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嘘つきは真実を灼く ~七つの聖火と嘘喰いの孤児~  作者: 蒼月よる


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穢れの再来

 ヴァラの騒動の噂は、驚くほど速く広がった。


「嘘つきの目をした若者が来てから、街がおかしくなった」──そんな噂が、城壁の中から漏れ出し、街道を行く旅人の口を通じて周囲の集落にまで届いていた。四人は街の外で野営を強いられた。城壁の中に戻ることは──もう、できなかった。


 キアンは焚き火の前で膝を抱え、黙り込んでいた。


 嗄れた声すら出す気力がなかった。真実視が、自分自身の内面を赤く灼いている。自責の念。後悔。恐怖。自分の存在が社会を壊すという事実を、否定する嘘すら喉を通らない。嘘をつけば灼ける。だが真実は──真実のほうが、ずっと痛い。


 アナヒドが焚き火の向こう側からキアンを見つめていた。何か言葉をかけようとして、やめている。共感力がキアンの自責を受信し、彼女自身の表情にも影が落ちている。だがアナヒドは距離を取らなかった。痛みを受信しながら、そこに座り続けている。


 アタルが黙って火の番をしていた。老人の横顔は穏やかだったが、穏やかさの下に苦い認識があることを、キアンの真実視は視ていた。アタルはこうなることを──予想していたのかもしれなかった。代償(c)が群衆の中で何を引き起こすか。だがアタルは止めなかった。止められなかったのか、あるいは──経験させる必要があったのか。


 スラオシャが結界の鈴を調整していた。小さな鈴を四方に配置し、澄んだ音で夜の守りを張っている。その動作は丁寧で、一つ一つの鈴に触れるたびに微かな音が夜気を震わせた。


 夜が更けた頃、ドゥルジ・ナスが姿を現した。


 焚き火の光の外から、音もなく。赤紫の髪を夜風に揺らし、琥珀色の目が炎の光を映している。スラオシャの灰緑色の目が即座に女を捉えた。青年の穏やかな表情が微かに曇る。スラオシャの耳が──女の存在から何かを聴き取っている。


 キアンの真実視には、ドゥルジ・ナスの色彩がいつものように複雑に映っていた。単純な黒ではない。赤と紫と黒が入り混じった、善悪の二元論では分類できない色。だが今夜の色には──灰色が多い。嘘とも真実ともつかない、曖昧な領域の色。


「ほらね、言った通りでしょ」


 ドゥルジ・ナスが微笑んだ。だがその微笑みに嘲りはなかった。むしろ──疲れた大人が子供の失敗を見たときの、諦めに近い表情だった。


「真実は人を壊す。嘘のほうがよっぽど人を繋いでた」


 キアンは反論できなかった。反論する言葉が見つからなかった。あのヴァラで起きたことは──キアンの代償(c)が引き金だった。キアンの存在が人々の自己欺瞞を剥がし、剥がされた真実が人々を傷つけた。商人は信用を失い、夫婦は愛を失い、兵士は誇りを失った。失ったものは──すべて、嘘で守られていたものだ。


 ドゥルジ・ナスが焚き火の縁に腰を下ろした。炎の光が赤紫の髪を照らし、影を揺らしている。スラオシャが僅かに身を引いたが、アタルは動かなかった。


「あの人たちは嘘で繋がっていたの」


 ドゥルジ・ナスの声は静かだった。いつもの艶やかな声とは異なる、低い、落ち着いた声。


「夫婦も、商人と客も、隣人同士も。嘘がなくなったら──こうなる。壊れる。嘘は社会の接着剤なの。あんたは知ってるはずだよ。嘘つきだったんだから」


 キアンは黙って聴いていた。ドゥルジ・ナスの言葉が──白くもなく赤くもなく、灰色に視えた。嘘ではない。だが完全な真実でもない。嘘が社会の接着剤であるという主張は──部分的には正しい。キアン自身が嘘で生き延びてきた。嘘で人間関係を維持してきた。嘘で自分を守ってきた。だがそれは──。


「あんたの力は人間社会の接着剤を溶かしてるんだよ」


 ドゥルジ・ナスが続けた。琥珀色の目がキアンを真っ直ぐに見つめている。


「嘘は接着剤なの。あたしは──嘘を守ることで、社会を守ってきたの」


 第82話での言葉が蘇った。「どちらが悪だ」。ドゥルジ・ナスは嘘を広め、嘘で社会を維持する存在。キアンは真実を視、真実で社会を壊す存在。どちらが善で、どちらが悪か。二元論の世界で、その問いは答えを持たなかった。


 スラオシャがドゥルジ・ナスの声を聴いていた。灰緑色の目が遠くを見つめ、聴く者としての集中を示している。微かに尖った耳が、目に見えない何かを追うように動いた。


「この声には……悲しみがあります」


 スラオシャが呟いた。声は小さく、夜風に溶けるほどだった。だがキアンの耳には届いた。


 悲しみ。ドゥルジ・ナスの声の中にある悲しみ。アナヒドの共感力とは異なるアプローチで、スラオシャは同じ結論に達していた。嘘の守護者は──嘘を守ることに、悲しみを抱えている。嘘を広めることが社会を守ると信じながら、嘘で守られた社会の脆さを誰よりも知っている。その矛盾が、悲しみとなって声に滲む。


 ドゥルジ・ナスがスラオシャを一瞥した。琥珀色の目が一瞬だけ揺れた。聴かれたくなかったものを聴かれた──そんな表情が、一瞬だけ浮かんで消えた。


 ドゥルジ・ナスが立ち上がった。焚き火の光から離れようとして──足を止めた。キアンの方を振り返り、一歩近づいた。


「あんたさ、自分を責めてるでしょ。あの街を壊したって」


 キアンは答えなかった。答える必要がなかった。ドゥルジ・ナスには──嘘も真実も、等しく視えている。


「壊したんじゃないよ。あんたは暴いただけ。壊れてたのは──最初からだよ。嘘で繋がってただけで、本当は──とっくに壊れてた」


 その言葉が、灰色に視えた。嘘でも真実でもない。ドゥルジ・ナス自身にも、それが真実なのか嘘なのかわかっていないのかもしれなかった。


 去り際に、ドゥルジ・ナスがキアンの肩に手を置いた。冷たい指先。人間の体温ではない、穢れの存在の冷たさ。触れた場所が──微かに黒ずんだ。穢れの痕跡。皮膚の上に薄い影のような染みが広がり、すぐに消えかけるが、完全には消えない。


 だがキアンは払いのけなかった。


 払いのける気力がなかったのか、それとも──払いのけたくなかったのか。ドゥルジ・ナスの冷たい手は、キアンの痛みに触れた唯一の手だった。慰めではない。共感でもない。ただ──同じ種類の孤独を知る者の、沈黙の接触。


 ドゥルジ・ナスが夜の闇に消えた。赤紫の髪が闇に溶け、気配が遠ざかり、やがて──完全に消えた。


 焚き火の炎が揺れた。スラオシャの鈴が微かに鳴った。アナヒドが銀壺を胸に抱え、キアンを見つめていた。その視線に、キアンは気づいていた。だが顔を上げられなかった。


 肩に残った冷たさが、じわりと、消えずにいた。


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