↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
口だけの商人、神の戦争を生き抜く ~戦の女神が俺に本気なのは誤算だった~  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
171/342

バアルの告白

 五日目の夜。


 雨は小降りになっていた。岩陰に火を起こし——アナトが岩を叩いて火花を散らし、アシュタルが枯れ草を集め、バアルが申し訳なさそうに雨を逸らした——三人は焚き火を囲んでいた。


 バアルは火の向かい側に座っていた。膝を立て、両手を組んでいる。紋様は弱く明滅している。夜になると暴走の危険は下がるらしい。太陽がない分、天候との連動が弱まるからだとバアルは説明した。


「では、整理しましょう」


 アシュタルは帳面を膝に載せた。墨は乾ききっているが、薄い文字でなんとか書ける。


「バアルの力の制御が利かない原因は——二つ。一つは、力の二割五分が冥界に残っていること。制御系統が十割の力を前提に設計されているのに、七割五分しか使えない」


「そうだ」


「もう一つは、冥界に長くいたことで、力の回路——紋様——が鈍っていること。これは時間が経てば回復する可能性がある」


「回復する。だが完全にはならない。二割五分が欠けている以上、全盛期の制御精度には戻らない」


「つまり——時間が解決するのは回路の鈍りだけ。力の不足は構造的な問題で、解決しない」


「その通りだ」


 アシュタルは帳面に図を描いた。円を描き、その四分の一を斜線で消した。残った四分の三に「バアルの力」と書き、消した部分に「冥界に残留」と書いた。


「モトとの契約で、二割五分は冥界に残すと決めた。これは覆せない。契約違反になれば——僕の魂がモトのものになる」


「……すまない」


「謝らないでください。これは僕が自分で決めた条件です」


 バアルが目を伏せた。アシュタルの言葉に対する嵐神の反応は、常に「すまない」だった。自分のために人間が魂を賭けたことへの罪悪感。それは——真摯な感情だった。だがアシュタルには、今は感情よりも論理が必要だった。


「では、七割五分の力で天候を安定させる方法を考えましょう。問題は——百の嵐を七十五の力で制御しようとしていること。選択肢は二つ。力を増やすか、嵐を減らすか」


「力は増やせない。冥界に残した分は戻らない」


「なら嵐を減らす。百の嵐を、七十五に抑える方法を探す」


「どうやって」


「それを今から考えます」


 アナトが焚き火の向こうで腕を組んでいた。会話に参加せず、ただ聞いていた。だが——聞いている。金色の瞳が焚き火の光に照らされ、時折アシュタルの方を向いた。


 アシュタルは帳面の新しい頁を開いた。


「バアル。あなたの力は——常時発動しているんですか。眠っている間も」


「……ああ。嵐神の力は俺の意志とは半ば独立して動いている。天候を感知し、自動的にバランスを取ろうとする。俺が意識的に嵐を呼ぶ時は精密に制御できるが——自動的に動く部分は、制御が難しい」


「自動的に動く部分。それが暴走の原因ですね」


「そうだ。全盛期は、自動制御の範囲を俺の意志で調整できた。だが今は——調整弁が壊れている」


 調整弁。


 商人の頭が動いた。


「バアル。その自動制御を——一時的に切ることはできますか」


「切る?」


「全部ではなく——範囲を限定する。カナアン全域ではなく、半径十里、二十里の範囲だけを制御対象にする。残りの範囲は——天候を自然に任せる」


 バアルが目を見開いた。


「制御範囲を——縮小する、だと?」


「力が足りないなら、守る範囲を狭くすればいい。全部を守ろうとするから暴走する。七十五の力で百を守るのではなく、七十五の力で七十五を守る」


「だが——残りの二十五はどうなる」


「自然に任せる。バアルがいなかった時代——冥界に留まっていた間——カナアンの天候は自然に動いていたはずです。干ばつにはなったが、世界が滅びたわけではない。嵐神の介入がなくても、天候はそれなりに動く」


 バアルが黙った。


 長い沈黙だった。焚き火の薪がぜる音だけが聞こえた。


「……全てを守らなくていい、と。そう言っているのか」


「はい」


「それは——王としての務めを放棄しろと言っているのと同じだ」


「いいえ。選択しろと言っています。全てを中途半端に守るか、一部を確実に守るか。——商売では、全ての取引先を同時に満足させることはできません。優先順位をつけて、一つずつ対処する。それが——持続可能な方法です」


 バアルの拳が膝の上で握り締められた。


 アナトが口を開いた。


「兄上」


 静かな声だった。


「こいつの言うことには——理がある」


 バアルがアナトを見た。


「お前も同意見か」


「私は嵐の制御など分からない。だが——戦場では同じだ。全方位を守ろうとすれば陣形が崩壊する。守る場所を選び、捨てる場所を選ぶ。それが指揮官の仕事だ」


 バアルが目を閉じた。


「……分かった」


 嵐神が目を開いた。濃い青の瞳に——決意があった。


「明日から試す。制御範囲を縮小して——段階的に、力を安定させる」


 原因は分かった。方針も見えた。


 だが——解決はまだ先だ。


 アシュタルは帳面に書いた。


 方針決定。段階的制御。実行は明日から。


 書きながら——右手首の印が微かにうずいた。銀の円環紋様が、焚き火の光を反射して光っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。