12.6 神の犬(3)
異端審問とは、教会の教えに反する不良キリスト教徒、つまり「異端者」を追求して正しい道に戻すための裁判のことで、審問官は異端者と疑われるものを尋問する役目を担う。
ちなみに、よく混同される「魔女裁判」は非キリスト教徒を対象とし、実施された地域・時代が異なる。ジャンヌの裁きを魔女狩りだの魔女裁判と呼ぶのは、適切ではない。
異端審問には残虐非道なイメージがあるが、初犯で極刑になることはまずない。審問官の性格も、所属する修道会によってだいぶ異なる。もっとも厳格なのがドミニコ会で、黒衣のドミニコ修道士(Dominicanis)は「神の犬(Domini canis)」と呼ばれて恐れられた。
途中までジャンヌの審理にかかわっていた修道士イザンバールは、職務に忠実だった。これまでに何人か火刑に導いたが、明らかなワルばかりで罪悪感を抱いたことはない。神の犬と呼ばれることを、むしろ誇りに思っていた。
「今、その誇りが揺らいでいます……」
「私はこう見えて司祭の資格を持っている。告白を聞きましょう」
イザンバールから見ても、ジャンヌは厳しい尋問によく耐えていた。
学がないわりに賢く、素朴かつ勇敢で、審問官の尋問にいつも正直に答えた。
フランス方で熱狂するほどの「聖人」には見えないが、かといって「悪人」とも思えない。キリスト教の教義では異性装はよくないとされるが、過去に男装して戦う女性がいなかったわけじゃない。ユディットをはじめ、教会が聖女と認める者もいる。
イザンバールは、ジャンヌを異端者として断罪するには決め手に欠けると思った。そもそも、少女には弁護人さえいない。公正で厳格な審理といえるのだろうか。
「いっそのこと、少女をバーゼル公会議に送って判断をゆだねてみてはどうでしょう?」
審理の時間外に仲間たちと話していた最近の教会情勢を思い出して、そう提案した。この審理にかかわるジャン・ボーベールが近々派遣されると言われていたから、「ついでに連れてけば?」と軽い気持ちで口にした。
すると、ジャンヌが「コウカイギって何ですか?」と質問した。
「ヨーロッパ中のキリスト教国の立派な方々が集まって、いろいろなことを話し合う会議のことだ。ちょうど今、バーゼルというところで開催中でね。教皇聖下に皇帝陛下、各国の王侯貴族や大司教、それからあなたが王と呼んでいるシャルル殿も来ているそうだよ」
その言葉を聞くなり、ジャンヌは前のめりで「あたしをそこへ連れていってください!」と叫んだ。
「その公会議で教皇さまや皇帝へいか、あの優しい王様が、あたしが今までしてきたことは間違っていると言うなら……、あたしは自分が間違っていたことを認めます!」
異端審問中にジャンヌが感情を露わにしたのは初めてで、顔を涙で濡らしていたという。
この日の審理の後、修道士イザンバールは、ボーヴェ司教のピエール・コーションに呼び出された。側近のジャン・ボーベールも控えていた。
「あの娘の判決はすでに決まっている。余計な知恵を与えるな」
口々に「黙っていろ」と脅迫され、ピエール・コーションは「バーゼル公会議に関する言葉を記録しないように」と書記に命じた。
「身の振り方をよく考えるといい。次にあの娘をかばうような発言をしたら、先に貴様をセーヌ川に投げ込んでやる」
このとき、イザンバールは今やっている異端審問が教会の教えとは関係なく、ジャンヌを処刑するために「結論ありき」でおこなわれていることを悟った。また、自分と家族の身の危険を感じたため、異端審問官の職を辞してほとぼりが冷めるまでルーアンを離れた。
「私は保身のためにあの少女を見捨てました。神とジャンヌが私をゆるすかわかりませんが、せめて私が知っていることをフランスの人に伝えなければならない。その一心で、再びルーアンに戻ってきました」
私がいるから手を出さなかったものの、ラ・イルは言葉にならない怒鳴り声を浴びせかけ、イザンバールは震えながら縮こまっていた。ひどく憔悴しているのはラ・イルの怒号やピエール・コーションの脅迫のせいではなく、「神の犬」としての自尊心が崩壊して、神罰をおそれているせいかもしれなかった。





