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口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


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仲介者の意味

 バアル神殿前に、異質な存在が立っていた。


 正午の陽光の下で、その姿は場違いだった。半透明の肌。灰色の衣。市場に紛れていた「旅の語り部」とは格が違う。輪郭がはっきりしている。実体に近い。背は高く、痩せて、面長の顔をしている。微笑みを浮かべているが、笑顔が目に届いていない。モトに似ている——と思った。死神に仕える者は、主人に似るのだろうか。


 足元に冥界の冷気が漂い、近くの花壇の花が——見ている間に枯れていった。色が抜け、花弁がしおれ、茎が折れる。数秒のことだった。赤い花が灰色になり、黄色い花が茶色に変わり、緑の茎が黒く縮んだ。死の気配。これが冥界の空気なのだ。


 冥界の使者が、公然と姿を現した。


 広場に人が集まり始めていた。抗議の群衆ではない。好奇心だ。「死の気配を纏った存在」を見たことがある人間は少ない。恐怖と興味が入り混じった視線が使者に注がれている。子どもの手を引いて離れる母親がいる。逆に、わざわざ近づいて顔を覗き込もうとする若者もいる。


 バアル神官が奥から慌てて駆け出してきた。白い祭服の裾を踏みそうになりながら。


「な、何者だ。ここはバアル様の神域だぞ!」


 使者は微笑んだ。穏やかに。恐ろしいほど穏やかに。


「ご無礼をお許しください。モト様より参りました。会談を申し入れに」


「会談? モトの使者が——バアル様の神殿に?」


「ええ。嵐の被害について——解決策を提示したいとモト様は望んでおられます」


 使者の声は穏やかで、論理的で、恐ろしいほど丁寧だった。モトと同じ口調。丁寧語を崩さない。それが逆に——恐ろしい。怒鳴る敵より、微笑む敵のほうが怖い。


「対話による解決を。それは神々にとっても人間にとっても望ましいことではありませんか」


 群衆の中から声が上がった。


「話だけでも聞いてみてはどうだ」


「そうだ、嵐が止まるなら——」


「でもモトの使者だぞ。死の神の——」


「死の神だからって悪いとは限らないだろう。嵐より死のほうがましだ」


 群衆の反応は二分されていた。恐怖と好奇心。拒絶と期待。嵐の被害に疲弊した人々にとって、「解決策」という言葉は——甘い蜜だった。溺れている者は藁でも掴む。藁が死神の手であっても。


 神官が困惑している。使者を追い払う権限があるのかどうか、判断がつかないのだろう。バアルは奥の間で倒れている。アナトも出てこない。判断する神がいない。


 アシュタルは騒ぎを聞きつけて駆けつけた。市場で噂の追跡をしていた最中だった。走ってきたせいで息が上がっている。


 広場の端から使者を観察する。商人の目が分析する。


 この使者は——市場に紛れていた「旅の語り部」よりも格が上だ。半透明の肌はより実体に近い。声には冥界の力が載っている。語り部たちが末端の工作員だとすれば、この使者は正規の外交官だ。


 モトは段階を上げてきた。


 最初は半透明の語り部を潜り込ませ、噂で地ならしをした。「モトは有能だ」「バアル不在のほうが良かった」という印象を民衆の中に作り上げた。そして——土壌が整ったところで、正規の使者を送り込んできた。


 商品の販売戦略と同じだ。まず広告で認知度を上げ、次に営業マンを送り込む。認知がない状態で営業マンが来ても門前払いされる。だが認知があれば——「話だけでも聞いてみよう」となる。


 見事な手順だ。商人として認めざるを得ない。順番を間違えない敵は手強い。


 使者がアシュタルに気づいた。


 半透明の瞳がこちらを向いた。黒い瞳だ。底が見えない。覗き込むと吸い込まれそうになる。


「ああ——嵐神を冥界から連れ出した人間か」


 名指しされた。心臓が一拍跳ねた。背中に冷や汗が走る。


「モト様がお前の名を覚えていた。アシュタル、と」


 死神に名前を覚えられている。商人としての経験上、取引先に名前を覚えられることは——良い兆候か悪い兆候かのどちらかだ。大口の顧客に覚えられれば商売繁盛。だが借金取りに覚えられれば——追い込まれる。この場合は明らかに後者だ。


 だがアシュタルは商人の顔を保った。膝が震えているのは自覚している。だが顔には出さない。商談の席で膝が震えたことは何度もある。震えたまま口を回すのが商人だ。


「覚えていただけたなら光栄です。取引相手として、ですか?」


 使者の微笑みが深くなった。


「面白い人間だ、とモト様は仰っておいでだ」


 それ以上は何も言わず、使者は広場を去った。歩く足音がしない。地面に触れていないのかもしれない。冷気の残像だけが足元に漂っている。通った道の石畳が白く霜を被っていた。花壇の花は全て枯れていた。


 使者の態度は堂々としていた。


「正しいことをしている」確信に基づく余裕。これが一番厄介だとアシュタルは知っている。嘘つきは崩せる。嘘の矛盾を突けばいい。だが——正しいと信じている相手は、手強い。正論を振りかざす敵にどう対抗するか。


 それが——次の問いだった。


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