第136話
前腕が強固な甲殻に覆われた大熊——マッドベアを前に、クロとルシアが対峙していた。
少し離れたところから秋雨がその様子を眺め、その隣には黒い雲の上で惰眠を貪っているアンネリーゼの姿が在った。
マッドベアとクロ、ルシアの間には張り詰めた空気が漂う。
お互いに視線をぶつけ合い、隙を探し合う。
——と、マッドベアが雄叫びを上げた。
膠着状態に痺れを切らしたのか。或いは目の前の獲物に我慢できなくなったのか。
マッドベアはその強靭な四肢を使って、猛スピードでクロとルシアへと突っ込んで来る。
しかし、二人は特に焦った様子を見せない。
まずはクロが動いた。
水之業・陽型——水刃刀。
水の刀を右手に顕現させ、クロは迫るマッドベアと擦れ違うように前腕を斬りつける。
血飛沫が舞う。
同時にマッドベアの体制が崩れ、前へのめり込むように転がる。
その先にはルシアが立っていた。
倍以上の体格を持つマッドベアが転がって来るが、ルシアは表情を変えることなく両手を前へと出す。
水之業・陽型——水天球。
ジャポン——そんな音と共に、転がって来たマッドベアを巨大な水球で受け止め、閉じ込める。
マッドベアは水球の中でゴポゴポと空気を吐き出しながら暴れ回る。だが、次第にその動きは鈍くなっていき、最後はピクリとも動かなくなった。
水球が消滅するとドサっとその巨体が地面に転がった。
「ふぅ、クロ怪我はない?」
「おう! 姉ちゃんも大丈夫か?」
お互いに無事を確認し、パンとハイタッチを交わす。
そんな二人の元へ離れたところから眺めていた秋雨がやって来る。脇には眠りこけているアンネリーゼを抱えていた。
「水刃刀と水天球。共に問題ない発動速度だった。身体強化も問題なく使えているな」
クロとルシアの戦いっぷりを見た秋雨は告げる。
その言葉に二人は表情を明るくする。
「どうだ、お兄さん! 俺も結構やれるだろ?」
「クロ、調子に乗らないの!」
鼻を高くし胸を張るクロに、ルシアが「気を引き締めろ」と注意を促す構図が出来上がる。
これも修業が始まってからお馴染みとなってしまった光景ではあるが、姉弟のじゃれ合いと思えば微笑ましいものである。
「この調子ならある程度の魔物なら問題なく対処できるだろうな。そう言えば今朝、チオビタさんが『そろそろ国境封鎖も解けるんじゃないか』とか言っていたな」
現在、秋雨たちはアリステッドと共和国の国境に位置する町で足止めを受けていた。
公式な理由は不明であるが聞き込みをしたところ『正体不明の魔物による被害が増加したため、調査がされている』という噂話程度の話を聞くことが出来ていた。
正体不明の魔物————と、なれば秋雨たちの思い当たるのは収獲者だ。
しかし、既にひと月ほど足止めされており、両国ともに物流が止まっている状況を長く続けるわけにもいかない。
ここまで秋雨たちを乗せてきた商人チオビタはその経験則から『そろそろ』という判断をしているらしい。
実際、足止めを受けている冒険者や旅人たちのフラストレーションも溜まっていることもあり、それこそ道を急いでいる者による強行突破未遂が連日発生していることもある。
これ以上の封鎖は様々な要因からも難しいだろう。
「足止めになった時はどうなるかと思いましたが、腰を据えて修業ができたことは良かったです」
「姉ちゃんの言う通りだぜ。俺もようやく戦えるくらいにはなったからな!」
今後の道中で魔物と遭遇した時はクロとルシアも頭数に数えることができる。
それだけでも秋雨の負担は減るので非常に助かる限りだ。
最も抱えられたまま起きる素振りすら見せないアンネリーゼが働いてくれたら、尚良かったのだが……。
「とりあえず宿に戻って、チオビタさんに状況を聞いてみよう」
秋雨の言葉にクロとルシアは頷く。
「……ところでいつまで狸寝入りを決め込むつもりだ、アンネリーゼ」
「————宿に到着するまでかなぁ?」
目を閉じたままそんなことを宣うアンネリーゼを、秋雨は容赦なくその辺に放り投げた。




