第二章 転送
五月の連休が明けて、七号棟の大川さんが施設に入った。
九十を過ぎたおじいさんで、奥さんを亡くしてから一人で暮らしていた。娘さんが局の窓口に来て、転居届を出していった。わたしはその届を、区分棚の横のファイルに綴じた。
転居届が出ると、旧住所あての郵便物は、新しい住所へ転送される。区分のときに、転送先を印字したラベルを宛名の上に貼る。大川さんあての郵便は、その日から、わたしの鞄に入らなくなった。
窓口で、娘さんが聞いていた。
「転送って、いつまでですか」
「届出の日から一年です。延長されるときは、もう一度届けを出してください」
窓口の若い社員が、いつもの言い方で答えた。
転居届の用紙は、はがきくらいの大きさで、旧住所と新住所と、転居する人の名前を書く欄がある。届け出た日から一年間、旧住所あての郵便物は新住所に転送される。一年が過ぎると、転送は止まる。止まったことを、差出人に知らせる仕組みはない。差出人は、戻ってきた郵便物を見て、はじめて知る。
「一年たったら、どうなるんですか」
「差出人さんに戻ります」
娘さんは、そうですか、と言って帰っていった。
戻ってくる郵便物は、毎日ある。
区分棚の端に、還付の箱が置いてある。宛先で配達できなかった郵便物が、そこに集まってくる。赤い印を押されたもの、宛名の横に付箋が貼られたもの。わたしたち配達員は、朝の区分のときに、その箱の中身を自分の区の分だけ抜き出して、差出人の住所の棚に差す。
差出人は、たいてい驚く。出したはずの手紙が、自分の郵便受けに入っているのだから。戻ってきた理由は、印に書いてある。あて所に尋ねあたりません。受取人不明。転居先不明。印は短い。短い印で、足りるようにできている。
理由を説明するのは、配達員の仕事ではない。窓口に問い合わせがあれば、窓口の社員が答える。わたしは、差出人の郵便受けに、戻った郵便物を入れる。それだけだ。
わたしは、七号棟の二〇一号室の郵便受けに、何も入れなくなった。一年たって、誰かがまだ大川さんに手紙を書いていたら、その手紙は、差出人のところへ戻る。戻すのは、差出人の区を受け持つ配達員だ。
*
二回目の訪問は、五月の第二木曜にした。
トシ子さんは、先月と同じブラウスに、先月と違うカーディガンを着ていた。テーブルには、湯のみが二つと、今度は柏餅が二つ置いてあった。
「端午の節句だから」
「もう過ぎましたね」
「あら、そう」
トシ子さんは笑った。わたしも少し笑った。
テーブルの端に、写真立てが一つ増えていた。紺の背広を着た若い男の人が、大学の門の前に立っている写真だった。
「健一。卒業式のとき」
「そうですか」
「保険の会社に勤めてるの。忙しいのよ。東京は、朝から晩まで」
トシ子さんは、写真立てを少しこちらに向けた。わたしは、質問の画面を開く前に、それを見た。背の高い人だった。笑っていなかった。
「水野さんは、お子さんは」
「いません」
「そう」
トシ子さんは、写真立てを元の向きに戻した。
「気楽でいいわね。心配する相手がいないのは」
わたしは、そうですね、と言った。本当にそう思ったのかどうかは、わからなかった。わからないことは、言わない。そうですね、は、同意の言葉ではなく、聞きましたという合図だ。二十年、窓口でも玄関先でも、そうやって使ってきた。
タブレットを開いた。
体調。いいわよ。食事。三回。昨日の晩はお魚を焼いた。睡眠。よく眠れる。外出。スーパーに二回、内科に一回。月末に、内科に行く。
心配事。
「ないわね」
わたしは、なし、を選んだ。
入力を終えて顔を上げると、トシ子さんは、仏壇のほうを見ていた。
「主人がね、時計をしていたの。いつも」
「時計ですか」
「銀色の、ねじを巻くやつ。止まると怒るの。あの人、時間にうるさかったから」
写真の中の男の人は、白いワイシャツの袖から、手首をのぞかせていた。そこに、銀色のものが写っていた。わたしは、それ以上は聞かなかった。質問の項目にないことだった。
「いまは、わたしが巻いてるのよ。毎朝」
そう言って、トシ子さんは、自分の手提げを軽く叩いた。
*
帰り際に、また封筒を預かった。
先月と同じ白い封筒で、同じ東京の住所だった。宮下健一様。わたしは宛名を見て、区の名前と番地を読んだ。読むつもりはなかったが、目に入った。
坂の上のポストに入れた。
ポストの前で、手を離す前に、少しだけ封筒の重さを感じた。便箋が三枚か、四枚。毎月、それだけのことを書く人がいる。書くことがあるのだと思った。わたしには、毎月三枚書くほどのことを、誰かに伝えたことがない。
この封筒は、わたしの局で区分されたあと、東京へ運ばれ、健一の住所を受け持つ局で、健一の住所の配達員が届ける。わたしの手を離れたら、あとは知らない。知る決まりもない。
郵便は、たくさんの手を渡っていく。差出人の手、ポストを開ける取集の人の手、区分機、トラック、東京の局の区分棚、東京の配達員の手。一つの手は、次の手のことを知らない。知らなくても、郵便は届く。届くように、決まりができている。
届かないときも、決まりどおりに戻ってくる。
*
局に戻ると、局長が窓口の奥で電話をしていた。
「はい、はい。いつもありがとうございます。はい、先月分の報告は、お送りしていると思いますが……」
受話器を置いて、局長はわたしを見た。
「宮下さんの息子さん。報告、ちゃんと届いてますかって」
「届いてないんですか」
「届いてた。迷惑メールのほうに入ってたって。それで、確かめたかったみたい」
局長は、ほっとしたような顔をした。
「いい息子さんだね。遠くにいても、ちゃんと気にしてる」
わたしは、そうですね、と言った。
*
その日の夕方、区分棚の前で、翌日の分をそろえていた。
五号棟の棚に、トシ子さんあての郵便物が二通あった。一通は市役所からで、もう一通は、駅前の内科からのはがきだった。予約日のお知らせで、月末の木曜の十時、と印字されていた。
わたしは、はがきの裏を見なかった。見なくても、表に書いてあった。
はがきは、翌朝、トシ子さんの受け口に入れた。
受け口には、前の日に入れた市役所の封筒が、まだ残っていた。トシ子さんは、毎日郵便受けを見る人ではないのかもしれない。それとも、見て、取らずに戻したのかもしれない。どちらなのか、わたしにはわからない。
郵便受けの中の物を、配達員は整えない。重ねて入れるだけだ。
その夜、アパートに帰って、台所で湯を沸かした。
やかんが鳴るまでのあいだ、流しの前に立っていた。トシ子さんの台所と、同じくらいの広さだった。違うのは、テーブルの上に湯のみが一つしかないことと、仏壇がないことだ。母の位牌は、兄の家にある。
施設の職員の人の声を、ときどき思い出す。お変わりありません。電話のたびに、そう言った。月に一度、母の様子を知らせる電話だった。わたしは、そうですか、と言って切った。変わりがないのなら、聞くことはなかった。
最後の電話の前の週も、お変わりありません、と言われた。
やかんが鳴った。わたしは火を止めて、茶葉を急須に入れた。お変わりありません、という言葉を、職員の人が嘘で言ったとは思わない。職員の人は、見たとおりに言ったのだと思う。見たとおりのことと、起きていることは、同じとは限らない。そのことを、わたしは母のときに知った。
知ったからといって、何かが変わったわけではない。
七号棟の二〇一号室の棚は、空だった。
転送期間は、届出の日から一年。




