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口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


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創造神の名

 市場は、半分しか開いていなかった。


 嵐の被害で商品の入荷が滞っている。穀物屋は店を閉めた。軒先に「入荷未定」と書いた板を掛けている。魚屋の台には乾物しか並んでいない。生魚は漁に出られなければ手に入らない。果物売りの籠は空だった。東の丘の果樹園が全滅したのだから当然だ。


 だが人は集まっていた。物を買うためではなく——情報を求めて。


 立ち話の輪があちこちにできている。声は低く、顔は険しく、誰もが何かを知りたがっていた。次の嵐はいつ来るのか。港の修復はいつ始まるのか。食料はいつ届くのか。市場が「商品の交差点」ではなく「情報の交差点」になっている。


 商人にとっては見慣れた光景だった。不安な時ほど人は情報に飢える。そして不安な時の情報は——大抵、質が悪い。恐怖が情報を歪め、怒りが情報を増幅する。噂が事実の顔をして歩き回る。


 シャリムが茶屋でアシュタルを待っていた。朝一番の約束だ。シャリムの前には茶が二つ。一つはもう冷めている。先に来て待っていたのだ。


「聞いたか、最近の噂」


「聞かせてくれ」


 シャリムが指を折った。


「一つ。『モト様は冥界を秩序正しく治めていた』。二つ。『バアルが不在の間、死者は安らかだった』。三つ。『嵐神が戻ったせいで冥界も乱れている』」


 アシュタルは茶を一口飲んだ。苦い。茶葉も品質が落ちている。輸入物の茶葉は交易路が止まれば入ってこない。


「巧いな」


「巧い?」


「構成が巧い。一つ目で『モトは有能だ』と印象づけ、二つ目で『バアル不在は悪くなかった』と補強し、三つ目で『バアルが諸悪の根源だ』と結論を出す。三段論法だ。商談で相手を説得するときの基本構造と同じだ。前提を二つ積んで結論に導く。聞いた者は自分で結論を出したつもりになる。だが実際は——最初から結論に誘導されている」


 シャリムが眉を上げた。


「自然に生まれた噂か?」


「いや。自然な噂は構造がない。あっちの話とこっちの話が矛盾したり、尾ひれがついたりする。この三つは矛盾がなく、綺麗に繋がっている。構成されている」


 アシュタルは市場に出た。噂の「流れ」を追跡する。


 東の茶屋で聞いた話——「モト様は死者を苦しめなかったそうだ」。西の水汲み場で聞いた話——「冥界の秩序が一番良かったのはバアルが不在の時だった」。同じ構造で微妙に異なる表現だった。核心は同じ。だが聞き手に合わせて言葉が変えてある。


 港近くでは漁師向けに「海が荒れるのはバアルのせいだ。嵐神がいなければなぎが続いていたのに」と変形していた。農地の近くでは「作物が枯れるのは嵐の神が暴れるからだ。モト様の時代には日照りも暴風もなかった」と変形している。


 同じ核心を、聞き手に合わせて変えている。漁師には海の話を。農夫には畑の話を。商人には交易の話を。


 商人ならわかる。これは「仕込み」だ。商品の風評操作と同じ手口。競合の商品をけなすとき、同じ悪評を少しずつ変えて複数の場所に流す。一人が言えば噂だが、三人が別々に同じことを言えば事実になる。


 噂の発信源を辿った。市場の人々に「誰から聞いた?」と訊いて回る。商人の情報網だ。アシュタルの顔は市場で知られている。話してくれる相手は多い。


 辿っていくと、必ず「旅の語り部」が関わっていた。市場に現れ、物語を語り、噂を落としていく存在。一人ではなく、複数。三人か四人はいるようだ。


 だが奇妙なことがある。


 姿を見た者はいる。声を聞いた者もいる。だが——翌日には消えている。名前を覚えている者がいない。顔の描写が曖昧だ。「灰色の衣を着ていた」「声が妙に静かだった」「近くにいると寒気がした」「顔はよく覚えていないが、優しそうだった」。


 共通しているのは——「寒気」だ。


 半透明の存在。近くにいると花が枯れる存在。冥界の気配を纏った存在。


 冥界の使者だ。


 背筋が冷えた。


 モトは武力で攻めてきたのではない。情報で攻めてきた。噂という弾を、市場という戦場に撃ち込んでいる。一発一発は小さい。一つの噂は取るに足りない。だが数が積み重なれば——民心を動かす。商品の風評と同じだ。一つの悪評では売上は落ちない。だが十の悪評が積み重なれば、客は別の店に行く。


 茶屋に戻った。シャリムに伝えた。


「冥界の使者だ。モトが情報工作を仕掛けている」


 シャリムの顔が強張った。


「嵐の神より厄介じゃないか。嵐は目に見える。対策もできる。だが噂は——見えない。掴めない。潰しても潰しても湧いてくる」


「だが手口は分かった。これは商売の手口だ」


 帳面を開いた。噂の流れを書き込む。発信源、伝播経路、変形パターン。どの茶屋で、どの井戸端で、どんな形で噂が語られたか。全てを図にする。


「商売の手口なら——対抗する方法もある」


 シャリムが身を乗り出した。


「あるのか」


「まだ具体策は浮かんでいない。だが構造が見えた。構造が見えれば——穴も見える。穴が見えれば、そこを突ける」


 帳面の図を見つめた。情報の流れの地図。どこから噂が入り、どこで分岐し、どこに溜まるか。


 商人は情報の流れを読む。それが商売だ。そして今——敵も同じことをしている。商人と同じ手法で。


 認めざるを得ない。モトの知性は侮れない。


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