13.5 四月一日(1)待ち人来たる
ラ・トレモイユは宮廷から姿を消し、義弟のメーヌ伯シャルル・ダンジューが後を継いだ。もともと、遠征先で大侍従の代わりに職務をこなしていたから何の支障もない。
長年の政敵がいなくなったにも関わらず、その年の間中、クーデターの首謀者であるリッシュモンは私の前に一度も姿を見せなかった。
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クーデターの翌年、1434年の春、私は王太子領ドーフィネの都市ヴィエンヌを訪れていた。長男ルイは10歳となり、そう遠くないうちに君主の仕事を少しずつ任せることになる。
私は14歳のときに、兄たちの連続死でいきなり王太子になった。
父にも母にも頼れず、側近を何人も失いながらパリを逃れた。
苦い記憶がたくさんある。息子には苦労をかけたくない。
王太子領の統治を任せる前に、現地の状況を見ておきたかった。
「ノートルダム大聖堂を巡礼したあと、園遊会を催します」
「めずらしい趣向だな」
ラ・トレモイユは私を宮廷に閉じ込めたがっていたが、メーヌ伯は違った。
「王太子領とはいえ、ドーフィネはフランス国内では辺境に位置しています」
「まあ、そうだな」
「代官を派遣して統治を任せているので、国王がじきじきに訪問することは珍しい。地元の領主たちはこの機会を逃さず、王と謁見したがってますし、民衆は王軍の華やかな行列を心待ちにしています」
対イングランドも、対ブルゴーニュも、最近は大きな戦闘が減少している。
オルレアン包囲戦のころに比べれば、宮廷費に余裕があったが。
「華やかな行列か。あまり得意ではないんだがな……」
「民衆の本音を代弁すると、宴会のおこぼれが欲しいんですよ。寒い冬が明けて、みんなお腹を空かせています。温かい食事を振る舞えば喜ばれます」
そういえば、義母ヨランド・ダラゴンも「宴会」と称して、アンジェ城の城下でよく食事を振る舞っていた。冬場の備蓄が乏しくなってくる春先は特に喜ばれた。
「メーヌ伯に任せるよ。ああ、でも《《来年の計画》》に差し障りのないように」
義弟は一礼したあと、思い出したように「華やかな行列は、派手担当のあの方が張り切ってますよ」と付け加えた。宮廷の派手担当ことクレルモン伯は、父の死にともない、正式にブルボン公になったばかりだった。
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1434年4月1日、ドーフィネのヴィエンヌに到着して王と側近たちの軍が賑々しく町を練り歩き、大層な歓迎を受けた。
私が王太子だった頃、神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントは、かつての戦友ブルゴーニュ無怖公の死の報復として「ドーフィネを攻撃する」と脅してきたが、近年は良好な関係が続いている。
皇帝の側近ピッコローミニが知らせてくれた近況によると、近頃のジギスムントは、
「シャルル王を頂点とするフランス王国の序列でいえば、ブルゴーニュ公なんぞいいとこ6番目だろうが! 笑止千万、身の程知らずめ」
などと帝国議会でぶちまけたそうで、ブルゴーニュ公の領地と接している辺境伯などが肝を冷やしていると言う。
ちなみに、フランス王国の序列は、私の次が王太子ルイ、3番目が次男ジャックで、4番目はオルレアン公になる。5番目と6番目は、祖父シャルル五世の弟の血を引くアンジュー公とブルゴーニュ公だ。現アンジュー公であるルネを取り戻し、ブルゴーニュ公と和解できれば、フランス王国の平定も夢じゃない。
以前聞いた「オルレアン公とブルゴーニュ公が奸計を企んでいる」という話が気がかりだが、タレ込んだ張本人が不在では、ことの真偽を確かめようがない。
一見、順調なときほど不安が大きくなる。
園遊会に先駆けておこなわれた議会では、王軍の頼もしい行列に興が乗ったのか、来年の計画——パリ包囲戦に向けて三年分の兵站をまかなう多額の予算を獲得した。足りないものはあとひとつ。
「少し疲れた」
「では、控え室をご用意しましょう」
歓迎されるのはありがたいが、生来の私は静かな環境が好きだ。
宴の主役を新たなブルボン公に譲り、ひっそりと退出しようとしたときだ。
「陛下……」
人目を避けるタペストリーをめくりながら、義弟は「待ち人来たり、ですね」とつぶやき、私を残して控室から立ち去った。
くつろぐための長椅子には柔らかい毛皮がふんわりと掛けられ、横になって仮眠をとることもできるが、それどころではない。
「来ていたのか」
「お久しぶりです」
血族の王族を除けば、大元帥は国王に次ぐ権力を持つ。
アルテュール・ド・リッシュモン伯爵には聞きたいことが山ほどある。
そして、今回は絶対に逃してはならない。





