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悪役令嬢ルートを回避した聖女ですが、乙女ゲーム終了後に王太子の再婚相手になりました  作者: 杜咲凜
番外編 エリシアとイネス

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22/23

イネスはいつもいなくなる

 イネスは、不思議な令嬢だった。


 成績は中の上。

 授業で目立つことはない。

 教師に褒められることも、叱られることも少ない。


 けれどエリシアには、どうしてもそれが不自然に見えた。


 授業中、難しい問いに対して、イネスは答えを知っている顔をしている。

 でも手を挙げない。


 実技でも、失敗はしない。

 けれど一番にはならない。


 誰かに話しかけられれば穏やかに返す。

 けれど、気づくと輪の外にいる。


 まるで、目立たないことを目的にしているようだった。


「イネス様って、すごく綺麗に歩かれますよね」


 ある日、図書館で隣に座ったエリシアがそう言うと、イネスは本から顔を上げた。


「そうでしょうか」


「はい。姿勢も、指先も、全部綺麗です。私も真似したいです」


「……遠縁の叔母が、少し礼儀に厳しい人でしたので」


「少し?」


「かなり、かもしれません」


 イネスは珍しく、少しだけ困ったように言った。


 その表情がなんだかおかしくて、エリシアは笑ってしまった。


「でも、素敵です。私、イネス様みたいになりたいです」


「真似ですか……? そんな必要はありませんよ」


「どうしてですか?」


「真似をしなくても、エリシアさんは十分に綺麗な立ち振る舞いです。あとは貴族としての儀礼を学べば問題ありません」


 真顔で言われて、エリシアはまた笑った。


 イネスといる時間は、不思議と楽だった。


 何かを聞き出されることもない。

 聖女候補として扱われることもない。

 将来について、勝手に期待されることもない。


 ただ、隣に座って本を読む。

 分からないところを聞けば、短く教えてくれる。

 お茶に誘えば、たまに来てくれる。


 けれど、べったり一緒にいるわけではなかった。


 お互いに仲の良い友人はいるし、イネスも誰とも話さないわけではない。

 その中で、エリシアは“よく話す友人の一人”だった。


 けれどエリシアとしては、もっとイネスと仲良くなりたかった。


 しかし、それはなかなか難しい。


 なぜなら、イネスはよくいなくなるからだ。


 休み時間に席を立ったと思えば、次の授業には何事もなかったように戻っている。

 放課後に誘おうとすると、もう姿がない。


 けれど、エリシアが本当に困ったときには、なぜか来る。


 魔法実技の授業で、エリシアの力が暴走しかけた日もそうだった。


 女神の意識に触れてから、エリシアの魔力は急激に増大した。

 だからこそ、まだ扱いに慣れていない。


 膨れ上がる光。

 制御できない力。

 周囲の生徒たちが怯え、教師が駆け寄ろうとした瞬間だった。


 誰かが、そっとエリシアの手首を掴んだ。


「息を吐いてください」


 静かな声。


 イネスだった。


「力を無理に押さえ込もうとしないでください。流れを感じて……遠くから眺めるように」


 その声に従う。


 すると暴れていた光が、少しずつ細くなっていく。


 制御するのではない。

 流れを整える。


 その感覚に気づいた瞬間、エリシアの魔力はゆっくりと落ち着きを取り戻した。


 周囲は騒然としていた。


 けれどエリシアは、イネスの手の冷たさだけを感じていた。


「……イネス様、今の」


「少し、家庭教師に習っただけです」


「家庭教師で、あんなことを?」


「ええ。少し変わった方でした」


 まただ。


 イネスは本当のことを言っていない。


 でも、嘘をついている感じでもない。

 ただ、大事なところだけを静かに隠している。


 その日の放課後。


 エリシアは中庭でイネスを見つけた。


 偶然だった。


 大きな木の陰で、イネスはひざまずき、小さな鳥を手の中に包んでいた。


 怪我をしていたのだろう。

 淡い光がこぼれ、やがて鳥は小さく羽ばたく。


 イネスはそっと空へ放し、ゆっくり振り返った。


「見ましたか」


「……はい」


「では、見なかったことにしてくださいね」


 いつもと同じ声だった。


 けれど、その微笑みがあまりにも綺麗で、エリシアはなぜか胸の奥が熱くなる。


 エリシアは黙ってうなずいた。


 胸の鼓動が、少しだけ速い。


 おかしい。


「イネス様は、不思議です」


「不思議……?」


「もし私が男の人だったら、イネス様のこと、好きになっていたと思います」


 言ってから、エリシアは自分で驚いた。


 告白みたいだ。


 違う。

 違わないけれど、違う。


 好き、なんだけど。

 でも、そういう好きではなくて。


 イネスは数秒、完全に止まった。


「……何を言っているんですか」


「だって、絶対に幸せにしてくれそうですもん」


「私は、そんな大層な人間ではありません」


「でも、そう思うんです」


 エリシアは笑った。


 イネスは困った顔をして、それから小さくため息をつく。


「あなたは、少し人を信じすぎです」


「そうでしょうか」


「ええ」


「でも、イネス様は信じてもいい人です」


「……困った人ですね」


「ええ。私、イネス様になら騙されてもいいって思えるんです」


 その言葉に、イネスは何も返さなかった。


 ただ、夕暮れの光の中で静かに目を伏せる。


 その姿があまりにも綺麗で、エリシアは思った。


 この人はきっと、自分が誰かを救っていることに気づいていない。

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