か。判断がつかない。
「沈黙には理由がある。何かを隠しているか、何かを待っているか、あるいはその両方か。私はその理由を買いに来ました」
エルが茶を飲んだ。表情は変わらない。穏やかな微笑み。だがアシュタルは見ていた。杯を持つ指が、ほんの僅かだけ力を込めた瞬間を。杯の表面に指の痕が残るほどではないが、関節の色が一瞬変わった。
当たっている。沈黙には理由がある。そしてその理由は——エルにとって隠したいものだ。
「私の沈黙の理由を知りたい、と」
「知りたいのではなく、買いたいのです。情報には対価が必要です。ただで教えてほしいとは言いません。私が持っている情報と、あなたが持っている情報を——交換しましょう。商取引です」
対等な交換。商取引の基本原則。売る側と買う側が対等であること。たとえ相手が創造神であっても——取引のテーブルに着いた以上は、対等だ。
エルが杯をテーブルに置いた。微笑みが僅かに深くなった。
「では、お前は何を持っている?」
ここからだ。手札の提示。商談において、自分の商品を見せる瞬間。見せすぎてもいけない。見せなさすぎてもいけない。最も価値のあるものは最後に出す。だが最初の提示で相手の興味を引かなければ、商談はそこで終わる。
「三つあります」
指を立てた。
「一つ目。バアル帰還の実績です。私はバアルを冥界から連れ戻すことに関わりました。具体的にどう関わったかは——対価次第でお話しします」
エルの表情は変わらない。だが聞いている。灰色の瞳が微動だにしない——逆に言えば、視線を逸らさないということは、興味を持っているということだ。
「二つ目。モトの真意の分析です。冥界でモトと対面しました。彼が何を望み、何を恐れているか——私なりの分析があります」
僅かに——本当に僅かに——エルの目が動いた。瞳孔が微かに開いた。興味だ。モトの真意という言葉に反応している。モトのことは——この全知に近い老人でさえ、完全には把握していないのかもしれない。
「三つ目」
首からペンダントを外し、テーブルに置いた。
銅の板が石のテーブルに触れて、乾いた音を立てた。
エルの目が——変わった。
一瞬だった。穏やかな灰色の瞳の奥で、何かが光った。懐かしさか、驚きか、それとも別の何か。表情はほとんど動いていない。だが目だけが——確実に変わった。千年分の記憶が一瞬で蘇ったような、深い光。
この反応を見逃す商人はいない。
「祖父の形見です。古いウガリット文字が刻まれています。あなたなら——読めるのではないですか」
エルは答えなかった。ペンダントを見つめている。長い沈黙。灰色の瞳が銅の表面に注がれている。
そしてエルは微笑んだ。だが微笑みの質が変わっていた。穏やかさの下に——試す目がある。品定めをしている。この若い商人が、商談の相手として足るかどうかを。
一言一言が「値踏み」だ。
だが——商人は値踏みには慣れている。市場で毎日やっていることだ。布の目利き、香辛料の品定め、宝石の真贋鑑定。値踏みされるなら、こちらも値踏みさせてもらう。
帳面を構えた。筆記具を握った。
さあ、創造神殿。こちらの商品は提示した。
次は——あなたの番だ。




