12.5 神の犬(2)
イングランド国王ヘンリー六世は、ジャンヌが火刑に処された年にはじめてフランスに上陸し、1431年12月16日にパリのノートルダム大聖堂で「フランス王」として戴冠した。
フランスに駐留するイングランド貴族と関係者たちは、10歳になったばかりの幼君に顔を覚えてもらうために大挙してパリに集まり、戴冠式とクリスマスをともに祝い、さらに新年の挨拶を済ませるまで1ヶ月ほど長逗留していた。
パリ以外の地域の統治が甘くなった隙に、私たちはノルマンディーの首府ルーアンまで一気に進軍し、町を一部占拠するに至った。とはいえ、たまたまタイミングが良かっただけで完全制圧するには時期尚早だろう。
デュノワは「占領を維持できるのはせいぜい数日」と言ったが、私は1日が限度だと見込んでいた。長引けば、それだけ末端の犠牲が大きくなる。
「急がなければ……!」
私は、ルーアンでどうしても確かめたいことがあった。
ジャンヌ・ラ・ピュセルは本当に火刑に処されたのか?
火刑が事実だとしても、犠牲者はジャンヌ本人で間違いないのか?
異端審問と火刑に至るまでの文書がローマ教皇宛で送付されているが、実際の目撃者から信憑性のある話を聞くか、明らかな証拠を見るまで、私は信じることができなかった。
時間が経てば、目撃者はいなくなり証拠は失われる。
ノルマンディーを完全に奪還するまで待っている時間はない。
なお、すべての真相を知っているのは、異端審問を主導したボーヴェ司教のピエール・コーションだが、すでにルーアンから立ち去っていた。仮に捕らえたとしてもまともな話を聴取できるとは思えない。司教に限らず、イングランド方に帰属している審問官を探しても意味がない。
この短期間で、できるだけ中立で有力な証言を引き出せる人間といえば——、処刑人ただひとりである。
普通、「処刑業」とは代々家業でやっているもので、報酬はいいが、民衆から毛嫌いされるため、町外れに住んでいることが多い。
「雲行きがあやしい。先を急ごう」
灰色の空の下、ラ・イルの案内で市街地戦を避けながらルーアン郊外に向かおうとしたとき、黒衣の修道士が突然立ちはだかった。
「踏み潰すぞ、ごらぁぁぁあ!!」
市街地戦の高揚感に当てられて気が立っているラ・イルは、軍馬の足で構わず蹴散らそうとした。修道士は悲鳴をあげて飛びのいたが立ち去ろうとはしない。何かただならぬ雰囲気を感じて、私は馬上から声をかけた。
「我が軍は略奪を禁じているが不測の事態があるかもしれない。建物の中にいることをおすすめする」
忠告だけして立ち去ろうとした。気になるが、こちらも急ぎの用事だ。
しかし、修道士は話しかけられたことで、勇気を奮い立たせたようだ。
「フランス軍の方とお見受けしました」
「いかにも」
「もしや、あの少女を探しに来たのですか?」
「……貴殿は?」
修道士はイザンバール・ド・ラ・ピエールと名乗り、異端審問が非公開になる直前まで審理に参加していたこと、そして贖罪のために自分が知っていることを伝えたいと懇願した。





