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QUEEN BEE  作者: 鰐淵 荒鷹
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第47話:3分24秒の真実

 先に動いたのは、意外にも島村の方だった。


 普段の彼女はどちらかといえば消極的で、常に誰かの陰に隠れるように存在感を薄めてしまう。練習の合間も大声で笑ったり騒いだりするタイプではなく、むしろ輪の外から控えめに仲間を見守っている。


 そんな彼女が、リングの中央で先に仕掛けるなど――誰も予想していなかった。


 しかし、島村を知る者はわかっている。表には出さなくとも、練習中は誰よりも真剣で、地道な反復を何時間でも続ける粘り強さを持っていることを。汗で道着が重くなっても、膝が震えても、最後までやめないのが島村だった。


 彼女自身も理解していた。自分には《察知》という特別なギフトがある。けれど、それは万能ではない。力も他の選手に劣るし、派手な技も持ち合わせていない。豪快に相手を投げ飛ばすことも、圧倒的な膂力で押し切ることもできない。


 ――だからこそ、できることは1つしかない。


 相手よりも早く踏み出し、前のめりで、恐れを振り払って一歩目を切ること。


 その小さな勇気の積み重ねが、今の島村をリングに立たせているのだった。


 島村は一気に間合いを詰めると、望月の背後に回るような身のこなしを見せる。鋭い視線を交わしながら、フェイントを織り交ぜ、低く滑り込むように体勢を落とした。


 次の瞬間、彼女の両足が地を蹴り、鋭く伸びた。狙いは望月の膝――低空ドロップキック。


 観客席からどよめきが広がる。スパーでは受けに回ることの多い島村が、先手必勝とばかりに飛び込んだのだ。


 その一撃は、まるで如月が得意とする先制の一矢を思わせた。観客の中には「如月の動きだ!」と叫ぶ者さえいる。


「おっと!これは奇襲だ!島村、いきなり低空ドロップキック!」


 実況席の古田が、思わず身を乗り出すように声を張った。


 だが望月もただではやられない。伸びてきた島村の足を見て、即座に反応する。両手を差し伸べ、その脚を捕らえに行った。力で封じ込める。


 ――その判断は早かった。


 しかし――。


「いや!これはフェイントですよ!島村、よく見てますね!」


 解説の山北斬鉄が、うなるように言った。声には驚きと賞賛が混じる。


 元アマチュアレスリングのチャンピオンとして数々の大会を制覇した後、ボディービルの世界に転身し、日本チャンピオンの座に輝いた経歴を持つ。現役を引退したのち、Queen Bee本拠地の近くで総合ジムを経営。


 選手育成に直接関わっているわけではないが、その厳しくも面倒見のよい人柄から、Queen Bee所属の選手たちが自らジムの会員となり、日々汗を流している。


 本田とは極北プロレス時代からの古い縁があり、その信頼関係もあって現在は解説者として招聘されている。


 リング上の技術と選手の努力を知り尽くす解説は、重みと説得力があると定評がある。


 低空ドロップキックすら囮。島村はただ蹴るためではなく、望月の反応を引き出すために体を投げ出していたのだ。観客は一瞬息を呑み、次の展開を固唾を飲んで見守る。


 島村は、その低空ドロップキックすら囮にしていた。


 望月が反射的に足を取りに来た瞬間、島村の両腕が鋭く伸び、がっちりとその両手首を捕らえる。観客席から「おおっ!」とどよめきが広がった。


 まるで如月のような先読みの動き――相手の行動を読み切っていたかのような、無駄のない反応。


 それも当然だった。島村はすでにギフト《察知》を発動していたのである。


 それは単なる予測や勘ではない。相手の衝動や潜在意識、心の奥底で芽生える行動の兆しをも感知し、一瞬先を見抜く力だ。


 これは《神眼》のように幾重にも広がる未来を視るものではない。


 だが、目の前の動きを確実に察する――相手が空を切る前に、その動きを掴み取る。


 島村の瞳は鋭く光り、集中のあまり周囲の喧噪すら届かない。今、彼女の意識はただ望月ひとりに向けられていた。


 そして――そのまま捕らえた両手首を強く抱え込み、全身を使って大きく振り回そうとする。小柄な身体からは想像できない力感に、観客は息を呑んだ。


 だが次の瞬間――。


 望月の全身から圧が噴き出すように広がった。


《剛体》


 筋繊維が膨張し、隆起した筋肉は鎧のように全身を覆う。骨格までもが密度を増し、肩幅が広がり、まるで1回り大きく膨れ上がったように見えた。皮膚の下で筋肉が蠢くたび、リングの空気が震える。


「きたぁぁぁ!望月の《剛体》!まるで岩のような肉体だ!」


 古田の絶叫に、観客席は総立ちとなり、「おおおおおっ!」と地鳴りのようなどよめきが広がる。子どもが耳をふさぎ、大人までもが思わず口を開けてその姿に見入った。


 その力は圧倒的だった。望月は両手に食い込んでいた島村の掴みを、まるで枯れ枝を折るかのようで、強引に振りほどく。


 そして次の瞬間、巨岩が崩れ落ちるような勢いで、その全身を肩から叩きつけるように突撃させた。


 ――質量兵器。


 そう形容するのが最もふさわしい、理不尽なまでの衝撃。


「うわあああっ!」


 観客から悲鳴混じりの声が飛ぶ。椅子がきしみ、場内は轟音に包まれた。


 画面越しに見ていたカナレが思わず口を開いた。


「なんか……私のマイティータックルに似てるな……」


 その声には、少しの驚きと、ほんのわずかな嫉妬が混じっていた。


 如月は静かに頷き、バックステージの薄暗い空間に設置されたモニターを見つめていた。リングの上に映し出される島村と望月――二人はただ技を繰り出しているのではない。


 相手の呼吸、体重移動、視線の揺れさえも観察し、それを日々の鍛錬に落とし込んでいるのだ。


 一朝一夕で身につくものではない。


 毎日、地獄のようなトレーニングを耐え抜きながら、他人の試合も目に焼きつけ、実際に自分の体で再現する。


 そうやって積み重ねた努力が、今あのリングの上で噴き出している。


 如月はふと感傷に浸る。


 ――島村や望月も、自分やカナレとの戦いから確かに何かを掴み取ってくれたのだろう。


 そう思うと胸が熱くなり、まるで教え子を見守るような気持ちさえこみ上げてくる。


 そんな如月を横目に、同じくモニターを覗き込んでいたSAKEBIが、不思議そうな顔をして声をかけた。


「ん?どした?」


 如月がわずかに首を傾げると、SAKEBIはニヤリと笑い、からかうように言う。


「なんか保護者会のお母さんみたいな眼で見てるッスね」


 その言葉に如月は頬を赤らめ、言葉を失う。モニターから目を逸らしかけて、結局は再び視線を戻し、島村と望月の姿を黙って追い続けた。


 ――歓声が一段と高まる。


 島村が望月の至近距離からのタックルを、紙一重の反応でかわす。体をひねりながら滑り込み、そのまま両足を鋏のように絡ませ、望月の胴を狙う。――蟹挟み!


「決まるか!?蟹挟みだぁ!」


 古田の絶叫がマイクを震わせ、観客席からも「おおおおっ!」と割れんばかりのどよめきが上がる。リングサイドでは観客が立ち上がり、興奮と不安が入り混じった声援を飛ばした。


 しかし、望月の巨体は揺るがない。


 まるで岩を挟もうとするかのように、島村の足が食い込む。


 しかし、逆に望月は下半身に力を込め、島村の両脚をむしり取るように引きはがす。


「すご……!」


 観客席のあちこちから思わず声が漏れる。


 望月はなおも島村の片足を抱え込み、肩に担ぎ上げ振りかぶった。次の瞬間、マットに叩きつけようとする。リングが鳴動を待ち構える。


「ちょっと待ってください!これは危険ですよ!」


 山北斬鉄の低い声が、画面越しに見ている視聴者へ届く。


 場内に緊張が走る。観客は固唾を呑み、リング上の一瞬の攻防に視線を釘付けにしていた。


 望月が島村を振りかぶり、その巨体が落ちてくる瞬間――まるで時間が一瞬止まったかのように思えた。


 しかし――。


 島村の体が弾かれたように逆方向へとしなり、自重と慣性を利用して望月の腕をねじり上げる。まさかのカウンター!


「ぐっ!……」


 鋭い痛みが望月の肩を走り抜け、《剛体》の硬さに隠れていた柔軟性の低下が露わになる。耐え切れず、望月は島村を解き放った。


 ――《剛体》のデメリットを、正確に突いた一瞬の逆転。


 島村は華麗にマットへ着地し、息を荒げながらも両拳を握り締める。その表情は恐怖を押し殺した決死の覚悟に満ちていた。


 次の瞬間、観客席から割れんばかりの声援が爆発する。


「島村ぁぁぁぁぁ!」


「いいぞぉぉぉ!」


 地鳴りのような歓声に揺れるアリーナ。観客は弱者が一瞬の閃きで巨躯を揺るがした光景に、全身で喝采を送っていた。古田の声がかき消されるほどの大歓声。


 山北斬鉄はうなずきながら、深く噛みしめるように言った。


「――これは偶然なんかじゃないですね。島村が掴んだのは、一瞬のひらめきじゃなく、毎日の練習でしか積み上げられない宝ですよ」


 山北の言葉を、如月は噛みしめるように聞いていた。


 その声音に、かつて自分が通ってきた苦しい日々と、仲間たちと積み上げてきた汗と痛みが重なる。


 ――努力は裏切らない。その想いが、彼女の胸に深く響いていた。


 だが、感傷の余韻は長く続かなかった。激闘を予感させたこの試合は、意外にもあっけない幕切れを迎えることになる。


 華麗に着地した島村が、次の攻撃に移ろうとしたその刹那――。


 膝を折るように、その場で崩れ落ちてしまったのだ。


「おっと!?島村が動かない!」


 古田の声が場内に響き渡る。観客席は一斉にざわめき、ざわつきが波のように広がっていく。


 レフリーがすぐに島村へと視線を集中させ、両手を広げるようにして身構える。いつでも試合を止められるように、警戒を強めていた。


「足を痛めたか!?今の着地の衝撃か!?」


 古田が声を張り上げ、観客のあちこちからも「今の落ち方だ!」「足、やったんじゃないか!?」と不安げな声が飛ぶ。


 期待と興奮に包まれていた会場は、一転して張り詰めた空気に変わった。


 しかし、それは怪我ではなかった。


 ――これは《察知》の代償だった。


 島村のギフトは相手の思考を拾うだけではない。観客やスタッフ、アリーナにいる全員の感情や声までも脳に流れ込む。


 短期決戦にかけた分だけ神経をすり減らし、ついに島村の精神は限界を迎え、完全にオーバーヒートを起こしていたのだ。


 島村はリング上で震えながら、望月の思考だけに意識を絞っていた。


 だが、暴風のように流れ込む外界の情報は、精神を削り続け、ついに限界が訪れたのだ。


 その隙を、望月が見逃さなかった。


「望月ぃぃ!」


 観客席の一角から、誰かの叫びが飛ぶ。まるでリング上の望月に届いたかのように、彼女は最後の力を振り絞った。


 両腕に込められた渾身の力が、島村の小柄な身体を豪快に抱え上げる。観客席から「うわぁっ!」と驚きと悲鳴が同時に上がり、アリーナ全体が大きく揺れた。


「持ち上げたぁぁぁ!」


 古田の声は掻き消される。会場を埋め尽くすどよめきと歓声が、実況席のマイクすら呑み込んでいった。


「……これが、決まるかもしれませんね」


 山北斬鉄が噛みしめるように低くつぶやく。その声音には畏怖と覚悟が入り混じっていた。


 観客は総立ちとなり、リングに向かって叫び声をぶつける。


「望月!いけぇぇぇ!」


「島村ぁぁぁ立てぇぇぇ!」


 割れんばかりの歓声と悲鳴が交錯し、熱狂と緊張が渦巻く。空気そのものが震えているかのような騒然の中、試合は決着の瞬間へと突き進んでいった――。


 そして――望月は島村の頭を抱え込み、渾身の力で垂直に持ち上げる。


 その光景は、まるでリング全体を飲み込む断頭台のようだった。


「まさか……これは……!」


 古田の声が震える。


 望月の体重を乗せたまま、島村の頭がマットへ突き刺さる。鈍い衝撃音とともに、リング全体が大きく揺れた。


 ――垂直落下式DDT


「刺さったぁぁぁ!」


 観客席からは「うわああああっ!」と悲鳴とも歓声ともつかぬ叫びが一斉に吹き上がる。


 両手で頭を抱える者、口を押さえて息を呑む者、立ち上がって拳を突き上げる者。


 ――アリーナは一瞬にして爆発した。


 島村は大の字になったまま、かすかに胸が上下しているのが見える。だが、体はピクリとも動かず、完全に沈黙していた。


 望月は逃さぬとばかりにその上へ覆いかぶさり、全体重をかけて両肩をがっちりとマットへ押さえ込む。


 ――レフリーの手がマットを叩く。


「ワンッ!」


 会場に緊張が走る。観客が一斉に前のめりとなる。


「ツーッ!」


 アリーナは歓声と悲鳴で揺れた。


「返せ!返せぇぇ!」


「決まった!これで終わりだぁぁ!」


 割れるような叫びが場内を二分する。


 ――カウント2.5。


 沈んでいた島村の体が、突如震えた。意識を失っていたはずの彼女が、反射のように肩を必死に持ち上げようとする。


 その姿に観客は息を呑み、会場全体が爆発する寸前の熱を帯びていた。


「おおっと!返すか!?島村!」


 古田の声が割れ、マイク越しに興奮が弾ける。観客も総立ちとなり、誰もがその瞬間を信じた。肩が上がるか、奇跡が起きるか――。


 しかし、《剛体》を全開にした望月の重圧は、まるで巨岩のようにのしかかる。島村の力では、その壁を崩すことはできなかった。


「スリーッ!」


 ――レフリーの手が三度、マットを叩く。


 その瞬間、アリーナ全体が爆発した。


 リング下の田辺が、ハンマーを掴む手に力を込め、勢いよくゴングをけたたましく鳴らした。


 乾いた金属音が連打され、リング上の勝敗を高らかに告げる。


 その響きは場内の天井を突き抜けるかのように広がり、観客の歓声と混じり合って爆発した。


 カン!カン!カン!カン!カン!カン!


 鳴り響く金属音が勝敗を告げ、観客の声がそれを飲み込む。


 立ち上がり拳を振り上げる者、涙をこらえる者、名前を叫び続ける者――場内は轟音のような歓声と熱狂に包まれた。


「3分24秒!体固めで、望月麻子の勝利!」


 場内アナウンスが高らかに響いた瞬間、観客は総立ちとなり、一斉に名前を叫んだ。


 「望月ーッ!」


 「島村ー!」


 勝者を讃える歓声と、敗者へ惜しみない拍手が渦を巻き、アリーナは熱狂と感動の入り混じった大音声に包まれた。


 敗れた島村へも惜しみない拍手が送られる。


 山北は腕を組み、重くうなずきながら言った。


「島村はね……最後の最後まで、立派に戦いましたよ。望月が勝ったのは力の差じゃない。あの子のね、ほんの少しの覚悟と経験の差ですよ」


 そして続けて山北は島村を称えるエールで送った。


「だけどね、島村は今日、負けて強くなった。必ず次に繋がりますよ」


 古田がマイクを握りしめ、声を張り上げた。


「わずか3分24秒の激闘ッ!その幕を閉じ、デビュー戦を制したのは――望月麻子だぁぁ!」


 絶叫にも似た実況の声に合わせて、観客は総立ちとなり、惜しみない拍手と歓声を送る。


 「望月ーッ!」と名を叫ぶ声、そして「島村ぁー!」と敗者を讃える声援が入り混じり、アリーナは揺れるような熱気に包まれた。


 リングの上には、天を仰ぎ勝利を噛みしめる望月の姿と、倒れながらも最後まで闘志を見せた島村の姿。


 光と影、勝者と敗者――そのコントラストが、確かにひとつの物語として刻まれていた。


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