第95話
「――へえ、何やら面白いことが起こりそうじゃない」
秋雨が店内の掃除をしていると、レジカウンターで鼻歌をうたっていた玲香が唐突にそんなことを言う。
あまりにも唐突過ぎたので秋雨は思わず怪訝そうな表情を浮かべてしまった。
「……突然、なんですか?」
嫌な予感がしつつも、秋雨は聞いてみる。
すると玲香はニヤリと笑みを浮かべ、手を組んで大きく背伸びをした後に口を開く。
「異世界で厄介事が勃発よ」
「それは権能の未来予知からの情報ですか?」
「ええ。まあ、異世界のことだから進んで首を突っ込む必要なないと思うけど、このままだと勇者御一行は唯では済まなさそうね」
妙に恐ろしいことを言う玲香に、秋雨は眉間に皺を寄せながら小さく息を吐く。
意味のない言葉を玲香は吐かないと知っているが、あまりにも遠回し過ぎる。
玲香としては何らかの意図を持って秋雨に言葉を投げかけており、その意思決定も委ねていることは明らかだった。
「…………それで俺に何をさせたいんですか?」
「あら、興味あるの?」
「いや、明らかに興味持ってみたいな雰囲気で言ってきてるじゃないですか。玲香さんが意味もなくそんな話を振るわけがないことくらい理解しているので……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃない。ま、それなりの意図はあるわよ」
一体どのような意図があるのか――秋雨が考えを巡らせていると、トイレ掃除を終えたアンネリーゼが上機嫌な足取りでレジカウンターまでやって来る。
「トイレ掃除、終わったよぉ。それよりもぉ、何だか面白そうな話をしてるねぇ?」
何処から聞いていたのかはわからないが、随分と耳ざとい。
そんなアンネリーゼの表情は「混ぜて」と言わんばかりである。
「アンタには関係ない話だ」
「えぇ、秋雨君は冷たいねぇ。で、どんな話をしてたのさぁ、玲香ちゃん?」
「アナタにちゃん付けで呼ばれるのは相変わらず慣れないわね。それよりもどんな話をしてたかって? 異世界で面白そうなことが起こりそうって話をしていただけよ」
するとアンネリーゼが「へえ?」と何やら思い当たることがあるような声を溢す。
「私の予想通りなら、面白いことが起こってるかもねぇ。そう言えば勇者君たちが異世界に行っているんだっけ?」
「……そうだが、それがどうしたんだ?」
「そうだねぇ……私の予想通りなら死んじゃうかもね」
サラッとアンネリーゼがそんなことを言い放つ。
「死ぬって……アイツはそこまで弱くないぞ」
共に肩を並べ、アンネリーゼと戦った秋雨は断言する。
そもそも奏多の実力はアンネリーゼ自身も把握しているはずであり、異世界にいる並の実力者では相手にならないことくらい理解しているだろう。
「まあ、即死はないかなぁ程度だねぇ。だって、相手はルクシャ・ハーナだし」
再びサラッとアンネリーゼが言い放つ。
「……ルクシャ・ハーナだって⁉ アイツは消息不明だったんじゃ――」
「元々、そいつはゾティークの出身だったわけでしょ? 傷を癒すために逃げ込んだ先がゾティークでも何らおかしなことはないわ。ま、言ってしまうと、傷も癒え、封印ボケも改善したから行動を起こしはじめたってワケよ」
秋雨の言葉を遮るように、玲香が事実を突きつける。
「で、その娘っこが言う通り、頂点捕食者を単独で相手をするには実力が足りてないって話よ」
なるほど――と、秋雨は思う。
今のままだと奏多は死ぬ。しかし、秋雨が介入すれば何とかなる可能性があるのだろう。
だが、この件はあくまでも異世界の問題であり、こちら側が積極的に介入する必要もない。
だから、玲香は自由意思に任せるような台詞回しをしていたのかもしれない。
「さて、ここまで言ったのなら私の意図も理解できたんじゃないの?」
「そうですね。俺が異世界へ行くかどうかの意志を聞きたいってことですか?」
秋雨の言葉に、玲香は満足そうに頷いた。
「首を突っ込む突っ込まないは任せるわ。ちなみに私はこの件に手を出す気は微塵もないから」
「……理由は?」
「ルクシャ・ハーナ如きに労力は使いたくないって感じかしら」
真顔でそんなことを言ってのける玲香。
秋雨は思わず眉間の皺を更に深めてしまう。
「一応、ルクシャ・ハーナの件は五行神家の管轄のはずですが?」
五行新家はルクシャ・ハーナの封印を監視し続けることを本来の生業としていたはず。今でこそ封印は解けてしまったのだが、責任を持つという点では継続していると秋雨は考えている。
なお、その封印を解いた張本人は直ぐ側にいるのだが……。
「この世界にいないのなら、知ったことじゃないわよ」
「……そうですよね。玲香さんなそう言いますよね」
「そういうこと。だけど、秋雨個人で何とかしたいのなら止めないわよ?」
暗に何とかしろ言わんばかりの言い回しだ。
秋雨は深い溜息を吐く。
「行けってことですよね?」
「さあ?」
「……行きますよ。ですけど、異世界の行くにはどうするんですか?」
その問いに玲香は親指で指し示す。
その指の先にいたのは――アンネリーゼだ。
「その娘を連れて行きなさい。異世界の渡航手段くらい持ってるでしょうから」
「えー、私に働けって言うのぉ?」
「そりゃあ、今現在のアナタは私の社員なのよ? ま、業務命令だと思いなさい」
明らかに面倒だと言わんばかりの態度でアンネリーゼがブツブツと玲香に文句を垂れる。
一方、秋雨は非常に渋い表情を浮かべていた。
「…………それ、本気で言ってますか?」
「ええ、本気よ」
「俺とアンネリーゼの関係は知ってますよね?」
「ええ、だけどこれには関係のない話でしょ?」
確かに玲香の言う通りではあるのだが、秋雨としては釈然としないのも事実。
だが、こうなってしまうとどうしようもない。
「ま、秋雨君と一緒なら良いかなぁ?」
「俺は良くない」
「いけずだねぇ」
「……はぁ」
秋雨はキリキリし出す胸を摩りながら、再び深い溜息を吐くのだった。




