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口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


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バアルの忠告

 朝の光の中で、帳面に新しい情報を書き込んでいた。


 窓から差し込む陽光が帳面を照らしている。昨夜の蝋燭の灯りとは違う、はっきりとした白い光だ。夜明け前にアシェラに会って帰宅し、そのまま一睡もせずに机に向かっている。だが眠気はなかった。興奮が眠気を押し退けている。


 作業机の上に帳面を二冊並べている。左にアシェラの情報、右にヤムの情報。二つの断片が一つの絵を作り始めている。商人の基本——断片的な情報を統合して全体像を描く。港の各地から仕入れた布の切れ端を繋ぎ合わせて一枚の幕を作るようなものだ。一枚一枚は小さい。だが繋げれば——全体が見える。


 ヤムの情報——「モトが欲しいのはバアルの力」。

 アシェラの情報——「バアルの力が冥界を支えていた」。


 二つを並べる。重ねる。


 帳面に矢印を引いた。情報Aから情報Bへ。情報Bから結論へ。


 結論が浮かび上がった。


 モトはバアルの体ではなく、バアルの力を冥界に取り戻したい。バアルを殺すのが目的ではない。殺してしまえばバアルの力は消える。力を分離して——生かしたまま奪うのがモトの真の戦略だ。


 帳面に推論を書き連ねた。一つずつ、丁寧に。商談の準備と同じだ。相手の腹の中を読み解く作業。


 前提一。バアルが冥界にいた七年間、嵐の力が冥界に染み込んだ。

 前提二。冥界はその力を使って安定を保っていた——アシェラの証言。

 前提三。バアルが地上に戻り、力も地上に戻った。

 前提四。冥界はバアルの力を失い、不安定になっている——だからモトが焦っている。

 結論。モトはバアルの力を冥界に戻すことで安定を回復したい——ヤムの証言と一致。


 二つの情報源が同じ結論を指している。商人にとって、二つの独立した情報源が一致することは——確度が高い証拠だ。


 使者の演説を再分析する。帳面から演説の書き起こしを引き出し、一文ずつ照合した。赤い墨で傍線を引く。省かれた情報の場所を。


「嵐を止める用意がある」——赤線。バアルの力を冥界に戻せば地上の嵐は止まる。それは事実だろう。だが使者の提案は「民のための解決策」に聞こえるように作られている。実態は「モトのための力の回収」だ。包装を変えただけだ。中身は同じ。


「正当な秩序の回復」——赤線。秩序とは、バアルの力が冥界を支えていた状態のことだ。「正当」という言葉で包装しているが、中身は「力を返せ」だ。「正当」か「不当」かは——立場によって変わる。モトにとっては正当だが、バアルにとっては不当だ。使者は「正当」と断定することで、モト側の正義を前提に組み込んでいた。


「冥界の安定」——赤線。安定の原因を省いている。安定していたのはモトの統治能力のおかげではなく、バアルの力のおかげだった。この一点を省くことで、モトの実力が過大評価され、バアルの貢献が過小評価されている。


 全ての論理が「バアルの力の返還」に収束していた。巧みに隠されていたが、構造が見えた。赤い傍線が帳面を埋めている。使者の演説は——美しい包装紙に包まれた「力をよこせ」だった。


 シャリムが来た。朝食の匂いを纏って。焼きたてのパンを持っている。


「食え。お前は考えるとき飯を忘れる」


「ありがたい」


 パンを齧りながら説明した。アシェラの情報、ヤムの情報、そこから導いた結論。


 シャリムは麦のパンを齧りながら聞いていたが、途中で手が止まった。口の中のパンを飲み込むのも忘れて、帳面を見つめている。


「つまりモトの演説は——『嵐を止めてやる』に見せかけた『力をよこせ』か」


「そうだ。使者の正論は正しい。だが前提を隠している。冥界がバアルの力で成り立っていたことを一言も言わなかった。これが——省かれた情報だ」


「省いただけで嘘はついてない。巧いな。——こういう手口を使う商人、俺は知ってるぞ。港の東にいるザキルだ。あいつの商談はいつもこうだ。言ったことは全部本当。言わなかったことが罠」


「ザキルの手口を破る方法は?」


「こっちから質問する。あいつは質問されると弱い。聞かれなかったことは答えないが、聞かれたら嘘はつけない」


 アシュタルが笑った。商人同士の会話だ。


「公開の場で使者に突きつける。だが——『嘘を暴く』やり方ではだめだ」


「なぜだ」


「使者は嘘をついていないからだ。『お前は嘘つきだ』と言えば、使者は堂々と否定できる。事実、嘘はついていない。こちらが嘘つきに見える。逆効果だ」


 シャリムが頷いた。


「やるべきは——質問だ。正面から攻撃するな。質問しろ。正しい質問を一つだけ。相手が答えに窮する質問を。答えれば矛盾が露呈し、答えなければ隠し事があると伝わる。ザキルを追い詰めるのと同じだ」


「一つだけか。質問が多ければ——」


「聴衆は混乱する。商談でも同じだろう。一度に三つ質問すれば、相手は一番答えやすいものだけ答えて残りを無視する。一つの質問を、一瞬の沈黙で。それが全てだ」


 帳面に質問を書いた。書いては消し、消しては書いた。言葉を削り、削り、核心だけを残す。商談の席で最も効果的な問いは、短い問いだ。長い質問は逃げ道を与える。修飾が多ければ多いほど、相手は修飾に引っかけて論点をずらせる。短い質問は——逃げ場がない。


 最後に残った一文を見つめた。シャリムに声に出して読んだ。


 シャリムが頷いた。「それでいい。一発で仕留めろ」


 モトの真意が見えた。次は——これをどう使うか。


 公開の場で一つだけ質問する。正しい質問を。


 商人は剣を持たない。質問が武器だ。


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