第46話:先に動くのは――どちらか
NEXT QUEEN’S GATEの開幕を告げるBGMが会場に響く。
重低音のビートがフロアを震わせ、スポットライトが天井を走る。
その瞬間、客席のあちこちから歓声が弾け、観客の波が一斉に立ち上がった。ペンライトが揺れ、色とりどりの光が海のようにうねる。
しかし、その光景のただ中にいながらも、如月はどこか浮かない顔をしていた。
SAKEBIが気になって身を乗り出す。
「どうしたんッスか?浮かない顔して」
如月は視線をリングから外し、ほんの少し唇を歪める。
「……俺のデビュー戦のときに流れたのと同じ曲なんだよ」
周囲の歓声が大きくなるほどに、胸の奥が妙に冷えていく。華やかな音と熱気が自分だけを置き去りにしていくようで、心臓の鼓動がやけに強く耳に響いた。
SAKEBIは「ああ、なるほど」と納得したように軽く頷くと、肩をすくめて淡々と説明する。
「そりゃ僕たちにはまだ自分専用の入場曲なんてないッスよ」
だが、その言葉では如月のモヤは晴れなかった。なぜなら、同期であるカナレには専用の入場テーマ曲――「Mighty Arm」がすでにあることを知っていたからだ。
そのことを打ち明けると、SAKEBIは一瞬きょとんとした後、笑顔を浮かべて言った。
「そりゃカナレは特別ッスから。なんせ元TMHのチャンピオンッスから」
笑いながらも、その口調にはどこか当然という響きがあった。会場の轟音の中で、如月の胸には小さな棘が残る。
カナレは誇らしそうな様子。そのあまりにも理不尽な待遇に如月は不満そうな顔でいると、SAKEBIが続けざまに言った。
「ちなみに僕は好きなバンドの曲を流してもらってるッス!」
胸を張って嬉しそうに言うSAKEBIの顔は、まるで子どものように無邪気だった。その声に負けじと観客席からも歓声が重なり、場内の空気はさらに熱を帯びていく。
如月は怪訝そうに眉をひそめ、理由を尋ねた。
特に入場テーマについては、自分の曲が出来上がるまで好きな曲を選手が選定してもいい。しかし、著作権の関係上、使用許可は選手本人個人で行う必要がある。
SAKEBIはこともなげに言う。父親に頼んで、そのアーティストが所属するレーベルに許可をもらったのだと。
会場の照明が明滅し、観客の歓声が波のように押し寄せる中、その言葉を聞いて如月は内心ため息をついた。
――やっぱり、この子は好所のお嬢だ。
それもQueen Beeの超優良スポンサーの箱入り娘。努力や交渉なんて必要ない、大抵の夢は“頼めばかなう”のだろう、と。
熱狂の渦に包まれるリングを横目に、如月の胸中には小さな疎外感がじわりと広がっていた。
「そのうち俺も誰かの曲を使わせてもらおうかな……」
如月が何気なく漏らしたボヤキまじりの言葉に、カナレがすかさず答えた。
「如月っちは今回から専用の入場テーマが流れるらしいぞ!」
観客の歓声にかき消されそうな声だったが、その内容は如月の耳にしっかり届いた。
カナレ曰く、SNSで如月VSカナレ戦の試合動画がバズったらしい。
その関係で、各方面の音楽業界から「彼女の入場テーマを作りたい」と名乗りを上げるアーティストが多数いたのだという。会場の熱狂に負けないくらいの勢いで、画面の外でも話題が膨れ上がっているらしい。
そもそも、Queen Beeではレスラーの入場曲を手掛けるアーティストを支援してきた歴史があるが、その伝統がある以上、今回もそうした枠組みを優先させられるだろうとSAKEBIが付け加えた。
如月は思わず首をかしげる。
「……なんでお前らそんなことまで知ってるんだ?」
問いかけると、二人は顔を見合わせて笑う。
「それもSNSで話題になってるッス」
如月は言葉を失った。SNSに興味もなく、使い方すら知らない如月にとっては、別世界の出来事のように感じられる。
――誰かが勝手に宣伝してくれているのだろう。そう考えるしかなかった。
リングを揺らす観客の熱狂が、まるでその「別世界」と自分を隔てる厚い壁のように感じられる。如月はほんの一瞬、遠い場所から自分自身を眺めているような心地になった。
会場から大歓声が聞こえる。スポットライトに照らされ、光の柱がリングを中心に集中する。照明の熱が空気を震わせ、ざわめきと足踏みの音が一体となって、まるで地鳴りのように会場を揺らしていた。
ギフト訓練を終えて晴れて合格となった選手、総勢25名が次々と姿を現す。白熱する照明に浮かび上がるその顔の中には、如月も見覚えのある者がちらほらいた。
緊張で唇を噛みしめる者もいれば、誇らしげに胸を張る者もいる。彼女らの歩みに合わせ、観客の拍手と声援がひときわ高まった。
リング下の関係者席では、斎藤が腕を組んで厳しい顔で見ている。その眼差しは鋭く、選手たち一人ひとりの動きを逃さず見定めている。彼女に見られているというだけで、選手たちにとっては大きなプレッシャーだ。
今回の参加者は如月も含めて五期生にあたるが、例年以上に優秀な顔ぶれが揃っていた。
まさにQueen Bee始まって以来の大豊作。
ほとんどの選手が晴れて本隊入りを決定し、会場の熱狂はさらに拍車をかけられている。観客の中には、推しの新人の名前を連呼する声も飛び交い、フロア全体が祝祭の空気に包まれていた。
如月は横にいるSAKEBIを見て、ふと思い返す。
彼女は少し立場が異なる存在だった。すでに実家のプロレス団体――パシフィックゲートでデビューを果たしており、正式にはQueen Bee預かりの選手という扱いである。
「やっぱお嬢だ……」
如月が思わず口にすると、すぐ横で聞いていたSAKEBIが首をかしげる。
「なんか言ったッスか?」
耳を澄ませば観客のコールと拍手が地鳴りのように響き、言葉はすぐにかき消されていく。
如月は「いや、なんでもない」と手をひらひら振り、軽くジェスチャーでごまかした。
バックヤードに設置されている大型の画面に映る島村と望月の顔は、堂々とした表情を見せながらも、どこかに緊張の色を残していた。
そのわずかな硬さすらも、観客には「初々しさ」として映るのだろう。スクリーンが切り替わるたびに客席からは「おお……!」と期待の声があがり、会場の空気がじわりと熱を帯びていく。
やがて、田辺アナのよく通る声が場内に響き渡った。順に選手の名前がコールされるたび、観客は大きな拍手で応じ、コールされた選手はリングの四方に向かって深く礼をする。
その一つひとつの所作に、未来を担う新星たちの緊張と決意がにじみ出ていた。
そして島村の名前がコールされる。
彼女は深くお辞儀をしたが、その動作はあまりにも機敏すぎて、礼というよりも反射的な動きに近かった。観客席からは思わず笑みがこぼれ、「がんばれよー!」と温かい声援が飛ぶ。笑いと拍手が重なり合い、場内の空気が柔らかくなる。
続いて望月の名前がコールされると、彼女は若干先走るように礼をした。だが、その動きは粗削りながらも力強さを帯びている。観客席からは「いいぞ!」「気合入ってるな!」といった声が次々に飛び、力強い拍手が彼女の背中を押すように響いた。
二人の性格が表れる選手紹介だと如月は画面越しに感じた。
そして全員の名前がコールされると、田辺リングアナが胸を張り、マイクを高々と掲げて雄弁に語り始める。
「――ただいまご紹介いたしました!本日、この大舞台に立つのは……未来を切り拓く、新たなる新星たち!」
田辺アナの声がマイクを通じて響き渡る。場内のライトがひときわ強く照らされ、リングの中央に立つ選手たちの影が長く伸びた。観客からは拍手が広がり、名前を呼ぶ声が飛ぶ。
「まだ名は広く知られていない。しかし!その胸に宿す闘志と情熱は、Queen Beeの巣に住まう歴戦の猛者すら凌ぐ――荒ぶるキラービーでありますッ!」
熱を帯びたコールに合わせるように、観客の熱狂が一気に高まる。手拍子が揃い、ペンライトの光が波のように揺れた。
「皆さま!どうぞ惜しみなき拍手と声援をもって、この歴史の第一歩を、ともに刻み込んでください」
最後の一声が決定打のように会場を震わせ、観客は総立ちとなって声を張り上げる。リングを囲む熱狂は、まるで嵐の渦に呑み込まれるかのように加速していった。
その声は場内の隅々まで響き渡り、観客は一斉に立ち上がった。総立ちの熱狂が地鳴りのようにリングを包み込み、手拍子と歓声が波となって押し寄せる。
田辺は観客のボルテージをさらに押し上げるようにマイクを振り下ろし、第1回戦の開始を高らかに告げた。
「ただいまより――NEXT QUEEN’S GATE第1回戦を開始いたします!その中より、本日ここに相まみえるのは……この二人ッ!」
田辺アナのコールが響いた瞬間、待ってましたと言わんばかりに会場は爆発する。割れんばかりの歓声。
観客席のあちこちから選手名を連呼する声。リングを取り囲む空気は、嵐に巻き込まれたかのように沸き立ち、足元から震えるような地鳴りが伝わってきた。
そして、島村と望月以外の選手は互いに健闘を祈るように軽く会釈を交わしながら、足早にリングを降りて入場出口へと帰っていく。
――次の瞬間、スポットライトが二人だけを照らし出す。
望月と島村は、あらかじめ伝えられていた自分のコーナーへと歩を進めた。
その歩みはぎこちなさを含みつつも、一歩ごとに緊張を力へ変えていくかのようだ。観客の視線は一点に集まり、先ほどまでの熱狂が嘘のように、場内の空気がピンと張り詰めた。
「ありゃ……よりによって、この二人の対決かよ……」
リングを見つめる如月の胸に複雑な思いが去来する。彼女にとってはどちらも大切な仲間。
その二人がいま、この熱狂の渦の中心で刃を交えようとしている。
カナレやSAKEBIも内心穏やかではなかった。二人が交わる瞬間を想像するだけで、胸の奥にざらつくような不安が広がっていた。
そんな思いをよそに、田辺のコールが無情にも高らかに告げられる。
「青コーナー……165cm・48kg――島村ぁぁ!ゆーいぃぃっ!」
場内が大きくどよめき、すぐさま観客席からエールが飛ぶ。
「頑張れー島村ー!」
「ユイちゃーん!」
声援に呼応するように、バルコニーから大きな垂れ幕が降ろされる。
そこには太い筆文字で《必勝!ヒーリングウィンド》と、応援の言葉とともに彼女の2つ名と思しき文字が力強く書かれていた。墨痕鮮やかな筆致は遠目にも迫力を放ち、会場の視線を一斉に吸い寄せる。
白布に黒々と躍る文字は、まるで彼女の存在そのものを象徴するかのように輝いていた。スポットライトに照らされた布地が風を受けてひらめくたび、観客席から「ユイーッ!」「いけー!」とコールが重なり、熱狂が波紋のように広がっていく。
その垂れ幕はただの応援旗ではなく――まさしく“追い風”を象徴する旗印だった。
続いて望月の名前がコールされる。
「赤コーナー……180cm・70kg――望月ぃぃ!麻ぁぁ子ぉぉっ!」
アナウンスが響いた瞬間、島村の垂れ幕の横に、もう一枚の巨大な垂れ幕が滑り降りる。そこに刻まれた言葉は《爆風ストライカー》。力強い筆致で描かれたその四文字は、まるで壁を打ち破る一撃の衝撃を帯びていた。
観客席からは「待ってましたッ!」「麻子ーッ!」と割れんばかりの声が上がる。リズムを刻むような拍手と足踏みが次第に揃い、地鳴りのような振動がリングにまで伝わった。垂れ幕は場内の熱気にあおられて大きくはためき、爆風の名を冠するにふさわしい迫力を放っている。
二人のコールが終わると、リングの空気はさらに張り詰める。
スポットライトは二人の姿だけを切り取るように強く輝き、先ほどまで沸き立っていたざわめきが一転して緊張へと変わっていった。観客は息を呑み、次に訪れる瞬間を待ち構えている。
「レフリー――羽鳥正男……」
田辺の紹介に合わせてレフリーが中央に進み出る。リングの上に立つその姿は観客の熱を再び大きく波打った。
レフリーの名前を告げられたと同時に、如月がふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば……俺の時は垂れ幕なかったぞ!」
観客の大歓声にかき消されそうで、恨めしそうにぼやく。
すかさず隣のSAKEBIが振り返り、ニヤリと笑って突っ込む。
「結構細かいッスね!」
リングを揺らす熱狂の渦の中、その軽口は小さな休符のように響き、三人の緊張をほんのわずか和らげていた。
だが次の瞬間、レフリーが二人をリング中央へと招き入れる。
場内のライトが一斉に切り替わり、スポットライトがリング全体を白々と照らし出す。光に包まれた四角い檻は、逃げ場のない決戦の舞台そのものだった。
眩さに吸い寄せられるように観客の視線が集中し、ざわめきはすっと消え、静けさが場内を支配した。
中央に立ったレフリーが二人に短く鋭い声でルールを説明する。その声に合わせて会場の空気はさらに研ぎ澄まされ、最後に両者のボディーチェックが行われた。
島村、望月も、表情こそ硬いが、その目の奥には揺るぎない光が宿っている。肩の上下から伝わる呼吸の荒さは、緊張だけでなく闘志が全身にみなぎっている証だった。
二人を包む気迫は、まるで視覚化された炎のように周囲に広がっていく。
それは画面越しに見ている三人にも強烈に伝わった。観客席の熱狂と違う、リングにしか存在しない張り詰めた空気――その重みを肌で感じる。
如月は腕を組み、眉をひそめながらも目を逸らさなかった。これから行われる二人の雄姿を、一瞬たりとも見逃すまいと心に刻むように凝視している。
カナレやSAKEBIもまた、普段の明るさは消え失せ、どこか緊張した面持ちで画面に映る二人を見つめていた。
しかし、戦いを告げられる。この戦いで二人のどちらかが勝ち、もう一人が負ける。そんな当たり前のことでありながらもカナレとSAKEBIは思考が整理できないでいる。
そして、レフリーがリング下のタイムキーパーに合図を送る。
次の瞬間、二人の顔をぐるりと見渡すと、ゆっくりと深く腰を落とし、大きく右腕を振り上げた。観客席は息を呑み、張り詰めた沈黙が会場を覆う。
リング上の二人に走るのは、今まで味わったことのない――緊張というにはあまりにも強烈すぎる衝撃。全身を震わせる圧が押し寄せ、背筋に冷たい電流が走った。
そして、レフリーの右腕が鋭く振り下ろされる。
「ファイトッ!」
――カァーン!
無情にもゴングが鳴り響いた。
その瞬間、場内は堰を切ったように爆発する。観客席から渦を巻くがごとく興奮の声が広がり、歓声と足踏みが入り混じって嵐のように押し寄せた。
「行けーッ!」「負けるなッ!」――割れる声援が互いにぶつかり合い、会場の温度が一気に跳ね上がる。
二人の視線が交差した刹那、リングは巨大な火花の箱と化した。観客席からは息を呑む音すら聞こえ、歓声と静寂がないまぜになった緊張が場内を覆う。
お互いに距離を測るように、ゆっくりと重心を落とす。前傾姿勢になった身体はいつでも飛び出せる構えで、睨み合う目と目の奥にはすでに火花が散っていた。
足の指先に力がこもり、リングのマットがわずかにきしむ音が、観客の鼓動と重なる。
戦いのゴングは、今鳴り響いたばかり。マットを踏みしめる音すら会場に響き、観客は息を詰めて次の瞬間を待ち構える。
先に動くのは――どちらか。たった一歩、その最初の動きが、この一戦の流れを決める。




