13.7 四月一日(3)逃げる理由
「舐めるなと言ったのに……」
「失礼。行儀が悪かったですね」
リッシュモンは波風立てるようなことをわざとやっているのか、意図も悪気もなく天然でやっているのか、よくわからない。
「まだ行くなよ。聞きたいことがたくさんある」
あらかじめ「行くな」と釘を刺しておけば、リッシュモンは私の意志に反することはしない。ここから立ち去ることを許したら、次に再会するのは何年後になることか——。
誰かが来るかもしれないし、思わぬ邪魔が入るかもしれない。
手の届く範囲にとどめたくて、長椅子の隣に座るように促した。
「今夜は逃がさないからな」
念を押してそう告げると、リッシュモンの眉間に刻まれた深いしわが少しゆるんだ。
「なぜ、姿を見せなかった?」
「所用が立て込んでおりました」
「だが、あの日はシノン城にいただろう?」
クーデターの日、ラ・トレモイユを襲ったときのことだ。
計画が成功して大侍従は宮廷から追放され、私はそのことを聞かされた。
首謀者のリッシュモンが現れるのを待ち構えていたが、音沙汰はなく、大侍従を排除した後も宮廷に復帰する様子はない。
「なぜ、私のもとへ来なかった?」
「陛下の身の安全は保たれていると確信していたからです」
当たり障りのない回答だ。これもまたリッシュモンの本心だろうが、もっと深いところに別の理由があるような気がする。
「それだけじゃないだろう? やったことの弁明とか説明とか……、何か私に言うことあるだろうが」
つい、口調がきつくなったかもしれない。
敵意を持たれているイングランドやブルゴーニュの人々はともかく、私は内外の人から「穏やかで辛抱強い」と言われている。それなのに、どうしてリッシュモンが相手だとこうなってしまうのだろう。
「あの日、ラ・トレモイユは腹を刺されて負傷したと聞いた。間違いないか?」
口調がきつくなるのは、内心の焦りを悟られまいとするせいだ。
では、リッシュモンが沈黙を貫くのはなぜだ? きまじめな堅物大元帥のことだ、貧弱な王に叱責されていると感じて、居心地が悪いのではないか?
「何か言ってくれ。私は今日こそ貴公と向き合いたいんだ」
臣従儀礼の誓いをするときみたいに、リッシュモンの手を取り、両手で包み込んだ。これは、臣下の全てを受け入れるという意味を持つ。
「こう見えて、結構必死なんだぞ。今夜、貴公に逃げられたら次に会えるのはいつになる?」
目的のためには、なりふり構っていられない。
《《来年の計画》》を成功させるためには、どうしてもリッシュモンが必要だったし、引き止めるために何でもするつもりだった。
「……そうですね」
包み込んだ手の中で、私よりひとまわり大きい手が身じろぎした。
「私も、自分の気持ちと向き合うべきなのかもしれません」
「貴公の気持ち?」
「陛下への好意です。忠誠心とは別の意味での……とても大きな……」
「それは、前に聞いた」
「陛下と向き合うことは、私の心をつらくさせます」
「どうしてだ……? 私は貴公に何かしたか?」
リッシュモンはかぶりを振った。
「陛下のせいではありません」
「それなら、なぜつらくなる……?」
「王の臣下として正しい義務を遂行する。時には厳格で非情なこともやります」
「それはお互い様だろう。私だって同じだ」
「ええ、陛下はよくやっておられる。ですが、表向きは平然とこらえていても、あなたの心が本当はとても繊細で傷つきやすいことを私は知っています。陛下の心痛や苦悩を間近で見ることから逃げている……。これが私の本心、私の中にある弱さです」
ジアックやボーリューのときと違い、今回、リッシュモンはラ・トレモイユを無傷で捕らえようとした。しかし、結局また流血沙汰となった。
ジアックの裁き、ボーリューの処刑、それらの結末を知ったときの私の反応。
さらに、オルレアンの一夜での語らいで、私はこんなことを打ち明けた。
「私は流血も犠牲も大嫌いだ。そして、犠牲とは身代わりということだ。私の代わりに誰かが手を汚すのもいやだ。そんなこと……、させたくないんだよ」
これこそが、クーデターのあと、リッシュモンが私のもとに来ることをためらった理由である。
ある意味、ラ・トレモイユもリッシュモンも王の動向を監視していることに変わりはない。ラ・トレモイユは「王を意のままに制御する」目的だったが、リッシュモンの場合は「王に合わせて自分自身を制御」しようとしている。ようするに、私への好意ゆえに自分に枷をはめているのだ。





