13.8 四月一日(4)欲望と理性の均衡
私は、リッシュモンにとってつらいことを強制しようとしているのかもしれない。
「これからは私のそばで仕えてくれないか?」
「陛下のそばには大勢の臣下がいます。私がいなくとも……」
「貴公にいてほしい」
言葉をさえぎり、食い気味で求めた。
「貴公のことだからすでに知っているだろうが、来年パリ包囲を計画している」
ジャンヌがいたころに《《彼女の声》》に言われるままに挑戦したが、軍資金と兵站の乏しさから長期戦に耐えられないと見て撤退した。
「ジャンヌの弔い合戦というわけではないが、歴代フランス王の居住地である王都を取り戻す重要な戦いだ。フランス軍の総司令官として、オルレアン防衛で実績のあるデュノワ伯とアルテュール・ド・リッシュモン大元帥に参戦を求めたい。来てくれるな?」
「承知しました」
「ほ、本当にいいのか!」
拍子抜けするほど、あっさりと快諾された。
リッシュモンが何を考えているのか、先回りして読み取ろうとして、むしろ私は複雑に考えすぎていたのかもしれない……と思ったのもつかのま。
「臣下としての務めはこれまで通りに果たします。平時は陛下の身辺を見守り、戦ってこいと命じられればどこへでも行きましょう」
「これまで通り……ではなく、宮廷に戻ってきて欲しい。私のそばにいるんだ」
「それは、私にとってつらいことであり、また、陛下にとっても危険な賭けとなりましょう」
「き、危険な賭けとは……?」
「臣下として忠告します。今だってそうです。陛下はずいぶん危険なことをなさっている……」
リッシュモンは、臣従儀礼の象徴である「包み込んだ二人の手」に視線を落とし、私もつられて見る。包まれている「リッシュモンの手」は無骨で大きく頼もしい。その一方で、包んでいる「私の手」は骨ばっていて男にしてはずいぶん華奢だ。
「その気になれば、私は簡単に陛下を制圧することができます」
「貴公はそんなことしない」
「あまり信じない方がよろしいかと。今のところ、私の欲望と理性はバランスを保ってますが、均衡が崩れないとは限りません。これほど近づいてしまったら……」
リッシュモンはぐぐっと前屈みになって距離を詰め、私がつられて引き気味になった瞬間、「包んでいる手」と「包まれている手」が逆になった。
「あっ……」
「私のこの手を振りほどくことができますか?」
「……」
「いかがですか?」
試してみようとは思わなかった。私が本当は非力で弱いことを、今ここで証明したら、リッシュモンのいう「欲望と理性の均衡」が崩れる気がしたからだ。
「こうやって、私たちが近づくことはとても危険です。手の触れ合い、舐め合いで済むならまだいい。陛下への個人的な好意——忠誠心では収まりきれないこの大きな好意が、欲望に後押しされて自制が利かないほどあふれてしまったら……、おそらく私はあなたの名誉を傷つけ、貞節をけがすでしょう」
さんざん脅してから、リッシュモンはすっと身を引いて背筋を伸ばした。
「ですから、物理的に距離を置いたほうがお互いのためです」
臣従儀礼の「主従関係」が逆転して、包まれていた手も——ほとんど逃げられないほど強く掴まれていたも同然だったが——、あっけなく解放された。
「そうは言っても、パリ包囲戦を控えて、大元帥の助言がほしいときに貴公が何ヶ月も何年も不在のままでは困る……!」
「包囲戦の計画を詰めるなら、デュノワでもよろしいかと」
「デュノワはオルレアン公の弟だから危険だと忠告したのは、他ならぬリッシュモンだろうが!」
「ええ、まあ……」
「そっちの続報はないのか?」
「策謀家の妻が動いてますが、まだご報告できるほどの確証は……」
「あまり奥方に危険なことをさせるのは感心しないぞ」
リッシュモンの妻が、ベッドフォード公とブルゴーニュ公の同盟関係を冷え込ませる偽造文書を流し、それはフランスにとって有益な謀略ではあったが、文書の出どころがばれたらただでは済まない。
「伝えておきます。それでは」
「だーかーら、ここから立ち去ろうとするなってば!」
長椅子から立ち上がる前に、服の裾をつかんで阻止した。
「陛下の方こそ、私を引き止めようと無駄話をしすぎています」
「無駄とはなんだ! 貴公の妻のことだろうが。全然無駄じゃない」
「好意があると知っていながら、なぜ私に妻の話をさせようとするのです。残酷な御方だ」
「お? 幻滅したか? 嫌いになったか? 好意が薄れたならここに残っても問題ないよな? よし決定!」
「離してください」
「いやだ」
リッシュモンの腕力があれば、私を制圧することも振り払うことも簡単にできるのにそうしない。服の裾をつかまれ、引っ張られたまま……、動かない。
(※)サブタイトルが意味深なわりになかなか進展しない。次回、いいかげん物語のタイムラインを進めるか、主従二人の関係をゼロ距離まで進めるかで悩んでいます。





