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口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


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天候の不安定

 翌日、使者は広場の中央に立った。


 群衆は前日より多かった。噂が人を集めたのだ。「冥界の使者が来た」「モト様からの言葉がある」「嵐を止める方法を知っているらしい」。情報工作が効いている。語り部たちが蒔いた種が芽を出し、使者の登場が花を咲かせた。地ならしは完了していた。


 使者が現れる前から、群衆の中では期待と不安が入り混じっていた。前日の花壇が枯れた光景を覚えている者は距離を取り、「話だけでも聞きたい」という者は前列に押し寄せていた。


 使者は演壇など使わなかった。


 立ったまま、静かに語り始めた。両手を前で組み、背筋を伸ばし、群衆を見渡す。芝居がかった身振りはない。大声も出さない。だがその静けさが——逆に人を引きつけた。


 声は大きくない。だが広場の隅まで届いた。冥界の力が音を運んでいる。一語一語が明瞭に、全ての耳に等しく届く。前列でも後列でも同じ音量。同じ明瞭さ。商人が市場で声を張り上げるのとは違う。静けさの中にある圧力。死の静寂が言葉を運ぶ。


「事実を申し上げます」


 使者が切り出した。丁寧語だ。モトと同じ口調。穏やかで、論理的で、恐ろしいほど冷静。丁寧語を崩さないのがモトの流儀なのだろう。怒鳴らない。威圧しない。ただ——事実を並べる。


「嵐神バアルが不在だった七年間——冥界は秩序を保ちました。死者は安らかでした。嵐はなく、港は無傷で、交易は安定していました。これは、事実です」


 数字を挙げ始めた。バアル不在中の死者の安寧率——九割七分。冥界に入った死者が苦しむことなく安らかに過ごした割合。冥界の管理実績——七年間で秩序の乱れはゼロ。死者の不満もゼロ。脱走もゼロ。地上への害をなす死霊の発生もゼロ。港の稼働率——九割八分。残り二分は通常の天候不良による休業で、嵐は一度もなかった。


 アシュタルは広場の端で聞いていた。帳面を開き、数字を書き取っている。


 驚いていた。


 使者はデータで語っている。感情や信仰ではなく、数字と事実で。自分と同じ手法だ。商人が商談で使う手法を——死神の使者が使っている。しかも数字の精度が高い。四捨五入や曖昧な表現を使わない。具体的な数値で語る。これは——準備してきている。即興ではない。モトが周到に用意した演説だ。


「嵐神の帰還後——」


 使者の声が少しだけ低くなった。声のトーンを変える技術も持っている。


「港の損害は年間交易高の三割に達しました」


 アシュタルが算出した数字と同じだった。一銭の狂いもない。向こうも計算しているのだ。同じ被害データを持っている。あるいは——使者自身が被害を調査したのかもしれない。半透明の存在なら、人目を忍んで港を歩き回ることもできるだろう。


「死者は増え、作物は荒れ、漁は止まりました。三日間で七度の嵐。家屋の損壊は四十七棟。農地の冠水は総面積の二割。漁船の損壊率は七割。これもまた、事実です」


 群衆が頷いている。周囲を見渡すと——漁師が頷き、農夫が頷き、商人が頷き、主婦が頷いている。全員が当事者だからだ。船を失った漁師、畑を失った農夫、在庫を失った商人、屋根を失った主婦。使者が挙げる数字の一つ一つが、誰かの損害と直結している。


 反論しがたい。全て事実だからだ。自分が帳面に書いた数字と同じ数字が、使者の口から語られている。正しい数字だ。嘘は一つもない。


「問います——嵐神の帰還は、誰のためだったのか」


 静寂が広場を満たした。風すら止んだ。使者の問いが空気の中に浮かんでいる。


 使者の視線がゆっくりと群衆を巡った。一人一人の目を見ている。半透明の瞳が、全ての視線を受け止めて返す。目が合った者は——身じろぎした。死の気配と目を合わせるのは、心地よいことではない。


「モト様は問いません。責めません。ただ事実を述べ、そして——解決策を提示します」


 間を置いた。使者も「」を使う。商人の手口だ。聞き手が自分で結論を出す時間を与える。結論を押しつけるのではなく、自然に辿り着かせる。


「モト様は嵐を止める用意があります。求めるのはただ一つ——正当な秩序の回復です」


 穏やかな結論だった。暴力を匂わせない。脅迫もない。「力で従わせる」とは一言も言っていない。合理的で、丁寧で、恐ろしいほど正しく聞こえる。


 群衆の半数が頷いていた。残りの半数も——否定はしていなかった。腕を組んで考え込んでいる者、隣の者と目を見合わせている者。完全な否定はない。つまり——使者の言葉は浸透している。


 アシュタルの拳が握りしめられていた。帳面を持つ手に力が入る。帳面の角が掌に食い込む。


 正しい。全て正しい。数字も、論理も、結論も。穴がない。使者の言葉に嘘は一つもない。


 だが——全て正しいことが、全て真実とは限らない。


 商人は知っている。正しい数字で嘘をつく方法を。都合の良い数字だけを並べて、都合の悪い数字を省く。見せたい部分だけを照らし、見せたくない部分を影に隠す。言ったことは全て正しいが、言わなかったことに真実がある。


 帳面に使者の演説を一言一句書き起こしていた。帰ったらこれを分析する。言っていることではなく——言っていないことを探す。


 穴はある。必ずある。正しい言葉の間に、省かれた真実が隠れている。


 それを見つけるのが——商人の仕事だ。


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