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QUEEN BEE  作者: 鰐淵 荒鷹
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第58話:厄日

 唐突な言葉に反応できないでいる如月。何かを言い返そうとしたが、声にならない。


 その沈黙を裂くように、望月の視線が一直線に突き刺さってくる。


 望月は如月の目をじっと見たまま、微動だにしない。瞬きすら忘れたかのような瞳が光を宿している。


 その真っ直ぐな眼差しには、――確信めいたものがあった。


 重い沈黙が続く。空調の風が天井をなぞる音だけが、二人の間を通り過ぎていく。どちらかが何かを言わなければ、この沈黙は永遠に続くような気がした。


 如月が、話をごまかすように口角を上げ、乾いた笑いをこぼした。わざと軽口を叩いて、空気をほぐそうとするように。


「なんだよそれ!心霊か何かか?」


 冗談めかした声音。


 だが、わずかに掠れた声が、内心の動揺を隠しきれていなかった。


 如月が言い終えると、望月は真剣な顔で如月を見据えた。


 その表情には――まるで、真実を告げる者の覚悟が宿っていた。


「私、離島出身って言ったことあったよね。あれ、初月島はつづきじまのことなんだ……」


 望月の声は、どこか遠くを懐かしむような響きを帯びていた。それは会話というより、記憶の底をそっと掘り返すような口調だった。


 如月は聞いたことのない島の名前に、わずかに眉をひそめる。話題についていけるわけもなく、それとなく相槌を打った。


 ――何も言わなければ逆に、怪しまれるかもしれないと如月は考えた。


 望月は一呼吸おいて、再び口を開いた。その目はもう、如月を見ていなかった。


 まるで、遠く離れた故郷の情景をそのまま瞳に映しているかのようだった。


「初月島は、一子相伝で“神降ろし”の巫女の技を継ぐんだけど、私は一族の中でも力が強かったんだ……」


 静かな声。けれど、そこには誇りと哀しみが入り混じっていた。如月は望月の話を、神妙な面持ちで聞いている。


 ――軽々しく口を挟むことなど、とてもできなかった。


 望月の話は続いた。その声音は、過去の闇に触れながらも、どこか澄みきった祈りのように響いていた。


「本当は、私が巫女になるはずだったけど、無理言って二十五歳まで待ってもらってるんだ」


 望月の声は、少しだけ掠れていた。


 語るというより、胸の奥にずっとしまっていたものをそっと外に出すような、そんな声音。


 その表情には、影が落ちている。


 如月は、聞きなれない風習と“巫女”という言葉に、思わず首をかしげた。未知の響きが、どこか非現実的で――それでいて妙に心を引いた。


 多少興味を持ったのか、如月が興味本位に尋ねる。


「へぇ、すごいな。巫女の血筋なんだ」


 その言い方はあくまで軽く、探りを入れるような調子だった。


 しかし望月は、その一言にわずかに反応する。短く息を吸い込み、しばし沈黙したあと、少し間をおいて話し始めた。


「それでね……知ってると思うけど、巫女になる者は、普段見えない“ナニカ”を感じる力も強いんだ……」


 その言葉は、まるで自分の内側の闇を覗き込むようだった。言葉を選びながらも、望月の声には揺るぎない確信が宿っている。


 如月は、おおよその事情を察して考え始めた。


 ――ただの風習の話ではない。


 “巫女”という響きの奥に、何かもっと深いものが隠されている。そんな予感が、静かに胸の奥をかすめていった。


(……たぶん“巫女”ってのは、三女神に関わる神聖な存在なのかな。若いのに大変だな、この子も……)


 そして如月は、あまり無反応だと逆に怪しまれると思い、頭の中で瞬時に言葉を選びながら、その情報をもとに当たり障りのないように話し始めた。


「ってことは、その巫女の力で――お前は霊感みたいなものがあって、その“ナニカ”が見えると?」


 軽口めいた調子を装いながらも、声音はどこか慎重だった。


 視線の奥では、相手の反応を探るように、ほんの一瞬だけ表情を止めている。望月の瞳が揺れたのを見逃さず、如月は心の中で小さく息を吐いた。


 望月は少しうつむき、唇の端にかすかな迷いを浮かべながら続けて言った。


「巫女になれることは……素晴らしいことでもあるけど、厳しい修行があってね……」


 その声には、誇りと恐れが同居していた。


 口にするたび、過去の記憶を思い出しているような、そんな重さがある。どこか、言葉の続きに触れてはいけない気配さえ漂っていた。


 歯切れ悪く言う望月に、如月は黙って考えた。


 ――“修行”という言葉の裏には、何かしら人に言えないものがある。


 それは宗教的なものか、あるいはもっと根深い“儀式”のようなものなのか。プロレスラーとして培った直感が、わずかに警鐘を鳴らしていた。


 それでも、如月はあえて表情を変えず、静かに続きを促すように望月を見つめた。


 ――昔、英二はデビュー間もない頃、IWAの上層部と対立することがあった。


 当時、絶対的存在として君臨していたトップレスラーだった前川のリング上での発言に対し、思わず意見を口にしたのがきっかけだった。


 その一言が、若造の反抗と取られたのだろう。


 前川の機嫌を損ねたことで、英二は上層部との口論に発展し、結果、ほかの若い選手たちへの見せしめも兼ねて――“精神修行”という名目で、縁のある寺へ送り込まれることになった。


 寺は山奥にあり、外界と隔絶された静寂に包まれていた。


 朝は鐘の音で起こされ、滝行と座禅。昼は掃除と薪割り、夜は冷えた廊下を提灯の心もとない灯ひとつで巡回する。そんな生活が、延々と続いた。


 如月の中にいる英二は思った。


 自分は2か月程度で本隊に戻ることができたが、あの日々は肉体よりも心を削る時間だったと。


 特に忘れられないのは、ある夜の見回りの時のことだ。


 月のない夜、境内の奥に立つ石仏の前で、ふと人の気配を感じた。


 誰もいないはずの闇の中で、何かがはじける音と――声にならない“何か”がそこにいた。


 その瞬間、背筋が凍りついた。


 以来、英二は“見えないもの”という存在を否定できなくなった。


 だからこそ、今、望月が語る“見える力”の苦しみが、少しだけ分かる気がした。


 普段からあんなものが見えている人間は、きっと心休まる時はない。その気苦労を察していた。


 如月は、そんな感情を表には出さない。


 だが、ほんの一瞬だけ、目尻がやわらいだ。気持ちだけは伝えたかったのか、望月に優しく告げる。


「大変だよな。そんな力があって、巫女にも選ばれるなんてな」


 その声は、慰めではなく、同じ重みを知る者の共感のよう、静かに響いた。


 その一言に、望月の瞳がふと揺れた。


 そして、何かを思い出したように、ゆっくりと息を吸う。


 吐き出す言葉の重さを計るように、わずかに目を伏せ――やがて顔を上げた。


 その仕草には、迷いを断ち切るような静けさがあった。


「やっぱり……知らないんだね。巫女のこと……」


 望月の声は、淡々としているのに、どこか哀しげだった。まるで、長いあいだ胸に抱えてきた答えを、今ようやく口にしたかのように。


 如月は何のことかと、眉をひそめて問い返した。恐る恐る、言葉を探すように――。


「……何のことだ?」


 沈黙が落ちる。


 望月は如月をまっすぐに見つめ、静かに口を開いた。


「巫女の風習って今はもうないよ……」


 その言葉は刃のように冷たく、しかしどこか祈りにも似た響きを持っていた。そして、わずかに唇を震わせながら続けた。


「やっぱり……“あなた”、如月じゃない!」


 その瞬間、空気が張りつめる。


 如月は息をのんだ。胸の奥を鋭く突かれたような感覚――まるで、心の内側を覗かれたかのようだった。


 時間が止まる。


 望月の瞳は、もはや少女のものではなかった。確信を持った巫女のように、揺るぎなく、静かに如月を射抜いていた。


 そして、いつものように冗談めいた口調で言った。張りつめた空気を、無理やり軽口で切り裂くように。


「いや~そうだよな、巫女は随分前に廃れたものなぁ。最近物忘れが激しくて……」


 努めて明るく言ったつもりだった。だが、口元の笑みは引きつっていた。


 その言葉を聞いた望月が、さらに勢いよく言った。


「巫女ってなに?舞巫女ならあるけどね」


 一拍。


 如月の脳内で、音が止まった。


 ……しまった。


 心の中で、如月――いや、英二は思った。


 (はめられた!)


 次の言葉が出てこない。


 プロレスラーにとって“口の応酬”も試合のうち。観客の前では、どんな挑発にも即座に切り返すのが常だった。


 だが今は違う。目の前の少女が放ったのは、観客を沸かすための台詞ではなく――見抜くための一撃だった。


 舌戦は職業柄、プロレスの試合には欠かせない叙事の1つ。


 まさか自分がこんな若い女の子の言葉のフェイントに踊らされるとは思いもしなかった。


 リングの上なら、こんな逆転劇には観客が沸くだろう。


 だが今は、笑いどころなどどこにもなかった。


 望月は続けて、真実を突き付けた。


 その声は震えていなかった。むしろ、長く探していた答えをようやく掴んだ者のように、静かで、確信に満ちていた。


「やっぱり、あなた如月じゃない!」


 その言葉が空気を裂く。


 鋭く、冷たく、部屋の温度が一瞬で下がったように感じた。


 如月は息を呑む。


 喉が張りつき、言葉が出ない。逃げることも、言い返すこともできず、ただその場に立ち尽くした。


 半ば観念した時、望月は静かに一歩、また一歩と如月に近づいてくる。


 その足音が、妙にゆっくりと響いた。逃げようと思えば逃げられたはずなのに、体が動かなかった。


(……ばれちまった……でも、これでよかったかもしれない……)


 如月の中の英二は思った。


 これでよかったのだと。


 このまま自分を偽り、他人の――しかもうら若き女性の体を使って生きていることの罪悪感。


 それから解放されるなら、いっそ、そのほうがいい。


 胸の奥に、冷たい安堵が広がっていく。敗北ではなく、受け入れに近い静けさ。


(……三女神やらギフトやら、それにあの、お月様……そんなものがある世界だ。元の如月って子の魂を戻す方法も、あるだろう……)


 英二は、自分がこのまま消えてもかまわないと思っていた。この体を借りてまで生きる理由は、もうどこにもなかった。


 ――できるなら、早く本当の如月に、この体を返してあげたい。


 その願いは、祈りのように静かで、どこか穏やかだった。


 そのとき、望月が如月を抱きしめた。


 突然のことで、如月の体がわずかに強張る。息を吸う音さえ聞こえるほどの近さ。望月の腕は細いのに、どこか抗いがたい力を持っていた。


 柔らかな肌の感触が服越しに伝わり、人肌のぬくもりが、ゆっくりと英二の体全体を包み込む。


 鼓動が重なり、空気が一瞬止まる。


 英二は一瞬、固まってしまった。抱きつかれたまま、状況が呑み込めない。やがて小さく息を吐き、困ったように声を漏らした。


「おい、どうしたんだよ?」


 声には笑いがなかった。


 しかし、望月はその肩越しに静かな気配をまといながら、優しく囁く。


「もう……大丈夫です女神様。私がお守りします……」


 その声は祈りのように柔らかく、温度を持っていた。


 まるで幼子をあやす母のような優しさと、舞巫女としての荘厳な響きが同居している。


 意味が分からない如月に、望月はさらに言った。その瞳はまっすぐで、揺らぎがなかった。


 ――まるで、自分の信じる神がそこに“在る”と確信している者の目だった。


「やっぱり、おばあちゃんが言ってたことは本当だったんだ。女神さまが降臨するって!」


 望月の声は震えていなかった。確信に満ち、どこか恍惚とした響きを帯びていた。


 その瞳は、今ここに“奇跡”を見ている者の光を宿している。


 望月は続けた。


 島から本土へ渡る前日――。


 舞巫女としての修行を中断し、ギフターとして生きる道を選んだその瞬間から、前舞巫女であり祖母でもあるトヨとは、口を利かなくなっていた。


 幼いころ、トヨに教わった祈りの言葉や、焚かれる香の匂い、潮風に溶ける鈴の音の記憶が、今も胸の奥に残っている。


 けれど、それはもう戻れない故郷の記憶だ。


 一子相伝で伝わる“神降ろし”の術――。


 そして、望月自身が生まれながらに強い霊力を持っていたという事実。それらは、迷信ではなく現実として受け継がれていた。


 しかし、舞巫女としての役割は単なる祈り手ではない。


 奉納の儀式や、特別な祭事のとき――自然そのものの三女神をこの世に降ろし、人と神をつなぐ神聖なる“”仲介者”。


 それが、望月の一族に課せられた“務め”だった。


 望月は答えた。


 その口調は、まるで古い神話を語る語り部のように穏やかで、どこか懐かしかった。


 語るたびに、言葉の奥から潮の匂いが立ち上り、遠い島の風景が目の裏に広がるようだった。


「おばあちゃんが言ってた。三女神の月読津姫ツクヨミツヒメ様が、選ばれた依り代に受肉して、私たちの役目は終わるって……」


 望月の住んでいた初月島では、舞巫女になった者は島を離れ、本土に行くことは許されていない。


 祭事のために外へ出ることを除き、それは絶対の禁忌。役目を終えた者は、再び海を越えることを固く禁じられていた。


 そして今も、その掟は破られることなく守られている――そう、望月は静かに告げた。


(……時代錯誤な……)


 如月は、心の中でそう呟いた。


 だが、声には出さなかった。信仰の上に成り立つ“閉ざされた世界”を、軽々しく否定することはできない。


 むしろ、彼女の瞳に宿る真剣さが、そんな言葉を封じた。


 望月は、少し俯いたまま言葉を継ぐ。


「おばあちゃん……病気なんです……島では治せない病気……」


 その言葉には、ただ切実な祈りだけが滲んでいた。風のない部屋に、望月の声だけが淡く響く。


 聞くと、島の言い伝えでは“三女神の受肉の兆し”が現れるとき、すべての巫女が世代を超えて集まり、ひとつの儀式に参加するという。


 通称――“オロシ”。


 月と剣と血を呼び込む、降臨の儀。それは、選ばれた依り代が“神の器”となる瞬間でもあった。


 英二は理解した。


 望月が語る“オロシ”の意味を――そして、その裏にある現実を。


(……なるほどな……ばあさんを本土の病院で見てもらいたいんだな……)


 英二の心の声は低く、どこか優しかった。


 彼の中で、信仰と現実がようやくひとつの線で繋がったような気がした。


 しかし、自分が“女神”などとは的外れなことで、思わず吹き出しそうになったが望月がいる手前、笑うわけにもいかない。


 とりあえず、抱き着いている望月をそっと離した。腕の中に残るぬくもりが、まだ肌に張り付いている。


「よくわからんが、俺はそんな上等な女神様じゃないぜ?」


 心のどこかで――“もしそうなら楽なのに”という、ほんの一瞬の甘えがよぎっていた。


 しかし如月の言葉に、望月は静かに首を振った。


 その動きは、まるで信仰そのものの否定を拒むようにゆるやかで、けれど揺るぎがなかった。


 そして、涙をぬぐいながら如月の目を見つめ、言った。


「そんなことありません……私にはわかるんです。女神さまにしか出せない命の光を」


 その言葉は、疑いを知らぬ純粋な信念だった。


 瞳の奥に宿る光は、希望に満ちあふれ、まっすぐすぎて眩しかった。


「いつも感じていました……如月の魂とは別の、力強いもう1つの魂を。神々しく、そして大きな存在を」


 ――その瞬間、英二は完全に言葉を失った。


(……今は何を言っても無駄だな、こりゃ……)


 どう返しても、この信仰の光を曇らせるだけだ。今は何も言わないほうがいい――そう如月は思った。


 望月はさらに続ける。


「本物の如月の魂は今、深層の中で眠っているだけです。女神さまの依り代はありますから、如月はその時まで眠っててもらうしかないですが……」


 その声は、これまでとは違っていた。


 柔らかさの中に使命感が宿り、まるで巫女としての自覚が目覚めたような響きだった。


 本当の如月に気を遣うように、どこまでも優しく、しかし確かな信念を帯びていた。


 ――少なくとも、本当の如月は元に戻れる。それだけはわかった。


 英二は少しだけ、胸の奥の重石が下りたように感じた。


(……俺はただの四十過ぎの親父……。その依り代に移れるのか?それにその依り代って……なんだ?)


 現実に戻るように、心の奥で小さく呟く。神話と現実、その狭間にいるような奇妙な感覚だった。


 そのとき、廊下の向こうから声が響いた。


「お~い、如月っち!社長とツバサさんが呼んでるぞ!」


 息を切らしながら、カナレが駆け込んでくる。汗の匂いと共に、現実の空気が一気に流れ込んだ。


「なんか面倒なことになってきたぞ!」


 その言葉を聞いて、如月は内心で小さく息を吐く。


(……一難去ってまた一難。今日は厄日だな……)


 さっきまでの神聖な空気が嘘のように、廊下には日常のざらついた音が戻っていた。


 静けさと喧騒のあいだで、三人の鼓動だけが、それぞれの想いを抱えて不揃いに鳴っていた。


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