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久々のオーマイガー

2021年8月21日現在、執筆中の『前略、永渡橋ヨンドギョの上から』のネタバレを多分に含んでおります。ご注意下さいませ。

 こぼれ話はお久し振りです。皆様、いかがお過ごしでしょうか。


 さて、上記注意書きにもあるように、今回は『前略、永渡橋の上から(以下、本作)』のネタバレ注意です。

 2021年夏、久々に続き執筆と修正に着手することになり、一から調べ直す必要に迫られた事案があります。


 ズバリ、世宗セジョンの子どもたちの敵味方について。


 作中でも触れている通り、世宗の子どもは早世した人も含めると全部で二十五人くらいになります。

 で、後々ホンウィvs首陽(スヤン)大君テグンの構造ができた際に、兄弟で敵味方(ホンウィ派か首陽派か)に分かれちゃうんですね。

 物語を書くに当たって、ここはきちんと押さえておく必要があります(作者としては)。

 味方のつもりで書いてて史実上は敵だった、とかその逆だった、なんてことが、書き上がってから判明するのもうまくないですが、執筆中に判明したら一大事です。


 最初に書き始めた時にも『世宗の子どもたち』の年と名前だけをざっくりさらったメモはポメラの中にあったんですが、誰がどっちの味方をしたか、という辺りは実に曖昧で、ちゃんと調べた人とそうでない人がいたので、この機に調べ直そうと、韓国語版ウィキペディアを読み直していました。

 そして、今回の「オーマイガー!(意訳:久々にやっちまった! つか、やられた!)」の悲劇はここで起きたのです。


◆悲劇1:『邊漢山』の読み方


 これは、世宗の子どもたちとは直接関係ありませんが、復習中に起きた悲劇、ということで。


 割と冒頭で名前だけ出てくる実在の人物ですが、これまで作中では『ピョ・ナムサン(もしくはナンサン)』と記述していました。

 しかし、今回執筆を再開するに当たり、端宗タンジョン関連についてまとめたノートを読み返していたら、めちゃめちゃ間違っているのが判明しました。

 ネット上の資料を書き写すに当たり、この二、三年は漢字とハングル、両方を書き取るようにしていた為に発覚したのですが……ハングルのルールにより、向こうの方のお名前は、フルネームで呼ぶ時と名前だけで呼ぶ時とだと、発音が違うことがあります。

 自作執筆の際は、ずっとフルネームで記すということはないので、この法則は敢えて無視し、姓と名が分かれた時の発音でルビを振り、記述しています(濁点が付くか付かないか、というルールとは別です)。

 くだんの『邊漢山』ですが、ハングルで姓名続けると確かに『ピョ・ナンサン』になります。が、ハングルのほうをよく注視すると、姓は『ピョン』、名前は『漢山ハンサン』となっていると気付きまして……というわけで、修正対象でございます、すみません……orz

 その為、名前が変わったように見えるかも知れませんが、当方のうっかりミスによる記述間違いであって、名前は変わっていません、すみません。


◆悲劇2:景泰三(1452)年時点、錦城クムソン大君に子どもはいなかった!


 本作の第二幕第六章の錦城の台詞にご注目ください。


「考えてみれば、ホンウィはウチの息子たちとそんなに違わないんだよなぁって思って」


 執筆時点(多分2018年~2019年の間)で、錦城の資料(韓国語版ウィキペディア)には、子どもの存在は記されていても、その生年月日は不明でした。

 なので、彼の履歴書を作成するに当たり、不明点は妄想で補うしかなく、その時は十六歳で長男を、十八歳で次男を授かったことになっていました。


 これがわずか一、二年で覆ろうとは、もちろんその時の私は想像していません。


 2021年の8月中旬、冒頭の理由で世宗の子どもの資料を洗い直していたところ、衝撃の新事実が判明したのです(というより私が知らなかっただけで事実は前からあったんでしょうけれど)。

 錦城の家族の項をふと見ると、


『長男:李孟漢イ・メンハン(1455~1529)(※原文の記述はハングルですが、ここでは日本語訳でお伝えしています)』


 …………今書いてるところは、1452年。

 ってことは、現在執筆時点での史実上は、まだ錦城の家に子どもはいないってことで……orz


 ……ただ、幸か不幸か、錦城が自身の息子について言及してるのは、本作中ではここだけですので、大幅な修正はしなくてよさそうです。

 早めに(?)判明してよかった……。


◆悲劇3:貞安チョンアン翁主オンジュの生年月日


 さて、貞安翁主って誰ぞ? という声が聞こえそうなので、軽くご説明しますと、彼女は世宗の末娘です。

 ホンウィには叔母に当たります。

 登場するのは第二幕になってから……第四章に少しだけ登場しました。ホンウィが『ヒョナ姉』と呼んでいた少女のことですが。


 彼女について最後に調べたのも、第二幕第四章を執筆したのも、ポメラのデータによると2019年、つまり今から二年前のことです。

 当時、ウィキペディアには彼女の生年は1438年とありました。

 世宗の娘は全部で七名くらいいたと思いますが、内、1452年時点で存命している三名を含み、はっきり名前が残っているのは四名(ほかの数人は、早世、とだけ記されています)。全員、生年と没年月日は判明していますが、生まれた月日はほぼ不明です(判明している人もいますが)。

 貞安翁主の生年に関してはホンウィの三つ上、と記されていたのは間違いありませんでした。


 しかし、冒頭に記した理由によって、世宗の子どもたちのデータを洗い直した時、彼女の生年が変わっていて「?」と思いました。

 記されていたその年は、1441年。

「あれ、この年って……確かホンウィも1441年生まれだったと思ったけど……?」

 そう思いつつ、彼女の個人データに飛んでみたら、やっぱり1441年生まれと記されています。

 あれれ? と首を捻りました。前は三年早い生年だったのに……。

 そんなバカな、と思いましたが、その生年には注釈が付いていました。

 ウィキペディアを利用したことのある方はご存じかと思いますが、出典を記してある番号が右隅にくっついていまして。


 その出典は、朝鮮王朝実録。

 曰く『文宗ムンジョン実録の1452年4月27日三番目の記事より(※日本語訳)』。


 ウィキペディア掲載事項は話半分に差し引くとしても、実録に記されているなら何より確かです(※日本語訳版にはこんなに細かいことは載ってませんorz)。

 というわけで、試しに実録に飛んでみましたら、貞安本人の名前こそ記されていませんでしたが、『世宗王の王女が十二歳になったけど結婚が云々(※意訳&要約)』という文言が確かに記述されています。

 1452年時点で(数えだとしても)十二歳、と記される世宗の王女がいるとすれば、末娘、つまり貞安翁主だけです。

 世宗のほかの娘となると、長女は1452年時点ですでに他界、次女は首陽より年上(つまり三十代)、三女は1425年生まれで二十七歳ですし、次女も三女も1452年時点で既婚です。

 消去法でいくと、名前が記されていなくとも、ここで話題に上っているのが貞安翁主であることは明らかで……うぇええええ、ホンウィと同い年かよぉおおお……と現在頭を抱えている状態です。


 まあ、年齢ズラして修正すれば問題はない……かと思いますけど……(目が泳ぐ)。


©️神蔵 眞吹2021.

【参考史料】

・朝鮮王朝実録

・ハングル版ウィキペディア

・ウェブ翻訳機

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